2019-11-26

すべてが交換可能で数値化されてる世界で生きてる意味なんてあるの?

かつて人間関係資本主義とは別の場所にあった。しかし今は人間レンタルできるようになった。ユーチューブを見ていたらその人を友達に感じる。そのユーチューバー現実の友人より人格者でより良い友人であってくれる。しかしそおユーチューバーから見た自分は視聴数1のコマに過ぎない。

アイドル恋愛感情代替してくれる。あらゆるサブカル現実のなんにもない日常よりも面白い物語でそちらに傾倒したほうがいくぶん教訓的である。なにもしない人もレンタルできる。

しかしそうして消費者の一部でいると永久に1読者、視聴者購入者しかない。

SNSはそうして人間関係を数値化して資本主義的なルールに基づいた便利な人間関係供給している。ツイッタータイムライン人間関係において理想郷であり同時に地獄である

なんの価値もない自分は誰からも求められず決して誰とも関係しないが孤独に誰かが公開している関係性を間借りしてそれを享受することができる。誰にも求められないような人間社会に出て出会人間よりも一方的でありながら最適化されたSNS完璧で自らを慰めてくれる。

以前は人間関係原理的に閉じていてどんな人にもその人個別物語があったが今は何々が好きか何々をしているなど人間属性クラスタ認識されがちである

享楽を得る手段としてSNSほど便利なものはない。しかし一視聴者消費者しかない交換可能人間に生きている意味などあるのだろうか。

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