おれはおっさんなのでこれはもう前世紀の話になってしまうのだが、
当時合格した大学がそれぞれに一大学づつしかなく、どっちも同じような社会的位置づけ、校風、学部だったので、純粋にどっちに住んでみたいか?という観点での選択となり、少し迷ったがあっさり東京を選んだ。
人が多いし町も大きいし現地に知ってる人も少しいるし、東京の方が京都よりは実家に近いというのも理由だった。
(東京で一人暮らしをする大学生)という、ある意味での多数派になったという実感があった。社会の流れにうまく潜り込んだような感覚があった。
卒業後もしばらく東京で働いて何年か後に地元に帰った。地元の転職先での人間関係に違和感があった。地元の人たちにはおれが東京で暮らしていたことをやっかむ感じがあるようだった。そうだときづくのに少し時間がかかった。
だけどそれは、ない人がそういうのを羨む感覚があったとしても、あったらあったでけっこうどうでもいいものだと段々思うようになってきた。
もし京都を選んでいたら一体どうなっていたのか全く想像がつかない。
まず出会う友人も全く違っているだろうし、影響を受けることも目指す職業も就職先も全く変わってしまっているはずだ。もう全くの別人生である。
だがもし、大学受験前にもっといろんなことをよく勉強していれば京都行きを選んだかもしれない。
というイメージがなんとなくあり、自分のことを知れば知るほど反権力志向というか、メインストリームよりわざとオルタナティブな方を選ぶような、みんなが右と言ったら左と言いたくなるような素直じゃないようなところみたいのが根っこにあるというのが生きていく中でやっぱりあるなというのがわかってきたので。