この言葉を初めて聞いたとき、すごい言葉だと驚いたのを覚えている。
まさに真理だと思ったからだ。
それじゃあ明日もなんとか生きるため、生きたい理由を見つけるため、私が今死にたい理由を並べてみよう。
①可愛くないから。
③コミュニケーション能力がなくて他人と関わることが大っ嫌いだから。
どうだろうか。
くだらない理由だと笑っただろうか。
私の方がもっと辛いのにこいつは何を言っているのだと腹を立てた人もいるだろう。
(③と④の矛盾には気づいてるので触れないで欲しい。誰とも関わりたくないけど、誰かと関わりたいのだ。)
①に関しては、化粧するなり痩せるなりすればいいし、それでもダメなら整形すればいい。
②は勉強したり経験値を増やして自信を持てるだけの実力をつければいい。
③は少しずつ人と関わって慣れていけばいい。
④はボランティア活動を始めたりすればいい。自分自身が誰かを必要とすることでも道は開けるかもしれない。
解決策なんて分かってるし、この目標こそが生きる理由で、達成できるように頑張ることが生きることなのかもしれない。
その全てに対してやる気が起きないのだ。
可愛くなって何が変わる??周りの目??
今不細工な私は、可愛くなった私に優しくする人が不細工に対してどんな酷い言動をするか、知っている。そんな人に愛されるようになることが幸せか??
そのすべてを始める勇気が湧かないのだ。
突然新しいことを始める人のことも、努力し続けられる人も素晴らしいと心から尊敬している。しかし、心のどこかで本気になってバカじゃねーの?よくできるなwと心底見下している。最低だ。
思い浮かぶのは行動しない言い訳とこじつけの歪んだ屁理屈とくだらない偏見、変な見栄ばかりだ。
やるべきことがはっきりしていて、それでもやらない自分に腹が立っている。それなのに何もしない自分が大嫌いなのだ。
自分より勇気もあって努力することのできる素晴らしい人達を見下してしまうような自身の性格を嫌悪しているのだ。
実際の生きている理由なんて、親に迷惑をかけたくない気持ちと私の死体を片付ける人が可哀想だという気持ちだけだ。
一瞬で誰の心からも誰の目からも誰の記憶からも消えられる薬があればいい。そしたらなんの迷いもなく消えられるのに。
それは、自分の臆病さを、性格の悪さを、自分の無能さを全く知らなかったからだ。
あのままでいたかった。
可愛い子に優しくして、不細工にキツくあたる、 そんな男ばかりじゃない。 例えば介護の現場に行ってみろ あなたは接してき男性の数が全く足りてない。か、男を見る目がない。
初めにこの日記を読んだ時、気分が悪くなりました それはエッジの効いた文章に心が抉られたのと、文章の底にある意思の強さを感じ取ったからです そしてなんとなく、真っ直ぐ生き...
親に愛されてて羨ましいよ