やっていることは単純作業。
ボタンを押して機械を動かし、たまにエラーが出たら機械の不具合を修正する。
誰もができる単純作業にも優劣は存在する。自分のシフトにはあと数年で定年になる仕事のできないおじさんがいる。
仕事のできないおじさんはその名の通り何十年もこの仕事をやっていながら機械のエラーを修正することができない。
聞けば1回で分かるようになるそのエラーの修正方法を自分で学ぼうとしてこなかったのだ。
エラーが出れば同じシフトで働いている自分や他の社員を呼び出して修正させることは日常茶飯事だった。
今日はたまたま派遣社員の入れ替えなどがあり他の社員は忙しく働いていた。
おじさんは働いている年数が長いという理由だけで転職で新しく入ってきた社員を教育しており、ノルマに対して作業が遅れていた。
当然、おじさんが遅れている分は他の人たちでカバーしなければいけない。
おじさんの担当機械がエラーを出し、自分が呼ばれてその機械の修正をしているときにおじさんに言われた。
ちょっと待て。
職場に仕事のできないおじさんがいるのは分かる。その尻拭いをするのも別に構わない。おじさんはあと数年、この工場でのんびりやってもらえばよい。
しかし、仕事のできないおじさんがその言葉を使うのはあまりにも無責任すぎるだろう。
本来この言葉は上司や同じチームで仕事をしている人が「君がそんなに頑張らなくても俺たちでカバーするよ」という意味で使うはずだ。
本来の意味で使われたその言葉は自分の仕事に対する責任やプレッシャーを軽くし、この人たちと一緒に頑張ろうと思えるはずだ。
仕事のできないおじさんから言われてもなんの慰めにもならない。
自分は仕事のできないあなたのせいで忙しくしているのですよ。カバーしているのは私の方ですよ。