サブカルチャーにおける「愛国」的なものの立ち位置は「酔っぱらい」に似ている。
似ていた、と言うべきか。
「右翼パロ」「愛国者を風刺」したと呼ばれるような昭和の作品もネトサヨの言うように本当の意味で「愛国心を軽蔑していた」のかと言えばそれは違う。
多くの下戸でない漫画家が自身の体験を交えつつも「迷惑な存在」として酔っぱらいをキャラクター化してきたのと同様なゆるい共感がそこにはある。
「男塾はガチかネタか」と言われれば、それはガチでもありネタでもあったとしか言いようがない。
「軍服着た教官が戦車に乗って生徒を追い回す」のはネタであっても「日米対抗!太平洋戦争のリベンジじゃあ」に一定のガチが含まれているのは疑いようがない。
昨今のウヨサヨ論は両陣営にこの程度の認識の柔軟さが欠如しているのが始末に負えない感じに繋がっている。
「御霊」とかありがたがっても良いよ中二だもの。でもそれが集団ヒステリーに繋がってるカルト思想であることは認めようよ。
「御霊」が危険なのはわかる。でも「自然な愛国心とかあり得ないんじゃあ」は極論でしょ。
結局ウヨクサヨク共に、現代の日本人を一番縛っているのは「酔っぱらってる本人は気持ちいいのわかるんだ。だからなんか憎めないんだ。でも迷惑なのは確かなんだよね」と自分の業を肯定することへの恐怖なのだよな、どうみても。
それが悪いものであると認めながら愛着を告白することができない。