『二十代になると絵が上達することはなくなる、感性が衰えて良い絵が描けなくなる』という
言論をネットサーフィン中に見かけたので、今回はその言論について反論しようと思う。
結論から言うと、『二十代になると絵が上達することはなくなる、感性が衰えて良い絵が描けなくなる』は
嘘である。
漫画絵を描こうとペンを握ってから、そろそろ十年が経とうとしている。
当時十台前半だった自分は二十代も半ばに差し掛かり、自分を取り巻く環境が変化していくにつれて、
絵を描くための感性も質的な変化がみられたように思う。今回は絵を描くための感性の質的な変化について
書き記していきたいと思う。
十台の頃と比べて、二十代の自分はパッション(情熱)があらゆる分野に対して低下したように思う。
それは漫画絵を描くことに対しても例外ではなくて、漫画絵を描くことに対するパッションが十代の頃と
比べて今の自分は遥かに低下したように思う。
良いようにいうと『精神的に落ち着いた』、悪いようにいうと『情熱的ではなくなった』というべきか。
十代の頃の自分は、いつも焦燥感に駆られており、精神的に全くといっていいほど落ち着きがなかった。
その落ち着きの無さは絵にも顕著に表れていて、十代の頃の自分の絵には日常生活で感じた嫌なことや
悲しいこと、そして何より自らの感じていた焦燥感が率直に表現されている。稚拙な表現になっている箇所も
まだまだ多いが、見るものに対して何かを訴える力にあふれている絵が多い。
だから十代の自分の絵を見ると、未だに当時常日頃から感じていた感情を想起させられてしまうことも多い。
だけれど二十代の自分の絵を見ると、そういう風な負の感情をあまり想起させられることはない。
それは二十代になった自分が精神的に徐々に落ち着き始めたせいではないだろうかと思う。
自らの落ち着きが反映された結果、二十代の自分は絵に対して自らの心情ではなく、人や物がもっている「美しさ、きれいさ」を
素直に絵の中で表現するようになっていったように思う。
(十代の頃は、美しさやきれいさを絵の中で表現するだなんて偽善くさくて嫌だ!!と思っていたのはここだけの話である。
今の自分はどす黒い感情よりも美しいものに惹かれることが多いのだ)
感性の変化その2:他人と自分を比べてもあまり腹が立たないようになった
他人と自分を比べた際に生じる嫉妬という感情は、人間が生起する感情の中で最も醜い感情だといわれている。
絵描きは嫉妬の権化だといわれており、他人と自分の絵を比べることで強い嫉妬を抱かなかった経験を
つまりそれくらいに絵描きは嫉妬という感情と隣り合わせになりながらペンを握っているということなのだ。
もちろん自分も例外ではなく、自分より上手い絵を見ては嫉妬し、粗を探し、そして反骨精神で上達するというサイクルを
だけど二十代も半ばに差し掛かった今の自分の嫉妬の強さと、十代の頃の嫉妬の強さを比べてみると、
やっぱり十打の頃に感じていた嫉妬の方が幾分強いように思う。
十代の頃の方が感情的になることが多かったから、当然といえば当然か。
二十代の今は、他人と自分を比べてもさほど強い嫉妬を抱くことはなくなったのだ。
自分は自分、他人は他人と他人と自分を分けて考えられるようになってきたと思う。
それにすごい絵を描く人を見ても、自分が確立してきた絵を見返すことで平静を保つことができるようになってきた。
何より二十代の自分には、勉強して練習すれば、いくらでも自分は上手くなれるんだという確信がある。
自分より上手い絵は、魅力的な絵は、二十代の自分にとってはすっぱい葡萄ではなくなった。
目が肥えたとでも言うべきなのだろうか。
二十代の自分は、良いものと悪いものを見分けられるようになった。
自分の心を揺さぶられるようなものにしか興味がなかった十代の頃の自分は、物の良し悪しもわからず
とにかく目の前にあるものを吸収しようとしたが、今の自分は目の前の物の良い部分だけを吸収しようとしている。
その結果、目が肥えた。
目が肥えたのでよりシンプルで良い絵が描けるようになった。
まとめ:
二十代の自分は、十代の自分と比べると、情熱と嫉妬心を無くした。だけど精神的に落ち着いたおかげで
より洗練された良い絵が描けるようになってきた。
結論:
『二十代になると絵が上達することはなくなる、感性が衰えて良い絵が描けなくなる』という言論なんて嘘。
もちろん十代のような絵は描けなくなるが、二十代には二十代なりの良い絵を描くことができる。
以上。