2017-01-01

正月になると思い出すこと

子供の頃、お正月には毎年父の実家に帰っていた。そこには、祖父と一緒に叔母さんが住んでいた。父の母、つまり私の祖母は私が生まれた年に亡くなったと聞いていた。

私はこの帰省が本当に嫌いだった。雰囲気が険悪だからだ。

叔母さんは父の妹で、父は叔母さんと顔を合わせると「まだ結婚しないのか?」と言うのだ。そして祖父も一緒に「こいつはいつまで経っても家事を覚えないから、嫁の貰い手がない」などと叔母さんをこき下ろすのだ。叔母さんは笑顔を作っていたけど、不愉快に思っているのは子供の目にも明らかだった。ちなみに、私の母は素知らぬ顔をして無視を決め込んでいた。

私も本当に小さな頃、叔母さんに訊いてしまったことがある。「どうして結婚しないの?」と。

叔母さんは困った顔をしながら、「お父さんがいるからね」と答えてくれた。

その時は、私のお父さんがいてどうして結婚できないんだろう?って思っていたけど、ある程度歳を重ねてから気づいた。あれは、祖父いるか結婚できない、という話だったのだ。

きっと祖父も父と同じく家の家事を全くしない人なのだろう。それはお正月でも叔母さんを顎で使っている様子からわかった。

父はこの程度の事情すら理解しないで叔母を追い詰めているのだ。それは、我が父のことながらも嫌なことだった。

しかしある年、事態は一変する。

その年のお正月も相変わらず父と祖父は叔母さんをいじめていた。でも、その年の叔母さんは何か違った。毎年のように作り笑顔をしているけれど、何か余裕があるようだった。

お酒の席も落ち着いたところで、叔母さんはこう言った。

「私ね、ニュージーランドに引っ越すわ」

その時の叔母さんの顔は本当に憑き物が落ちたような笑顔で、私は思わず、「すごい!おめでとう!」と言っていた。

もちろん父も祖父も大激怒した。外国人との結婚は認めん、とか、お前がいなくなったら誰が家の家事をやるんだ、とか、ずいぶん勝手なことを言っていた。

でも叔母は、結婚するのではなく働くつもりでニュージーランドに行くこと、そして、もう日本に帰ってくる気はないということをきっぱりと言った後、もう荷物はまとめてあるから、と言って大きなトランク一つ持って正月の家を出て行ったのだ。その後ろ姿はカッコよかった。

それから残された祖父や父、そしてその二人の不満を受けた母、みんな機嫌を悪くして修羅場だったけど、そんなことより私はあの優しい叔母さんがこの家を抜け出したことが嬉しかった。

それから一度だけ、私のところにだけ叔母さんからメールが届いた。そのメールには、外国風景の中で笑顔でいる叔母さんの写真が添付されていた。

そのメールにはこんなことが書いてあった。

働くといっても正式就労ビザではなく、ワーキングホリデービザだということ、そのビザには年齢制限があり、最後のチャンスを無駄にしたくなかったということ、さらにそのビザ滞在できるのは1年までだけれど、その後も日本に帰らなくて済むように考えているとのこと、憧れの海外自由に働くのはとても楽しいとのこと、そして最後に、この旅立ちを祝ってくれて嬉しかった、ありがとう、と付け加えられていた。

それから叔母さんとは音信不通だ。でも私はきっと叔母さんが今でも海外で元気に暮らしていると信じている。

そんなことを、お正月になると思い出すのだ。

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