高校のころ伊藤整が愛について書いた評論を読まされたことがある。
十年以上も前のことだし記憶もあいまいなのだが、内容は「西欧(キリスト教)でいう無償の愛とかいうやつは日本では無理www反論ある奴はクソブス女でも愛せるのか言ってみろ!おらっ!」みたいなものだったと思う。
高校生だった自分は「ああたしかにそうだ」とえらく納得し、愛というものを絵空事のように感じて、男女間にあるのはただ性欲と情だけなのだという彼の論旨を素直に受け容れた。
大学に天使のような女の子が居たのだ。彼女は今でいうスクールカーストの上位層だったのだが、誰とでもわけ隔て無く接し、卑劣な裏切り行為をした相手に対しても幸福を祈るというような少女だった。
いま思えば彼女はクリスチャンだったんじゃないかと思う(そういえば名前も聖書に出て来る女性風の名前だった)のだが、当時の自分には彼女が全く理解できず、上述した伊藤整の評論の内容を軽く非難めいた口調で説いたりしていた。
いま思えば赤面ものの行為なのだが、彼女はそれをニコニコしながら聞いていた。
そして最近、キング牧師が愛について説いた説教を読む機会があった。
これも一読しただけでうろ覚えなのだが、要約すると「『愛』と『好きになること』は別物である。神が私たちに『敵を好きになれ』と言わず『敵を愛せ』と言ったことに感謝すべきだ。私たちは、憎む敵を好きになることができなくても、彼のために祈ることはできる」という趣旨だったと思う。
これを読んで今まで持っていた伊藤整流の「愛」観が崩壊した。伊藤整は通俗的な「愛」のイメージで問題を論じていたのではないか。