真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
まあ一定数の情弱がいるで結論つけてもよいが、ちょっと遊んでみるか。
少なくとも一般人にとって、本質的な部分さえ真実であれば体系はそこまで重要視されていない。
仮に君が体調が優れていないとして、それを改善するために薬を提供するとしよう。
その体系が科学であろうがニセ科学であろうが宗教であろうが、成果が変わらない限りは同じようなものだ。
説明が違うだけで、実際に効いていることもあるだろうし、プラシーボ効果という場合もあるだろう。
話は変わるが、君は地球が丸いことを信じているだろうか。
写真や映像で地球が丸いことは知っていても、実際に見た人は少ない。
私は子供の頃、何かの授業で高い場所から景色を見せられ「ほら、地球は丸いだろ?」と先生に言われたことがある。
もちろん私は「平面ではないことは分かりましたが、丸いかどうか確信するには不十分な情報です」と返した。
嫌な子供だな。
まあ、話を戻そう。
つまり、ほとんどの人にとって、本質が「科学」であるか「ニセ」であるか、或いは「宗教」であるかは区別しにくいさ。
科学を「科学だから」で信じるのは、ニセ科学や宗教を妄信するのと同じなのだよ。
もし、それら情報の真偽を判断し、最終的に信じることができるとするならば、その他さまざまな情報と比較しているからだろう。
逆にそのプロセスをすっ飛ばして情報を信じることは、体系や真偽が何であれ妄信しているのと変わりないのさ。
つまり、君が真に“科学的に”物事の是非を判断するならば、科学だけではなく様々な側面から思考しなければならない。