母は自死してしまっていたが、先日、たった一人のきょうだいまで亡くした。
育ちあがったゆえ
正直、安堵した思いがある。
してもらった記憶もなかった。
わたしたちは、祖母に育ててもらったようなものであった。
くわしくは省くが母を死においやってしまった
数年、くるしんでいた。
わたしは選択しなければならなかった。
後者を選んだところ
一般常識のある人たちとかかわることは
なんとスムーズにいろいろなことがすすむのかという
カルチャーショックなど受けながらも
わたしは母の死後なんとか生きていたところなのであるが
妹まで亡くしてしまった。
これには肩を落とさざるを得ない。
発達障害だろうと思える人を父にもっている以上
友人だった人をふくめると7人を自殺で亡くした。
つまり先月は二人同時に亡くした。
いや無理やり慣れざるをえないというのもあるが
仕事も家族も抱えているので今回ばかりは精神科に一目散にかかり
メジャートランキライザーと睡眠薬を処方されなんとか49日までしのいだ。
むかしの人は49日とはよくいったものだ。
愛が足らなくて死んだんだ、と私に怒鳴るのだった。
愛の渇望感ときたら、わたしも10代のころはひどいものだった。
問題のある親たちの場合、子供に愛情をわかりやすいかたちでかけてやることができない。
妹は亡くなった時、
携えていた。
入っていた。
私ももっと妹に愛をかけてやれたらと
ホームに滑り込んでくる快速急行に走り幅跳びのようにぴょんと飛び込んだという妹のはいていたスニーカー
血のついて摩耗したスニーカーを抱きしめながら泣いた。