2015-03-31

自殺について

母は自死してしまっていたが、先日、たった一人のきょうだいまで亡くした。

二人とも、同じ、精神病気を発症していた。

母の時は、わたしも彼女病気にまきこまれ

まれながらに悩み、人にはいえぬ非一般的な苦しみのなか

育ちあがったゆえ

迷惑をかけあいまあお互い様だとも思え

正直、安堵した思いがある。

もとより、母親らしいことをほとんど

してもらった記憶もなかった。

わたしたちは、祖母に育ててもらったようなものであった。

しかしそんな母親でも、私は大好きであったように思う。

くわしくは省くが母を死においやってしまった

そのきっかけは私がつくったのは明白であるため

数年、くるしんでいた。

彼女に振り回されつつ生きる人生あゆむ

自分人生あゆむ

わたしは選択しなければならなかった。

後者を選んだところ

彼女はなくなってしまった。

その病気にかかり、コントロールがあまりできていない場合

周囲の人はみなスパイだと思って生活をするので

日常がきわめて困難なものとなる。

一般常識のある人たちとかかわることは

なんとスムーズにいろいろなことがすすむのかという

カルチャーショックなど受けながらも

わたしは母の死後なんとか生きていたところなのである

妹まで亡くしてしまった。

これには肩を落とさざるを得ない。

やはり母がメジャー精神病を抱え

発達障害だろうと思える人を父にもっている以上

そういう人たちとやはり友達となりやすいのか

わたしはいま30代であるがすでに

友人だった人をふくめると7人を自殺で亡くした。

まり先月は二人同時に亡くした。

もうこうなってくると人間とは慣れるものなのか

いや無理やり慣れざるをえないというのもあるが

仕事家族も抱えているので今回ばかりは精神科に一目散にかかり

メジャートランキライザー睡眠薬を処方されなんとか49日までしのいだ。

むかしの人は49日とはよくいったものだ。

心の区切りは、このころからだいぶついてきたように思う。

ある人は彼女たちは病気ではなくて

愛が足らなくて死んだんだ、と私に怒鳴るのだった。

愛の渇望感ときたら、わたしも10代のころはひどいものだった。

問題のある親たちの場合子供愛情をわかりやすいかたちでかけてやることができない。

妹は亡くなった時、

自分赤ちゃんだったころの写真

若く笑顔母親に抱かれている写真

携えていた。

駅のホームに残された鞄には母と、祖母の写真

入っていた。

私ももっと妹に愛をかけてやれたらと

ホームに滑り込んでくる快速急行走り幅跳びのようにぴょんと飛び込んだという妹のはいていたスニーカー

血のついて摩耗したスニーカーを抱きしめながら泣いた。

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