セクハラとしてはかなりデンジャラスな領域に踏み込んでいるのだが、現実世界にこういうことをやるやつは少なからずいて、そのために、メガネが「あえて作ったキャラ」なのか「制作者の分身」なのかいまいちはっきりしない。
「明日、ママはいない」の件でもあったけど、「作中人物の行為そのものへの批判」と「制作者側の意図への批判」がごっちゃになってるところはあるかも。
ただ、
ウザキャラにしたいならバーコードオヤジで金縁眼鏡、手には日刊ゲンダイでも握らせておくべきだったし、もしイケメンにしたいんだったらもっと清涼感をもたせるべきだった。とにかく、本人はイケメンだと思ってそうだし周りもイケメンだと思う人はいるかもしれないけど同僚のほとんどからは嫌われてるみたいなイメージにするべきではなかった。
確かにこうすれば分かり易くなっただろうけど、これはこれで、対女性によくある「容姿や年齢による差別」を裏返したような表現になってしまうので、その点での批判がまた別に起こっていただろう。ああいう現実にいそうな、色んな意味で「微妙」なポジションのキャラ設定が絶妙だったと思う(この辺りのチョイス感覚も、制作者側が主に女性であることの根拠にはなるな)。そのリアル感ゆえにかえって別の方向への誤解と反発を買ってしまったが。
あと、メガネに褒められようとイケメンに惚れられようと、いずれも女性の行動や思考が「男性の視点や好悪」に囚われているというのは変わらないわけで、むしろそういう異性(他者)の評価に振り回されない価値観をルミネCMには提供して欲しかった、という期待もあったのでは。
なんか「勘違いメガネ上司に侮辱された女性が男性中心社会に阿ろうとするストーリー」みたいな流れになってるけど、 あれ作ったのメガネ上司や巻き毛女性というより、むしろ主役女...
ほとんど同意。 セクハラとしてはかなりデンジャラスな領域に踏み込んでいるのだが、現実世界にこういうことをやるやつは少なからずいて、そのために、メガネが「あえて作ったキ...
夜中の3次のエントリーを たまたま 今見つけて 同意してみますた!!!!!!!!!