某裏で行われてた今月庵こと鈴奈庵25話の考察が目から鱗だったので。
-----
霊夢がなぜ里に危害を加えないと宣言した易者妖怪(もどき)を退治したのか。
霊夢の「里の人間の監視が仕事」「人妖が幻想郷のバランスを崩す」という発言から、理由は"幻想郷を維持するため"だというのは分かる。
そうなると、ある程度東方の世界に浸ってる読者はその動機づけをこう考えるはず。
・そうすると妖怪にとって都合のいい世界である幻想郷が崩壊しかねない
・霊夢は紫とともに幻想郷を維持管理する側の立場だから、これを阻止しようとするのは当たり前
ここまで考えた時、「幻想郷は妖怪のためのもの」「霊夢はそんな幻想郷を維持管理する立場」という前提から、無意識に「霊夢は(幻想郷を成り立たせるために妖怪退治を行っているけど実際には)妖怪側の人間」と考えてしまう人もいると思う。
ここで易者と霊夢のやりとりを見てみる。
易者は、霊夢を「無用な殺生をしない」「妖怪巫女」と呼び、また里に危害を加えるつもりはないから「敵対する理由はない」と説く。
それに対して霊夢は、自分を「無用な殺生もする」「人間巫女」と呼び、「妖怪なら問答無用で退治する」と応える。
つまり易者はあくまで霊夢を「本質的には妖怪の味方」と見ているのに対して、霊夢はあくまで「人間の味方だ」ときっぱりと易者の視点を否定しているのだ。
易者「お前は周囲に妖怪を侍らせて妖怪の側に立つ巫女なのだから、"里を襲わない"という幻想郷のルールに
抵触するつもりのない俺と敵対する理由はなく、無用に殺すはずがない」
霊夢「私は人間の巫女なのだから、例え無用な殺生に見えようが、妖怪ならば問答無用で退治する」)
もし霊夢が易者の言うように本質的には妖怪の味方だというならば、霊夢は(幻想郷の人間と妖怪のバランスを崩しかねない)里の襲撃を行わないと宣言した易者を見逃していただろうし、「里の人間が妖怪になるのが一番の大罪」というのが妖怪側の管理者の理論だとするならば、少なくとも「人間の味方だ」などとは言わずに「ルールを破った」と言い放った上で退治していたことだろう。
霊夢はあくまでも「人間の味方」だった。(当然といえば当然だが)
無意識に「易者の目線」で見ていた読者が俺の他にもいたとすれば、その認識は他ならぬ霊夢自身の手によってばっさりと消し去られたのである。
あるいは幻想郷の維持はあまりにも当然のことと考えていて、疑問すら持っていないのかもしれない。(例え妖怪のための世界であっても)
霊夢は幻想郷という枠組みの中で人間を守ろうとしているのだと思う。
だから基本的に人間に害なす妖怪は悪であり、霊夢は人間の妖怪化を阻止しようとするし、妖怪は問答無用で退治する(それは霊夢を妖怪側だと思っている易者の視点から見れば無用な殺生と映る)
一方、紫は妖怪の立場から幻想郷を維持し、人里を維持しようとする。
霊夢と紫は、目的こそ違えど「幻想郷を維持する」「人里を守る」という利害が一致して似たような立場にいるのではないか。
もちろんそれならなぜ霊夢と近しい一部の妖怪は退治されずにいるのか、という問題も出てくる。
弾幕ごっこで一度「退治」してしまえば、あとは人間に危害を加えない限りそれっきりなのか、今回は易者が「人間から妖怪化した」という大罪を犯したからきっちりと退治したのか・・・。
ただ少なくとも今月の鈴奈庵の霊夢の発言は、霊夢は決して紫(というか妖怪)の手先ではない(少なくとも本人はそのつもり)ということを物語っている。
霊夢が幻想郷を維持しようとするのは、個人的には、霊夢も(人間の視点から見てもなお)幻想郷を気に入っているから、と思っていたいが。