最近ストレスマネジメントやメンタルタフネスの話題に触れる機会が多く、改めて「スルーか咀嚼の法則」について書いておきたいと思ったので書く。
「スルーか咀嚼の法則」とは、精神的健康のためには物事に対してスルーか咀嚼かどちらかの態度を選択すべきという法則である。
マインドフルネスに関する文脈ではしばしば無執着こそ正義という仏教的立場が強調されすぎている。(正義と書いたが実際仏教哲学における善悪の概念もそんなようなものである)
また「スルー力」に関する文脈でも「真スルー」が過大評価され、対話的姿勢が失われてしまうことがしばしば発生している。
こうしたことから、スルーだけじゃなく咀嚼も大事じゃね?という素朴な発想が出てくるのも至極当然のことであった。こうして「スルーか咀嚼の法則」は生まれたのだ。
よくスルーは難しいと言われるけど、完全なスルーはむしろ簡単である。中途半端なスルーこそが難しいのである。
つまり、スルーすべき部分はスルーし、反応すべき部分にだけ反応するという丁寧な選り分けがもう、とてつもなくむつかしいのである。
しかし、よく考えてほしいのは、全てを丁寧にやる必要は全くないということだ。明らかに不毛そうだと思ったらばっさりと真スルーで問題ない。
ゴミ砂漠の中にある一握りの砂金など、気に留める必要はない。この手法のことをコンピュータサイエンスでは、枝刈りと呼んでいる。
枝刈りの結果残った部位には、明らかに有益な部位もあれば、有益な部分と有害な部分が半々で混じっている部位もある。
言うまでも無く問題は後者である。有害刺激にイライラしながらどうやって有益な部分だけ選り分けるのか?
ここでリラックスの概念を是非とも導入する必要がある。リラックスなんて知ってるよ。筋肉が弛緩している状態だろ?そう思う人が多いだろう。
しかしストレス医学では、リラックスとは単なる筋肉の弛緩状態ではなく、筋肉を弛緩「できる」状態とみるのが現代的だ。
「嫌なことがありました。臨戦態勢に入るために身体が緊張しました。問題が片付きました。片付いたのにまだ身体が緊張しています。」というのはリラックスしていない。
リラックスしていないから、翌日に疲れが残ったり、嫌な出来事を引きずったりしやすくなる。
リラックスしていれば、必要な時に必要な部分を必要なだけ緊張し、必要がなくなればただちに弛緩状態に「できる」。
精神的に言えば、すぐ平常心に戻れること。タイピングでいえば、すぐホームポジションに戻れること。それがリラックスである。
スルーにもリラックスしたスルーと緊張したスルーがある。リラックスしていれば、枝刈りした部分以外はすべて一旦受け入れることができる。だから取りこぼしが少ない。
これが緊張していると、細々とスルーするしないを選別してから受け入れようとするから、過大なストレスが発生してしまう。
しかも、受け入れずに選別するから、第一印象だけで雑に選別してしまいやすく、取りこぼしや不純物の混入が多くなる。
まずは丸ごと受容する。そして軽く咀嚼してから選別する。そうして選んだ部位だけをじっくり咀嚼する。これをするかどうかでストレス量が大違いなのである。