が、ブレインストーミングしてるうちに考えがまとまって、スッキリした。
→
責任がない=罪がない
罪がないから、罰を与えることはできない。
ただし、その行為は悪である。悪とは、自分のことしか考えない行為のことだから。
悪人であるにも関わらず、罪のない知的障害者を野放しにしておいて良いのか。
ホームから突き落とされるかもしれないぞ。
→
精神年齢の低い幼児と同じ。監督責任持ったものがしっかり管理すべき。
有り体に言うと、隔離すべき。
差別ではないのか
→
差別ではなく区別。差別とは、根拠の無く不当に人の権利を侵害すること。
基本的人権は?
→
もちろん生きて良い。だが人様に迷惑をかけると白い目で見られるのは当然。
迷惑をかけられる側からすると、多少の迷惑やトラブルは、”事故”だと考えると座りが良い。
→
NO。乗るべきでない、などと言うのは、人権侵害。
ただし、学校が盲目の学生の便宜をはかるために、登校時間をずらせるように配慮したり、
暴力的知的障害者のために、『社会的な居場所』を作ってあげたりするのは、良いこと。そうするべき。
みんなが安心して暮らせる社会とは、【隔離社会】のことだ。箱を作って各自が適切な箱に収まるのだ。
だから、ラッシュを解消したり、福祉を充実させたりするのがその方向のゴールになる。女性専用車用は中間に位置する。
→
ふーむ
→
キバを持ったドーベルマンを人のいるところに放置しておくのは、たとえドーベルマンが人を噛んだことがないにしても、許されるべきではない気がする。
たとえばもし、精神年齢4歳の知的障害者が身長2mで、レスラーのようにガタイが良かったら、どうだろうか。
被害者の盲目の女性は、加害者の知的障害者を許すべきか 許すべきでしょう、怪我もないようだし 視覚障害者が白杖を他人に当てても責めてはいけないのと同じ