幸せになるコツは、とにかく「動くこと」なんではないかと最近思う。
自分から動くことを止めれば止めるほど、もやもやとした未来への不安やまだ起こってもいないことへの恐怖に心が捕われ、ますます動くのが怖くなっていく。
考えるよりまず動く人ほど、人生を楽しんでいるように見える。
幸せの定義は色々あるけど、少なくとも、意味のない不安や恐怖におびえているよりは、そんなものとは無縁の人生のほうが、幸せに違いない。
わたしは昔から「頭でっかち」なタイプで、つい余計なことまで考えすぎてしまい、足が竦んでしまうことが多い。
その結果、ずいぶんチャンスを逃してきたように思う。
たとえば、今日は誰かとちょっと飲みにいきたい、そんな簡単なことでも、「あの人は忙しいんではないか」「今やっている仕事がいつ終わるかわからない。誘っておいて行けないなんてことになったら失礼だ」なんてことを考えているうちに、夕方になってしまい、「もういいか」ってなってしまう。
あと、ひどい時には、メールボックスを開くのさえ怖い、なんてこともある。「あの件について催促されているんではないか」「何か失敗したメールを送ってしまったのではないか」等と思うと、メールを開くのも嫌になる。その結果、自分宛にきたメールを見逃したりして、余計次のメールを開くのが怖くなったり・・・。ネットサーフィンとかをして現実逃避に逃げてしまうこともある。
こういう状態に陥ってしまった時は、我ながら「末期だな」と思う。
余計なことを考えずさくさく何でもできる人が羨ましくなる。
こんな私でも、大学生位までは、未来は輝いていると思っていて、変な不安に苛まれることは少なかった。勉強さえちゃんとやっていればあとは何をやっていても大体OK、お金やら就職やらめんどくさいことはとりあえず先延ばしでも何とかなった。
しかし、親元を離れ、社会人になって、どんどん不安になることが増えてきた。失敗することが怖くなってきたのだ。
勉強の出来不出来だけ(ほんとはそれだけじゃないんだけど)が重要な尺度で、勉強に関しては得意だった学生時代から、「お金を稼がなければいけない」という社会人になって、背負うものも色々出てきて、失敗が怖くなってきた。
でも、失敗を恐れれば恐れるほど、失敗が近づいてくる気がする。それがまた怖く、楽しいはずのことをやっている時も、心のどこかに不安がこびりついて消えない。それが足を竦ませ、心を縛る。
客観的にみれば、今のところは、食っていけるだけの給料はもらえているし、今日明日クビになって路頭に迷うほどひどい状況ではない。
しかし5年後、10年後どうなっているかはわからない。いや、それどころか1年後もわからない。そう思うと、やはり怖い。
他の人も、こんな不安を抱えながら生きているんだろうか?
SNSやら、同世代の友人の話なんかを聞いていると、悩みもあるんだろうけど、みんな希望や展望をもって生きているように見えて、羨ましいと思う事が多い。
とにかく動いてみて、道を切り開いている人が多い、ように見える。
余計なことを考えず、とにかくやるべきことをやる、というのも一つのスキルなんだろう。
ただ、こういったスキルは、別に先天的なものではなくて、訓練でなんとかなるのではないか、という予感もある。