同情が欲しいんだよな。
「頑張ったのに見返りがそれに見合わない」なんてことが続くと、「何でこんなに頑張ってるのに見返りが無いんだろう」って思うようになる。
だからといって「見返りが少ないんです!」なんて堂々と要求すると叩かれる。
だから「今までより更に見返りを求めずに頑張る」ことで、周りが「あの人だけ損してる。かわいそう」という空気が流れるのをひたすら待ってるんだよな。
でもなあ、そうはならないんだよなあ。
ただ単に搾取されるだけなんだよなあ。
下手すりゃ、頑張った結果体壊したら逆に「自己管理能力がない」って言われるんだよ。
そういう時、マンガでは主人公が一発逆転のアイデアを授けるんだよな。
そうしてそれが成功して、真面目にやる人がそれなりの見返りを貰う世界へと変貌する…
ところがねえ、マンガでは「真面目にやってるのに報われない人」ってのは間違いなくいい人と『読者』から認定されるけど、
現実の読者である『他人』はそうは思わない事が多く、逆に「真面目にやってるからこそむしろタチが悪い」などと批判される格好の的になるんだよなあ。
何故格好の的になるかって、そりゃあ…
例えば、あなたが「お前が悪い」って言ってとある人間を殴ったとしよう。
そしたら「お前のほうが悪い」と殴り返してくる奴と「そうだ俺が悪いんだ」と自分を殴る奴、戦うならどっちのほうが勝ちやすい?
って聞いたら、間違いなく後者を選ぶだろう。
「真面目」と「自傷的」は違うってのは、はい、そのとおりです。
「真面目な人」の中にも、理不尽な行為をされたら断固として抗戦する人間もおります。
それは間違いなく正しいと思います。
正しいと思います、が
が、しかし、
ここ日本では「和」を重んじるが故なのか、何かと「争い」に対して非常に厳しい目が向けられておりまして。
などと、「争う人間は愚か」という風潮が、未だになのか、むしろ今まで以上になのか、はびこっています。
見知らぬ相手が突然殴りかかっても、争いを避ける事が「賢」。
無理ですよ。
かつて孔子が「城壁は必要ない」と言ったのと同じような気がしますね。
ではなぜ理想論が「風潮」としてはびこっているのかというと、日本問題でよくある「体裁・暗黙の了解」ってやつですね。
刑事裁判は「疑わしきは罰せず」の「体」であるが、現実においてはどうかといえば…
パチンコはギャンブルでは無いという「体」、ヤクザは日本社会にとって悪だという「体」、などなど
これを上記の「争い」で言えば、争いは避ける事こそ最上の「賢」である、という風潮は、実は「体」なんですよ。
実際はいろんなところで争いは同時多発してますし、上記の風潮が守られてるのかどうかといえば、間違いなく守られてはないでしょうと言えます。
じゃあ、ガンガンあらそえ!なんて言っていいのか思うと、それもちょっと気がひけるというか。
タイトルほっぽり出して変なこと語っていましたが、
要するに「自分が損をすればいいんだ」と思ってる奴(俺含)は、多分恐らく自信はないが、「体」に縛られてる気がすると思うんですよ。
自分が損してる原因である理不尽な行為をしている奴に「お前が悪い」と言えば、そいつは「『お前が悪い』とは何だ!」と言い返してくるやもしれません。
そして、俺を無下に扱うための都合の良い「体」を並べて、反論してきます。「先輩に逆らうな」とか「理解しないお前が悪だ」とか。
でもそれ、ほとんどが現実に即してないウソの可能性が高いと思います。
そのウソを突いて、論理の破綻を見つけ、相手の悪事をばらせば、それ以降理不尽な行為はなくなってうまくいく…
はずがない。はずがない。
人間の歴史上、こんな問題はあまたの人間が考えてきて、その結果真の答えは出てないんだもん。
俺ごときに分かるはず無いさ。
あ、これも「体」か。
うざい
搾取側がそうと気づかれないように搾取してるのが社会です。 搾取されても気づかないまま幸せならそれでいいのです。