どうも昨日のエントリでこれ【「会話ベタ」を治すので、2分だけ僕に時間を下さい。】書いたものです。
そのエントリの冒頭で、共感なんてクソくらえみたいなことを書いたのですが、今日はそれについて。昔は僕もめっちゃ会話が苦手で、自分のことコミュ障だと思ってたし、悔しくてよく自己啓発本てか会話本とかを読んでいました。勉強(笑)してました。wそこに必ず出てくるのが、「相手の話に共感しよう」というフレーズ。お!なるほど!と思いもちろん意識はします。
俺「うん、うんそうだよな!俺もそう思う!思う。思ぅ…(リスカしょ..)」
…でも、会話が続かない。
なぜなら、俺は指◯が好きじゃないからだ。なんで好きでもない◯原を好きだと言わねばならないのか…。でもここで気がついたことがある。それは、本来「俺もそう思う」必要なんてないということ。ここが、会話ベタな人が陥りがちな罠だと思う。
本来、共感なんて「出来たらするもの」だ。相手の感じ方・意見が自分と一致「した」時にするもの。自分と相手のそれが合わない時に、でも無理やり合わせてそれをするのは単なる「同調」であり迎合。共感って相手の感じ方・意見と自分のそれとを一致「させて」、自分のそれをねじ曲げてするものではない。
だから、昨日あんなことを書いた。自分の心には嘘をついちゃいけない、じゃないと自分がなくなってしまう(というよりどうしたら自分が出るんだろう)…と思って自己主張がしやすい話し方、人に媚びない話し方(マインド)をずっと模索していて、今俺がとりあえず辿り着いたベターな方法だから。たえずああやって相手を傷つけない・尊重する形で場を楽しみつつ自己主張してみる。小出しにしつつ。共感はした時に表す。顔をひきつらせてまで無理にしない。…で、それを繰り返してるうちに色々考えられるように、自分の意見を持てるようになってくる。そこに関して、俺も本当にまだまだだけど。
そして、普段はノリを出せばいいけど、逆に真面目な話とかの時はトーンを落として、ノリを消せばいい。そしたら、余計に「言葉だけ」が相手に伝わるから。(もちろん「落としたトーン」というニュアンスが含まれるんだけどね。)
…ただ、こんなことを言っておきながら、相手のため・場のために共感「する」というのは有効だとは思うよ。テクニックとしての共感とでもいうか。ただ、可愛くもない◯◯を可愛いー!!なんて言えるのはお世辞・社交辞令をさらりと言える人だけ。これも必要なスキルではあるけど。
でもここで、勘違いしないでほしいのが、特に女のいう「可愛いー」がいつもいつもこれをしてるからというわけではないということ。そこには感受性の違いがある。自分の感受性で人のそれを推し量るのはやめた方がいい。同じだと思わない方がいい。感受性の違いって簡単にいえば、「笑いのツボ」みたいなもんだ。浅い奴は何を言っても笑う。本当に面白がって。そういうこと。
更に、言葉にするから表情にするからその感情が換気されるという側面もある。だから、とりあえず大げさに笑ったり、ウケるwとか言ってみるといいよ。こういうのリア充・DQNの話し方とか思って敬遠しちゃう人は、外国人をイメージしてみるといい。そして、感受性を高める努力は絶対に大切。笑う、運動する、映画とか見る、知識を得る、人と話す、話してるのを見る・聞く・それを真似るとか。とりあえずこうなりたいなって人がいたら、その人の言葉(の調子、昨日で言うニュアンスでの相槌、感情の込め方)とかを真似してみるといいかも。
そして、下ネタ言っても許されるキャラになれるくらいまで、ニュアンスを操れるようになれば、多分その時はそこまで自分のこと会話ベタっては思わなくなってるよ。無理無理…っていうじゃん? でも下ネタってただ言葉にしたらキモいんだよな。そこをどうキモくなく、楽しく伝えられるのか、そういうニュアンス込められるのかっていうのは、試金石であり研磨石だと思う。