人と人の関係は、シンプルに考えれば「出会いがあって、お互いに好意を持ち、やがて交際に発展する」だろう。
距離感と親しさのレベルには強い相関関係があり、ゲームに例えるなら最初に相手に1円出して、そこに相手が1円返してきてトレード出来たら次は2円か3円、更に5円出してみても相手が3円しか返してこなかったらこっちも3円で様子見・・・という感じだ。
身も蓋もない書き方だが、ともかく相手との親密さはそんな風に「レベル制」で上がっていくことが、世の中の前提となっている。
何故そうなっているかといえば、普通の人間にとって距離感を察知し、そこから適切な親しさのレベルを計算することは、ごく自然に感覚的に出来てしまう、あるいはそれなりに場数を踏むことで出来るようになってしまうからだ。
その意味で自分は社会性が全くないというか、社会性という観点では人外、あるいは宇宙人なのだと思う。
というのも自分は距離感を感じ取れない上に、「親しい」「親しくない」しか感覚的に持ち合わせていないからだ。
上述のゲームで言うなら、感覚に任せてプレイすると「1円出す」or「札束ポン」だけしかない。
まさしく1か0か。
したがって大多数の普通の人にとって、自分のイメージは「よそよそしい」か「馴れ馴れしい」の2つに1つだ。
勿論これは、今の御時世だとよそよそしい場合はぼっちに、馴れ馴れしい場合はストーカーになる恐れがある。
そこまで行かなくても色々トラブルになる可能性は高いし、実際今まで沢山問題が起きた。
なので仕方なく人に相談したり本で勉強したりで、「この人との距離感は、出会ってから今までの経緯を推察して多分これくらいだから、ここまでは変じゃないだろう」といちいち頭でロジックを組み立て、どうにか「ちょっと変わった人」くらいで済むようにしている。
しかし相変わらず精度は悪いし、何より他人への興味以上にめんどくささが先に立つようになってしまった。
ハードウェアレンダリング出来ないのでソフトウェアレンダリングしてみたらCPUやメモリに負荷が・・・みたいな感じだろうか。
付け焼き刃のテクニックで辛うじて普通の人っぽく振る舞って、何とか親しくしてもらっている後ろめたさ、それだけでも鬱陶しいし、イライラするのだ。
でも生きるためには絶対に避けられない。
でも普通であることがどれだけ望んでも手に入らない人間にとって、普通というのがどれほど価値あることか。
まあ普通がつまらないというのは型破りな人間を羨ましがっていて、自分みたいな型無し人間なんてお呼びじゃないのは分かっているけど、文句の一つも言いたくなると。
私はパンを焼いてあげました。 だからあなたも私にパンを焼いてください。 私は誕生日プレゼントをあげました。 だからあなたも私の誕生日にはプレゼントをください。 私はこ...
ああ、いかにも女は無償で何の見返りも求めない愛情をくれるのが当然だと思ってる キモヲタが好きそうな台詞だよねそれ。
1円→3円→5円→8円とか絶対無理。 1円→10円→我慢できなくて100円!! ってなって、100円のお返しに期待に胸を膨らませていたら相手が引いてしまって、 そこで自分も急に怖くなって...
1円→10円→我慢できなくて100円!! そう、まさしくそれなんだよ。 興味に火が点くとまっしぐら、相手の気持ちは全く見えなくなってしまう感じ。 それで相手がドン引きして我に返...
俺も似たようなもんだなあ。 ちょっと前までは100円程度の仲しか知らなかったのに とても親しい1万円くらいの友人ができてからは興味を持つとすぐ馴れ馴れしいレベルにまで行ってし...