難しいなぁ・・・
昔、テーラーで、オレはゼニアのYシャツ10枚も買っちまったぜ、ゲハハハハハみたいな感じで、ブランド名と数字の桁しか言えなくて、ヒンシュク買ってたオッチャン見たことあるからなぁ。
金銭的成功が必ずしも、成功かというと、成功だと思ってるのは本人だけって例もあるからなぁ。
それこそ、0の桁を気そうなら、銀シャリならぬ金シャリ(金粉まぶしのコメ)でも食ってるのが幸せなんだろうしなぁ。
金で幸せは買えないが、それに横付できるボートは買える。って言った人がいるらしいが・・・お前の腕がなければ島に付く前に転覆することもあるよね的な。
あぁ、長くなった。端的に言えば、苦労することで知ることもあるから、まぁ、それはそれでインじゃね?
長い人生、あんまり、効率的に夢を叶えすぎると、そのうち、見る夢が、0の桁を増やすぐらいしかなくなっちゃうぜ。
ゆっくり噛みしめて行くぐらいで、実は丁度いいよ。
後輩たちの追い出しコンパに行ってきた。
つい先日、部活に勧誘した気がするけれど僕はもう20代も折り返しをとっくに過ぎている。
あの頃、高校を出たばっかりで子供っぽさを残していた後輩たちも、気がつけば大人の顔をしていた。
これから4月まで、みんなどんな日々を過ごすんだろうか。
ふっと、自分の昔を思い出した。
4月に就職するまでの、最後の自由な日々。
地元に帰っていく友人をみんなで見送り、遠くへ就職した友達との別れを惜しんだ。
残った仲間で大阪の繁華街の小さな公園で明け方まで鬼ごっこやハンカチ落としをして遊んだ。
笑顔で手を振って別れて、彼女(大学の同期)の引っ越しを手伝ってから朝まで仮眠をとった。
離れ離れになる彼女と手を振って別れて、新快速に乗ってから涙が溢れそうになった。
辛くて堪らない日々もあった。悔しくて堪らない事もあった。
でも、素晴らしい出会いがあって、素晴らしい友人がいた。
友人たちとは時々会えてるし、メールだってできる。
きっと、何にも失くしてないんだと思う。
僕の大切な後輩たちが同じように思えるように願っている。
長年人付き合いで悩んできた挙げ句40歳間際になって見つけた究極の人付き合いの法則。
人付き合いで悩んでる人に是非伝えたい。くれぐれも、人付き合いで悩んでいない人はこの文章を読まないこと。お前みたいな奴の反論が一番ウザイ。
法則は2つある。
1. 相手に質問しない
2. 相手の発言にいちいちコメントしない
3. 笑いをとろうとしない
4. 相手と自分を区別しろ
5. 気遣いなんてしない
これでだいたいのことはうまくいく。
1. 相手に質問しないことにより、相手に返事するめんどくささを感じさせない。これだけで大きなアドバンテージがあるのだ。
質問力などというクソったれな言葉が生まれたせいで、ともするとコミュニケーションで質問を多用しがちだが、これは間違ったやり方だと断言できる。
2. 発言にいちいちコメントするのは馬鹿のすることだ。だいたいお前の感想なんて聞いてねーよって言われるのがオチだろう。
であれば、最初から感想など言わなければいいのだ。感想をやたら言う人は、相手との距離感が分かってない人間である。他人の発言なんて適当に流せ。
何か反論したくなること主張してても流せ。くっだらねえこと言ってるなと内心思っておけばいい。言わせておけばいい。
3. 必死に笑いをとろうとしてる人間はなかなか見苦しいものがある。第三者が見てるだけでも重圧感を覚えるし、どや顔でギャグ言われた相手は返答に困ってしまう。
お前が笑いの天才なら話は別だが、一般庶民が笑いで人と仲良くなろうなんて浅はかな考えはしないほうがいい。
4. 他人は他人、自分は自分だ。全く別の生物種と考えるといい。他人を自分のモノサシで測ることほど愚かなことはない。別の生物種だということをよく覚えておけ。
5. 余計な干渉は禁物であるのと同様に、余計な気遣いも不要なのである。気遣いなんてされたほうの身になってみろ。気遣いとは、相手に気を遣わせる行為である!
気遣いを止めたとたん俺の人生は楽になった。そして、幾分か他人から嫌われにくくなった。優しくしようと頑張ってきたが、それは間違いだったんだ。自然体が一番。
首相「税金払ってないことも知らなかっただけ」
「税金を払っていなかったわけではない。税金を払っていなかったこと自体も全く知らなかったことで、分かった瞬間に納税の義務を果たしてきたつもりだ」
鳩山首相は22日夜、母親から巨額の資金提供を受けながら申告せず、自らの資金管理団体の偽装献金事件の発覚後に修正申告で約6億円の贈与税を納めたことについて、語気を強めてこう説明した。
首相官邸で記者団が「税金を払っていなかった首相を税金で支える国民の気持ちをどう考えるか」と質問したのに答えたものだが、税金が未納だったからこその修正申告に対する首相の“強弁”には、異論も出そうだ。
人をイラつかせる天才だな。
トヨタのリコール問題だが、なにあれ? ちょっとプロとしてあの態度はまずかったと、正直思った。結局トヨタリコール問題は全権が社長に(つまり最も適した対応が出来る人に)委ねられることになり、その後沈静していくと思う。
なので、ちょっとこれを機会に、適切なクレーム対応というのを書いてみたい。
前回はクレーム処理で目指すべきゴールについて書いた。
そこでの結論は、
(クレーム処理の)ゴールは商品に何ら欠陥がないことを証明することではない。お客の中で発生している「理不尽な思いをした」という心をなだめ、そこで発生している問題を解決するところにあるのだ。
と言うことになるのであり、心構えとして、
クレームは商品に発生してるんじゃない、顧客の中で起きてるんだ!
もしクレーム処理をする局面に突入したら、レインボーブリッジを封鎖しながら、ぜひとも叫んで、気合いを入れて乗り切って欲しいところである。
トヨタのリコール問題はABSに問題がないことを告げ、お客を怒らせてしまったところにあることは既に書いた。しかしこのように書くと、なんでもお客さまのいうことが正しくて、それを全面的に受け入れなければならない、と読んでしまう短絡的な人が現れてしまいたいへん困るのである。
もちろん問題がないのであれば、それをあえて「問題がある」という必要はないのは当然だ。ただ、「問題がない」=「問題があるのはお前だ」となってしまうのがまずいのである。
この差が分かるであろうか?
クレーム処理とはお客さまに対話の機会を提供する事であって、どちらが正しいかを議論すること、ではないのだ。
昨今、ちまたにお客さま至上主義という言葉があちこちに溢れている。
お客さまによいことはなんでもしようという立場を取ることは、たいへん危ういというか、ほんとうに理解しているのだろうかと訝しがって眺めてしまう。
これには論点が3つある。
1.利益になるなら/なったならお客さまによいことはなんでもしよう。
(ただし、コストが合う範囲で)
2.お客さまの言うことはなんでも聞く(ただし聞くだけ)という態度は改善点を呼び込みやすくなる。
3.わたしたちは、お客さま至上主義に最適化した事業を構築した。
1.の論点は非常に分かりやすいと思う。お客さまの言うことを聞きはするが、それは利益の出る範囲でしかやらない、と言う観点だ。たとえばそのお客さまが既に商品を購入していて、そのアフターケアとしてお客さまの言うことを利益が出る範囲でやるのであれば、それは当然に当たり前の事だ。また、そのお客が見込み客として将来利益を生む源泉となるのであれば、当然に営業活動の一環としてやるべきだろう。
しかし、こうみてくれば、当たり前の観点で、利益どころか損害になるお客はわざわざ大事にする必要はないし、単にたかるだけのDQNなら、放り出して、塩でもまいて、二度とのれんをくぐらせないぐらいの覚悟は必要になる。問題は、そのお客が利益になるのか、ならないのかの見極めであり、当然に利益になりそうなお客と、損害になりそうなお客ではこちらの態度を変える。問題はその目利きとしてのお客を見る目であり、逆に言えばすべてのクレームは金にならないと考えるのは、商売人失格と言える。
2.の論点は別の要素も含むので、若干説明が難しい。基本的にクレーマーは、問題点を改善し二度とそのような理不尽な思いをしないこと、そして、その理不尽な思いをしたということにたいして、なんらかの手当をしさえすれば大抵引き下がるものなのである。そのなんらかの手当が、菓子折であるか、おいしいお茶と1時間の会話であるか、懇切丁寧な初動対応であるかは、お客によって変わってくる。しかし、少なくとも精神的な苦痛を受けたので慰謝料を払えというレベルで迫られるのは、よほど対立が激しくなって、大喧嘩に発展させてしまった場合か、相手がDQNな場合だけだ。
また、この論点は、こちらの改善点がお客さまの観点から見えてくる、という部分でも重要である。クレーム処理は懇切丁寧にお客さまが遭われた状況をお聞きするだけで、解決することが多い。そしててきぱきと問題の解決をしてあげる事で、安心するものなのである。
この点は後ほど書く。
3.の観点は、かなり特殊なケースでありレアケースとして、まれに無差別的お客さま至上主義を導入して成功する例があるという話だ。
お客さま至上主義を掲げる企業として有名な所と言ってどこが浮かぶだろうか?
真っ先に思い浮かぶのが世界最大の小売りチェーン、ウォルマートであるが、このウォルマート流の「顧客は常に正しい」をそのまま導入してしまおうとすると、たいへんな目に遭う。なんといってもウォルマートは、この顧客至上主義に特化して、自社のあらゆるものを構築しているのであるから。
ウォルマートでは、顧客からの返品はいつでも受け付けているが、その返品はそのままサプライヤーへ送られ、この損害はサプライヤーが受ける。つまり、この顧客によいサービスでウォルマートは一切の損害を受けない。
また、非常に安い賃金で従業員を雇い、徹底的にマニュアル化された顧客対応をする。
ウォルマートは、経営方針から、会社のシステム、社内ルールに至るまで、すべてを顧客至上主義に特化しているのである。これを、なんの備えもない普通の企業がまねたからと言って、損失を出してしまうだけに違いない。もしくは最下層の従業員にしわよせが行くだけになる。
日本の企業であればディズニーランドを運営するオリエンタルランドだろうか。
しかし、オリエンタルランドも、その顧客サービスはあの管理しきられたディズニーランド内のみでおこなわれている。たとえばディズニーランド内のゴミをせっせと拾う話は有名だ。ゴミ1つ落ちていない状況を作ることによって、お客にゴミを捨てにくい状況を作るのだという。同じように、ディズニーランドではDQNのような乱暴なお客が出にくいように、楽園的な雰囲気を維持している。それが抑止力になり、顧客至上主義を展開しても、お客が無茶なことを言い出しにくい環境を作り上げているのだ。
もし手軽にディズニーランド気分が味わいたいのであれば、Apple Storeを訪れてみてもいいだろう。確かに店員は親切にしてくれるのではあるが、店内は店員であろうと顧客であろうと親切で上品に振る舞わなければならない雰囲気に満ちあふれている。
このように、顧客至上主義を唱えて成功する企業は、同時に顧客がめちゃくちゃなことを言わないような、幾重もの施策を打ち、まるで要塞のように守られた環境で、その顧客至上主義を実現しているのだ。
もし一介の一社員がそれを1人でおこなおうとすればどうなるか。
それは、経営の問題であって、全社的にそれが上手く回るように取り組むのであればわかるのであるが、たった1人でおこなおうとして、出来る代物ではないのだ。まず、ここを押さえておきたい。
クレーム処理とはどんなものかと聞かれて非常に的確な言葉は、危機対応であると思う。自社のサービスを受けていたお客さまが理不尽な思いをする。そのときの危機対応を的確にすることが出来るか、これが的確なクレーム処理が出来るか否かであると思うのだ。
しかし、そのような危機というのは、頻繁に発生してもらっては困るものである。
たとえば、スーパーにやってきて買いものをしたら、その牛乳から異臭がする、腐っているのではないか。
このようなクレームが入ったとする。
しかし、よく考えてみれば分かるように、そんなことが頻繁に起こっては小売業失格であるし、だいたい洗練された鮮度管理を徹底した売り場でそのような事が起こるはずもない。それでもこういったクレームは必ず、ちらほらと発生する。
この場合、大抵その原因はそのお客の勘違いであるのだ。
店側に問題があることはほとんどない。
けれども、どうであろうか。お客さまはそう思い込んでいるのだ。牛乳が腐っていると。
このとき、クレーム対応者はこう思うとよい。
これはお客さまからの抜き打ちテストだ。
もし万が一、そのような事態が発生したときに、そのお店の人間は適切な危機対応が取れるであろうか、それをお客はテストしているのだと。それは避難訓練みたいなもので、もし万が一が危機が起こっても、そのお店は的確に対応できるとお客さまを納得させる、これをゴールとして考えるのだ。
お客さまは、普段はそのお店で信頼して買いものをしている。
すくなくとも卵が腐っているかもしれないとびくびくしながら買い物をしていないことは間違いないと思う。しかし、あるとき、ひょっとしてと、その信頼が揺らぐときがある。そしてお客はそれをお店に突きつけてみるのだ。
ほんとうに、このお店は鮮度管理がしっかり出来ているのだろうか、と。
もし、この危機対応テストで、いや、腐ってませんよ? などと言ったら、お客さまは確実にテスト結果に落第点をつけるだろう。そして、もしほんとうに腐っていても、同じように言い訳をするのであろう、と思い込み、店の信頼はがた落ちになる。
初動としてどんな対応がいいのだろうか。
こんなのはどうだろう?
「ちょっと、この牛乳腐ってるんじゃないの? 変なにおいがするのだけど」
「はい、変なにおいがしますか。不快な思いをさせてしまいたいへん申し訳ありません。当店は鮮度管理は行き届いておりますので、そのようなことがあるとはにわかには信じがたいのですが、万が一と言うことがございます。たいへんお手数ですが、いつお買いになられたのか、などをお聞かせ願えますか? 至急調査したいと思います」
この対応のポイントは、お客さまが変なにおいがしたという不快な思いに対してのみ謝罪している、という所だ。まずお客さまの主観を一切否定せず、主観的に不快な思いをした点にはのみ謝罪している。牛乳が腐っているとはみとめておらず、万が一があるので、調査したいと切り返している。
顧客にしても、このケースはでは牛乳が腐っているかどうかはどうでもいいのである。
顧客がみているのは、ほんとうにこの店は大丈夫なのか? と言う部分なのである。
このような観点でトヨタのリコール問題を振り返ってみると、トヨタはこのお客さまの抜き打ちテストに落第してしまったために、何か問題があっても嘘をつくに違いないと思われてしまったところに敗着がある。
クレーム処理は危機対応の抜き打ちテストみたいなもので、そんな危機にどう対応するかがみられているのである。牛乳が腐っているかどうかはどうでもいいのである。
(つづく)
生きてて良かったと思えるほど内容が素晴しかったのはもちろんだけど、もう一つ収穫があった
英語の勉強をはじめたのがStrikerSくらいだったから3年近く勉強していたわけだ
思わぬところで成長が実感できてうれしかった
今はcoreを終えてadvancedの半分くらいまでやった
控えめすぎる人は、みんなもっとずるくなっていいんだと思う。
もっと器用になってもいいんだと思う。
と身近で世渡り上手な人を見るようになって、思うようになった。
世渡り下手な人はね。遠慮するところを間違ってるんだって言われたよ。
世の中迷惑かけられたり頼られたりした方が嬉しい人って、たくさんいるらしい。
自分が迷惑かも…って言わなかったことを隣であっさり言ってて。
別に迷惑そうじゃなく普通に受け入れられてて。
あ、それでいいんだ…って思った。
自分的には迷惑かも…ってすごく心理的抵抗があったのに。
傲慢なのは同じように許せないと思うけど。
だからって周りを気にしすぎておどおどする必要もないって近頃思うようになってきた。
期待というか、何を信じるかだと思うよー。
それで期待っていうのはチャンスなんだと思う。
スーパーマリオで遊んでると、
走ったりジャンプしたり障害物をよけたりして頑張って進むんだけど
でも、無敵でもゴールに向かって走らなきゃ意味が無いんだよね。
人生も波があるんじゃないですか。上がったり下がったり。
誰かに何かを期待して、その期待が裏切られたときに、
その誰かに対して怒ったり恨んだりするのは、逆恨みだ。
最初から誰にも、何も期待しなきゃいい。
家族も、友人も、恋人も、同僚も、会社も、社会も、国家も、宗教も、
何も期待せず、何も信用せず、何の希望も抱かないほうがいい。
分かってくれるとか、救ってくれるとか思うから、
分かってくれなかったとき、救ってくれなかったとき、失望するんだ。
未来の成功や安定なんて、全くあてにできない。
自分が何かを成し遂げられるなんて、思うほうが間違いだ。
こうして全ての期待、信用、希望をなくしても、それでも生きていかざるを得ない。
負け戦を戦う。徒労に終わる努力をする。理不尽な境遇を受け入れる。
「今、生きていること」だけを唯一の存在理由、存在価値とする。それしかない。
ttp://www.asks.jp/users/hiro/66376.html?thread=1923144#t1923144
(ないしは機械のアシストを得て2人でする仕事が1人の仕事になる)
スーパーのレジ決済を自動化する技術は既に出来ているのにもかかわらず
現実そうなっていないのは、人を使った方が安いから。
自動改札機の導入は良い例だろう。
「私は病気だから労わられて当然、貴方は健常者だから私に全力で配慮しなさい。
なんでこんなに傲慢になれるんだろうね?
人は謙虚であることが当然であると思ってた。でも最近は、そうじゃないかもって思うようになってきた。
自分はいつも周りに迷惑をかけているのではないかと、誇張して言えば常におどおどして過ごしている。仕事の立場上人に仕事をお願いしなければいけないこともあるけれど、その依頼をするときだって「ほんとに申し訳ない」って心が裂けそうな思いをしながら依頼してる。
そしたら、多分、自分は周りから浮いてる。そりゃ当然かも。相手に対してこんなにずっと気をつかってたら、打ち解けられないのかも。
もう、人づきあいをどうすればいいのか、全く分からないよ。傲慢にもなれないし謙虚な態度も間違っている気がする。中庸が分からない。
…と、関係ない語りですいません。理不尽とか、傲慢とか、自分には絶対受け入れられない事象です。元増田さんはすごく疲れているように感じるので、どうにか少し休んでほしいです。
ttp://organ.iza.ne.jp/blog/entry/794525/
普通の生活をしている一母親が最近体験した実話をお伝えします。
その方が最近になって「これから生活が楽になるからパートはやめる」と話し始めました。
「自分達も日本にずっと居続けられるから、いずれ親兄弟も呼び寄せる」という話でした。
両親とも中国人なのにどうして子供が日本国籍?片親じゃないのに母子手当て?
疑問がいっぱいでした。
今回の件でやっと疑問が解けました。
戸籍も何もありませんから、この夫婦関係を証明するものもないですし。
「私達”みんな”この話題でいっぱい」そう言ってた事に怖さを感じます。
ちなみにこの方の口癖は「在日ズルイ。うらやましい」です。
テレビ離れ” 「番組の質が落ちた」「お笑い芸人ばかりでつまらない」など厳しい意見
ttp://aresoku.blog42.fc2.com/blog-entry-1569.html
723 名前: チョーク(埼玉県)[sage] 投稿日:2010/02/19(金) 01:17:03.67uZgLWzyO
お笑い芸人ばかりというけど
それは視聴者が求めてる事だからw
多いって事は他のコンテンツよりも数字取れるんだよ
754 名前: 乾燥管(dion軍)[] 投稿日:2010/02/19(金) 01:21:55.86Cb8El12T
»723
その通り、もうそういう奴しかTV見てない、クライアントもわかってるから
すき家店員だけどお前らなんでそんなに心が狭いの?
ttp://suiseisekisuisui.blog107.fc2.com/blog-entry-1167.html
クレーマー→客
只の客でありながら「俺はお客様だ。誠心誠意接客しろ」と言うのは理不尽な話です。
なおネギ抜き・ネギダク・ツユ抜き・ツユダクはマニュアルには元々はありません。
吉野家で流行ったのを多くの客が「牛丼業界でデフォルトなんだ」と思い込み
すき家・松屋などで「何で出来ないんだゴルァ」と押し付けたので仕方なく出す事にしています。
つまり本来ならば特例なんですよ。
むしろメニューに無いものを特別に作ってるんですから感謝こそすれ、
肉の量やらツユの量やらで文句を言われる筋合いは無いです。
第44回 妻を褒めよう
ttp://www.nikkeibp.co.jp/sj/2/column/da/44/
わたしは小学校教師のころ、連絡帳などを書くときに、子どもだけでなく、その親も褒めるよう努めていた。すると、あるお母さんがこんなことを書いてくれた。「先生、わたしは母親になってから初めて褒められました。ありがとうございます」。
懇談会で話したら、ほかの多くのお母さんたちも「褒められたことがない」と言い出し、その話題で盛り上がったことがある。
お母さんたちは結婚前、あるいは出産前までは、いろいろな場で褒められるが、いざ子どもを持つと、「ちゃんと育てて当たり前」「うまく家事を切り盛りして当たり前」と、褒められる機会がなくなってしまう。
学校でも先生方は、子どもを褒めても母親までは褒めない。お父さん方も妻を褒めないし、おばあちゃんやおじいちゃんも褒めてくれない。
世の中の多くのお母さんたちは、「こんなに頑張っているのに、どうしても誰も褒めてくれないのかしら」と本音で思っている。
ネットに完全に負けた新聞 もうすぐ終了 42歳記者「年収ベースで200万減った」
ttp://blog.livedoor.jp/himasoku123/archives/51438850.html
93 名前: 電卓(愛知県)[] 投稿日:2010/02/18(木) 23:47:13.82 ID:A11Vhue5
>東大卒の頭脳明晰集団の組織が時代の流れに沿った先手先手の対策を打てなかったという事実である。
ビジネスモデルそのものが破綻するんだから対策しようがないだろ
車が発売されだしたぞ、馬車が売れなくなる!どうにかしろレベルの話
155 名前: イカ巻き(catv?)[sage] 投稿日:2010/02/18(木) 23:59:43.10 ID:1IRsP9ik
»93
笑い話でもない。YahooJapanが登場したのが96年ごろ。当時は読売、朝日などの
系列マスメディアの存在感とボリュームはヤフーの100倍、いや1万倍はあった。
それがわずか5年後には肩を並べ、10年後には10倍以上の規模に逆転し、15年後には
滅亡に追いやろうとしてるんだからメディアの変遷は凄まじすぎる。
YahooJapan登場当時、思ったもんだ。「こんなもん大手メディアが進出したら
吹き飛ばされるだろw」ってな。それが業界利権の理屈と殿様商売根性で腐りきってて
「メディア産業のエリート揃い」のはずのマスコミがこの間、何もできなかった。
170 名前: そろばん(愛知県)[] 投稿日:2010/02/19(金) 00:01:44.73 ID:A11Vhue5
»155
そうかポータルサイトそのものに乗り出すってのがあったか
ものすごいチャンス自分たちで捨ててたんだな
178 名前: 霧箱(愛知県)[] 投稿日:2010/02/19(金) 00:03:46.50 ID:jtYU9c61
»170
実際この10年、15年、何も動かなかったんだから凄いよな。
凄い間抜け。
ttp://pikapika.to/~yf/momoka.cgi?op=readmsg&id=2918
ぼくが会社を辞めたのも、「自分自身が会社の利益に貢献できていないから」という理由からだった。「会社のお荷物になりたくない」、そう思って会社を辞めていく人って、けっこう世の中にいるんじゃないかと思う。ただ、それでその後ぼく自身どうなったかというと、今の状況があるだけだ。2010年2月現在、再就職をするのは難しいし、一般的にお金を稼ぐのが難しい状況になっている。
だからとくに、「今いる業界や職種が厳しいから」という理由でジョブチェンジを図ろうとしても、けっこう難しいんじゃないかと思っている。
仕事のしすぎで精神的におかしくなってるんじゃない?とのご指摘を受けたこともあったけど、この2月からいよいよ暇になって、余暇時間を増やしてもいっこうにこの精神的な苦しみは改善されないことが分かった。少しだけ、そっちの可能性に期待していただけに残念だ。
思えば2009年は悲惨な一年だった。復職から一年、昨年は自分的に「動かなければ!」と目覚めた一年で、前半はそれこそ一所懸命に仕事&資格勉強に励み、後半は合コンに頻繁に参加し出会いを求めた。結果はどうだったろう。惨敗そのものだった。
仕事はもともと自分の興味に合致していなかったものだということはあるが、やればやるほど虚しさだけが募るだけだった。果たしてあれだけ時間をかけて、生み出した付加価値ってどれほどのもんだったろうか。一時期、それは確かに過労から精神状態がおかしくなってるのではないかと自分でも思うことがあった。それほど働いた。なのに、得たのは徒労だけ。オーバーワーク気味に同時期に資格の予備校にも通い出し、平日は長時間残業・週末は予備校通いで埋まるという生活を過ごした。ひどかった。今は、もう、いい。月20時間も残業してれば充分だわ。ていうかもはや会社に定期的に通うことさえいやだわ。仕事が嫌で嫌で仕方ない。自分で砂山を作ってそれを自分でぶっ壊し、もう一度砂山を作って…という作業にしか感じられない。自分の成長感が全く感じられない業務。苦痛すぎる。
ところで、なぜそんなに仕事&資格勉強に没頭したかというと、それはもともと自分の鬱要因の本丸である「人との交流がない」という部分を穴埋めするために病的にのめりこんだ節がある。よって後半からは方向転換した。(というか意識的に転換したのではなく、偶然機会があったからだけなんだけど)合コンに活発に参加するようにした。その結果は、…言うまでもない。分かったことは、自分に自信がない人間というのは絶対に女性からは相手にされないということ。そして人生においてもはや自信を構築していく機会を逃した自分は、これからもずっと女性との縁はないということ。悲惨だわ。
ネットで友達作ればいい、はてダやTwitter始めれば友達できるよ、なんてアドバイスを増田でもらったことがあったので、つい最近それらも始めてみた。でもさ、何も起きないよ。はてダは閑古鳥が鳴いてるし、Twitterなんか文字通り単なるつぶやき状態で誰からもレスポンスをもらえない。人とのつながりは一切感じない。2ちゃんのオフもmixiのオフも参加してみた。でも、オフってその場限りなんだよな。リアルのつながりから発生しているコミュニティならともかく、ネットで初めて出会うようなコミュニティではその後のリアルの付き合いというのが全く発生しなかった。どれもが単発的なもの。せっかく気の合いそうな人とかがいたのに、一層寂しさを感じるだけのイベントだった。
というわけで、正直もう自分的には詰んだ感が大きい。これほどの孤独感と欠乏感を抱え込みながら生きていくことは相当に辛い。楽しいことは、ほとんどない(たまに、小説や映画が面白い時があるくらいだ)。もう社会人になってしまって、これから環境が劇的に変わることはないだろうから新しい人間関係を作る機会もないだろう。そう思うともう一生このまま=絶対いやだ、ということ。
以上をふまえ、本日メンタルクリニックを予約した。診療日は来週木曜日。自分的には本当に最後のカードを切った感がある。これで少しでも気持ちが楽にならないようであれば、ほんとにやることやらなきゃいけないと思ってる。ほんとにもう辛いのだ。一人っきりが辛いから休むことさえ辛いのだ。目が覚めたらその瞬間からもう気持ちが落ち込んで、それはそれは苦しいのだ。薬とか、絶対飲みたくないなと思ってたけど、仕方ない。根本の原因が解消されることなく薬でごまかすだけなんて何の意味もないじゃないかと思っていたけど、もうそろそろこの苦痛は限界だわ。致死量。ひとまず対症療法を図り、その結果も芳しくなければ…。
何が書きたかったかというと。大学までにおける人生経験の蓄積・自信の醸成がとても重要であるということ。社会人からの人格・人間の転換はものすごく難しいということ。それらの「ことの大きさ」を伝えたかっただけだ。勿論、頭のいい皆さんは当然ながらご存知でしょうか。
駄目だ。これだけは人に勝ってるよと、1点だけでも自分の内面に自信がなければ、その劣等感はほんとに人間を蝕んでしまうよ。学歴とか、会社名とか、そういった要素は全く役に立たなかった。人間としてのこれまでの経験、そこから得られた友人・恋人、それらこそが重要なのである。それらを得ることに失敗した僕はまもなくバッドエンドを迎えます。皆さんも要ご注意を。
ごめんなさい
アグネス・チャン「ソマリアの夜明けはまだ来ません」 アパーム!弾もってこーい!!
ttp://netouyonews.net/archives/2682389.html
11 名前: 目打ち(アラバマ州)[sage]:2010/02/19(金) 17:41:39.49 ID:ruGKKDiY
»5
>無政府状態の続く東アフリカ・ソマリア北西部のハルゲイサ
上手い事書いてるなww
6 名前: 鍋(catv?) []:2010/02/19(金) 17:39:31.23 ID:p8Th2qvA
18 名前: プリズム(アラバマ州)[sage]:2010/02/19(金) 17:44:46.74 ID:GePDucpj
24 名前: カンナ(関東・甲信越) []:2010/02/19(金) 17:48:47.76 ID:1EMkAvL5
いいからチベットいけや
25 名前: 平天(東京都) []:2010/02/19(金) 17:49:06.26 ID:eTyABMs/
国際的に承認されてないからって
さすがに卑怯なんじゃないだろうか
36 名前: 修正液(長屋) []:2010/02/19(金) 17:55:46.42 ID:YIjjUkSV
巻き込まれて、苦しむ子供たち。
ソマリアの夜明けはまだ来ません。
ソマリランド民「はぁ?」