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はてなキーワード: 反戦論とは

2023-11-10

anond:20231110183157

お前は「アメリカ」って言った時、たぶん政府っていう単一存在のこと考えてると思うんだけど、違うんだよね。

もっと個々人の小さい意図みたいなもんの集積がある。

儲かるから武器増産しよ!ってやつとか

イスラエルの高官にご縁あるからちょっとだけリップサービスするかとか

そういう個々ではちょっとしたものの集積。そういうのがある。

 

陰謀論反戦論者は、そういうのがある、って事実を指摘しては「政府陰謀」とかいうんだけど。そうではない。頭のいいやつの意図した狙いとか誰かの遠大な計画とかではない。

 

で、お前は反対に「政府陰謀なんか無いよ」という事実から、焚き付け的なそういうのも一切無い、って誤った結論見出ししまう。陰謀論者の立場に立たないつもりで、似た位置に足を踏み入れてる。気をつけろ。

2021-05-14

コロナ反戦論

戦争って現代においては「俺が嫌いな奴は皆殺しだぜヒャッハー」ではなく「相手全然話聞かないんでね?いやこっちもやりたくないけど仕方ないんですわー」とか「向こうが先に手を出したので自衛のために仕方なく」って建前が最低限ないと行えないものだと認識している。

自衛隊は専守防衛から軍隊ではない」というのは意味不明、なぜなら「攻めるためと言って組まれ軍隊」なんて今日存在しないのだから。そう言っていたのは井上達夫だったか

その上で日本における反戦というのは「いかに仕方なかろうとも、それをやってはいけないのだ」という原則論(悪く言えば「原理主義」)だと認識している。

原理主義」という著しくマイナス言葉は使ったが、「平和原理主義」が単純に悪いものとは思えない。

自分は今まで、そのくらいは反戦共感してはいたが、その原理主義を「お花畑」と蔑む人もまあ言いたいことはわかるな、とふわふわと思っていた。

 

だが、最近政治を見ていて別の反戦のあり方もあるのではないかと思えてきた。

それは「今の日本戦争すれば絶対負けるからやりたくない」というものだ。

最初に言った「仕方ない」という理屈は、「戦争をすればなんらかのプラス(先に被ったマイナス相殺される場合が多いとはいえ)を得られるはず」という予測大前提にある。

誰が「仕方ないんですよー」と言いながら、負けると分かっている戦に突っ込んでいくであろうか。

無論、大昔はそういうこともあった。義理とか奉公とか、そういうやつである

でもその場合でも本人や子孫に対する何らかのプラスがあった気はするし、愚行の責任は本人が取る(つもり)という建前はあった。

まして現代右から左まで1億人以上が戦争に参入する、という場合においては「負けるかもしれないけど仕方ないの!」という言い分は通らないだろう。

ひるがえって今回のコロナやらオリンピックやらのあれこれを見ていると、「あっこれ『失敗の本質』や『空気研究』でやった問題だ!」というのが何のひねりもなく繰り返されている。

責任者が明確でない」とか、「物理的実情を無視して仮想数字だけ辻褄を合わせる」とかである

これを知っていると、「最終手段としての戦争を必ずしも否定しない」という他の多くの国々と同じ建前を持ちつつも、「今の日本じゃ絶対負けるからやりたくない」という立場がありうるのではないかな、と思う。

 

もちろんその場合は「何ができれば戦争ができるようになる=必ずしも負けなくなる」のか、という問いに答えられなければ結局のところ平和原理主義の変形に過ぎない。

自分はそこに明確なラインを引くことはできない(その意味原理主義を引きずってはいる)が、最低限上の二冊が何十年も前に提起した問題について対策を持っていなければならないだろうな、とは思っている。

この思考ってなんか名前付いてたり先駆者がいたりするんですかね。寡聞にして知らないのでもしあれば教えて頂ければ。

 
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