2023-01-12

実家を出たら世界がバチボコに明るくなった

家族が嫌いだった。

だった、というのはちょっと語弊があるかもしれない。今もうっすら嫌いだ。

家にいたくなくて、死んでしまおうかと追い詰められていたこともあった。

死ななかったのはちょうどそれくらいの時期に従兄が自死たから。

先を越されて死にそびれただけである

実家は小さなことでもすぐ怒鳴り声が上がる家で、父親母親は怒鳴り合いの喧嘩をしたと思ったら不機嫌さを隠しもしない冷戦状態になることが多い。

それが家の中で起こるのはまだわかる。いやわからないが、出かけた先の車の中で起こると最悪である

密室状態の車の中でハンドルを握る父と助手席に座る母、どちらも不機嫌になったとき何もかも嫌になってイヤホン音楽を聴いていたら怒りの矛先がこっちに向いた。なぜ。

休みの日には起きてすぐにあてもなく外出して、日付が変わるころに帰ってシャワーを浴びて寝る生活をしていた。

もう消してしまったんだけど増田にも姉が嫌いだっていうタイトル投稿したことがあった。

家を出たほうがいい、というコメントがたくさんついたんだけど当時は自分の頭で物を考えるのも行動を起こすのもおっくうになっていて「1人暮らしなんてできるわけねーだろバカがよ、金も出してくれるでも手伝ってくれるでもないくせによ」と思っていた記憶がある。

そんなある日、オンラインゲームで仲良くなった友人に「やること全部リストにして送ってあげるから実家出なよ。楽だよ?」と言われた。

たぶんこの友人がいなかったら今頃ダム藻屑かになってたと思う。

初期費用とかで掛かる費用の目安、物件の探し方、不動産への連絡の仕方、内見で見ておくところ、電気ガス水道契約インターネット契約

送られてきたリストを見て、やること多いな!?と思いはしたがリストなしで自力でこれをできる気がしなかったので本当にありがたかった。

無事にいい部屋が見つかり、内見も終えて契約の時にだけ保証人として親に名前を書いてもらった。

そのときも「お前が1人暮らしなんてできるはずない」とか「すぐにゴミ屋敷になる」とかいろんなことを言われて精神的なダメージがとんでもなかったんですけど、契約開始日から布団とパソコンモニターゲーム機必要最低限の服を車で運んでアパートに転げ込んだ。

その週の土日に電子レンジ冷蔵庫洗濯機を買い、レンジは持って帰ってそれ以外は一番はやく運んでもらえる日に運んでもらい設置してもらった。

まだテーブルもなにもないし、床にパソコンゲーム機モニターがあるだけの生活だったけど今まで生きてきた中で一番安心して生活できた。

すごかった。毎日仕事行って帰ってきて台所で立って飯食ってんのに毎日回復だった。日に日に元気になってた。

どれだけ自分が消耗してしまっていたのかがわかってちょっと悲しくなったりもした。

実家には今、認知症の父方の祖父定年退職した父、パート勤務の母、無職の姉が住んでいる。

祖父介護についてデイサービスを使ったりしてはいるらしい。

ただそれ以外のところを母親にまかせっきりになっているのは心苦しく感じる時もあるが正直もう実家には戻りたくない。

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