2021-11-03

恋愛小説の読み方がわからなくてつらい

 「青空文庫なりKindleなりで検索すればいくらでも読めるだろ」ではなく。

 小説を読むとき自分文字から絵や音を想像しながら読んでいるが、恋愛の場面だけは何も想像できない。登場人物の表情が分からない。

 面白い面白くない以前の問題で、登場人物感情移入できても、彼/彼女が抱く恋心には没入できない。「その気持ち分かる」がなさすぎて、五十音表をあ行から順番に見ているような気分で場面を読んでいる。当たり前だが、こう考えた時点で登場人物物語に対する解像度は大幅に下がる。

 正直、厨二コピペみたいで自分でもキモいなと思いながら書いてるけど、実際マジでからないのだ。

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 最近読んだ『若きウェルテルの悩み』を引き合いに出すが、主人公ウェルテルはシャルロッテ(ロッテ)という女性に恋をしていて、でもロッテには許嫁がいるからその恋は報われず、いろんな細かな不幸も重なって、結局ウェルテルは自殺してしまう。最初から希死念慮があるみたいな解説をどこかで読んだけど、最終的な自殺の後押しとなったのは失恋だと自分解釈している。

 超ざっくりとあらすじを要約すると「ウェルテルは失恋したので自殺した」となる。だが字面の上での因果関係理解できても、だからといって「うんうん分かる。辛いよな。分かるよ」とまではいかない。その辛さには同情も共感も納得もできない。読んだ文章をうまく消化しきれない。失恋=辛いという公式を知っていても、自分証明できない。実感としては無機質な報告書を読むように事実確認をしただけで読後感なんてものは無いし、当然ながら理解できないもの面白くないのでストレス疲労感だけが残る。超有名な名作を理解できないという羞恥心が後から自分を責める。

 「面白くなければ読まなければいい」で済むならそうしたいが、自分はそれができない環境に身を置いているため、ただただ苦痛。読み進めたページの分だけストレスが溜まる。『ウェルテル』だって読めと課題に出されたから読んだのであって、課題でなければたぶんウェルテルがロッテに恋心を抱いた場面(書簡体小説なので正確には手紙)で読むのをやめていた。

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 必読と言われるような古典の名作ってだいたい主役の男女の恋愛要素が盛り込んであるし、その恋愛要素で話が動くし、恋愛要素そのもの主題になってたりするので、これから先こんな体たらくではやっていけないという不安が強い。実際に大学講義で「『ウェルテル』を読んで共感できない若者はいない」とか先生に言い切られた。自分20代になって少し経ちましたけど、話に共感できなかったのでもう若者じゃないんですね。

 結局は自分恋愛要素を忌避しているだけかも。嫌悪か? 好き嫌いの話なのか? それなら「自分が悪い」って単純に結論づけられるんだけどな。自分の今までの読み方が間違っていたってことなんだから

 改善しないといけないとは思っている。だから何とか読書量を増やして慣れようとしているのだが、これがしんどいしんどいけど読まなきゃ改善できないから仕方なく読む。つらい。いつか小説を読むことすら苦痛になるのかもしれない。つらい。もっとからいっぱい読んでいればこんなことでいちいち悩んだりはしなかったんだろうな。薄っぺら人生送ってきたんだな。つらい。

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