浅すぎる。
『平成狸合戦ぽんぽこ』は多摩の開発と自然破壊を題材にしているが、そこに描かれているテーマは「自然vs人間」ではない。
「里山vs都会」だ。
なぜ狸が擬人化されているのか?
狸の反抗が左翼活動家集団のように描かれて、居座りやら内ゲバのようなものまで描写されるのはなぜか?
ラストに敗北した狸が「慰み」として作り上げた幻覚は、どうしてただの狸の生息する森や山ではなく、かつての暮らしをする人々のいる人里なのか?
狸たちは都会人としての生活に反抗し、里山的な生活を固持しようとする人間の表象だ。
物語のラストで、敗北した狸たちは、人間に化けられるものは都会の暮らしを余儀なくされ、人間ではない狸たちは社会から阻害されて死出の旅へと出る。
その表象を現実と照らし合わせたときに、単に自然破壊はよくないという感想になるのだとしたら、あまりに貧しい。
この物語の類型は、戦後の日本において産業構造の変化に伴い、それまであった田舎といったものや、そこに住む人々たちが変化していかざるを得なくなったという話の仲間だ。
たとえば『フラガール』なんかは第3次産業に移行する時期の地方の村における人々を克明に描写している。
同じジブリでも、近い時期に製作された『耳をすませば』や『もののけ姫』は同じテーマをベースにしている。
この時期というのは、宮崎駿が漫画『風の谷のナウシカ』の方向性を裏返してラストを書き上げた時期でもあるし、寄生獣の岩明均が「環境問題への見方が連載当初と変わってきた」と述懐しつつあのラストを描いた時期でもある。
増田が考えるような純朴な「自然環境保護」の思想が日本のアニメや漫画で力を持っていたのは、藤子・F・不二雄が没するくらいまでだろう。
晩年の大長編ドラえもんではかなり純朴な「自然環境保護」思想が描写される。
思うに、こうした「自然環境保護」の思想は90年代前半にピークを迎えたあと、90年代後半には変質したのではなかろうか。
純朴なほうの「自然環境保護」は「道徳」と親和性が高いので、2000年代くらいまでは学校教育に根強く残っていたような肌感触がある(その後の教育がどのようであるかは寡聞にして知らない)。
この時期的なギャップから、この時代の作品についての評価についてはかなり歪みが残っているように感じられる。
2000年代以降は複雑化し単純に善悪で語れなくなった「自然環境保護」思想はあまりフィクションで求められることがなくなったというのもあり、当時鑑賞していた人間もこの認識に無自覚のまま、見方を更新できていないのだろうと思われる。
もし現在の視座から再び『平成狸合戦ぽんぽこ』をみるとしたら、空疎に都会化する郊外についてとか、ゴーストタウン化する商店街とか、高齢化した多摩ニュータウンに残る空き家とか、多摩で育った子供が大人になってどこに行ったのかとか、そういったことに思いを馳せることになるだろう。
しかしやはり作品のメインとしては、活動をする集団の人間くさい失敗あるあるをみて笑い泣くエンタメという楽しみ方になるだろう。
「多摩の自然が素晴らしい」という感想はその次に、絵としての美しい描写として出てくるものになるだろう。
そして、「自然を守らなければならない」というのは、この映画のテーマとしてではなく、描かれた美しい自然に感動した観客が、自身の良心でもって結論づける感想としてしか出てこないだろう。
人間の自然破壊がヤバいという普遍的なテーマが垂れ流されていた時代があった。平成である。 『平成狸合戦ぽんぽこ』はまさにその顕著な例だろう。寄生獣もそうかな。とにかくあの...
浅すぎる。 『平成狸合戦ぽんぽこ』は多摩の開発と自然破壊を題材にしているが、そこに描かれているテーマは「自然vs人間」ではない。 「里山vs都会」だ。 なぜ狸が擬人化されている...
評論はいいんだけどさー もうちょっとぽんぽこの話をして欲しかったよね 時代だけを語るんじゃ意味がないわけで
実際日本人は漫画とかで環境ヤバいを乗り越えてるから 今更環境?そのブーム終わってね?となってしまう
その考えはちょっとズレてるんじゃね? それじゃまるで環境問題と少子化が独立に自然発生したみたいじゃん。 んなわけないやろ。 環境問題を引き起こす人口爆発の回答として、我々...
たぬきさん、お疲れさまです。
財務省が必死に不景気を維持しようとするのもバブルと共に開発が進み、バブル崩壊と共に波が引けて人間たちが都会に去っていくことを学習したたぬきたちが財務官僚に成りすまして...
はえ〜 この話ってどう森のたぬきちと関係あったりする?
気づいてしまったのか、環境問題を解決する根本的な手段とは人口減少であることを。 人間の人口を減らすことが環境保護につながるのであれば、反出生主義の思想は正しいということ...
でも、多摩に戻ってきたのはハクビシンやアライグマでしたっと。 一度破壊された生態系は元には戻らない。
現代のSDGsはむしろ「自然環境から人間を守ってくれ」に近い考え方だから安心していいよ。
「持続可能な"開発"目標」ね。 それにしてもわざわざ"持続可能な"と言っている意味を考えない人が多いのは気になる。 「地球にやさしくしましょう」ではなく「人類が滅びない程度に...
Developmentの翻訳揺れなんてどうでもいいだろ。 developing countryを「発展途上国」と訳すのに合わせただけだよ。
「プラザじゃなくて!ぷらーざ」は?
https://youtu.be/szyFDNklwOI 既にこういう状況だからな。 自然環境から人類を守るためには、結局は温暖化を食い止めるしかない。それがSDGs。
ニュータウンだと、木を切りすぎ開発しすぎの土砂崩れなんかが気にならないかい? 多摩は土壌がましなんかね。
多摩ニュータウンは、そんなに急傾斜を切り開いたとこはなかったような。 横浜とかのほうが全然急傾斜だよ