2021-09-28

ガチャという言葉が嫌いだ

僕は親ガチャという言葉が嫌いだ。

だが、だからといって親ガチャという語が内包している階級固定化格差問題否定する気はないし、寧ろそれらは問題であるとさえ考えている。

しかし、個人的感情からこの言葉は好きになれない。

世間一般的には僕の家庭は経済的には恵まれている。父親大手に勤め、兄弟2人とも首都圏中高一貫私立から難関国立大学に進学した。

これだけを見れば親ガチャに勝ったのだといわれるだろう。

だが、僕達兄弟の親は所謂低学歴教育ママと無関心の父親”だった。“低学歴教育ママ”のデフォルトである束縛は勿論、それに加え暴力もあり、僕の体には未だに刃物の傷が残り、弟も親に殴られ骨が折れたことがある。

それに加え僕個人としては、「あなたは〇〇なんだから黙っていなさい」と中学時代母親に言われたことが子供ながらに心に来た。

これは国内有数の進学校入学していた弟に対して、中堅進学校に通っていた僕に母親が放った言葉だ。

多分自分で考えているよりもこの言葉より強烈なもので、それからは親に対し面従腹背で何を言われていてもヘラヘラするようになったと思う。

それなのにそれ以上酷い状況に追い込まれのが怖くて、いつもビクビクしながら親の顔色を伺い、先回りしてよく家事などをしていた。このような生活が続く中で、精神は摩耗していった。

だが大学入学一人暮らしをするようになった。一人暮らしは本当に精神的に楽で、そこで一時期は“毒親”といった言説にハマったりもした。(今はある程度は抜け出せたと思いたい)

途中から気持ち悪い唯の自分語りになってしまっていたが、要するに言いたいことは、一部分だけを見て“親ガチャ”という言葉を使うのはあまり乱暴ではないかということだ。

ガチャという語が内包する、階級固定化格差毒親などの問題をそれぞれの問題として本来捉えるべきであり、親ガチャといったような雑な言葉を使うのではなく(雑な言葉であるから使われているというのもあるが)、より問題を明確にすることで解決の糸口も見えてくるように思える。

またそう考えないと、自分にとっての地獄であったあの中高時代をまるで存在しなかったようにされているようでやりきれない気持ちになる。

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