2019-07-14

父の遺書を見つけた

まず私の説明をする。私は小三で両親が離婚し、父子家庭で育った。しかし、仕事などのストレスで中二の時に父が自殺しそこからは親戚もいなかったので兄と二人になってしまった。両親は決して良い親とは言えない人たちで、兄は両親が原因で対人恐怖症を抱えており、私以外の人とろくに会話も出来ない。私は私で持病とADHDを抱えている。

私がしっかりしなくてはとがむしゃらに頑張ったが、家を支えることに必死学校に通えなくなり、元々抱えていた持病の定期検診で精神科受診を勧められてその後即日入院した。退院してから高校卒業までは児童養護施設に入っていた。そこでもしっかり生きねばとがむしゃらに頑張って18歳の今は事務系の公務員として働いている。最近までパワハラ上司に悩んでいたが今ではそれも解決した。

いざ自立すると私は掃除ご飯も1人でろくにすることができない。毎日コンビニご飯を食べて、床にはペットボトルゴミが溜まっていく。掃除しなくてはと思うが仕事から帰るとヘトヘトで何も出来ない。兄は障害者枠でパートをしているが、家のことはやはり何も出来ないしする必要もないと考えているようだ。私は自身の無力を痛感する。周りの学生をしている同い年の友人が別世界人間に思えてならない。

夏休みに友だちが泊まりに来ることになった。掃除をしなくては。休み掃除をはじめる。父の部屋もついでに片付けよう。ああ、御骨が未だ置きっぱなしになっている嫌な気持ちだ。生命保険もまだ受け取っていない、憂鬱だ。そんなことを考えながら遺品を漁っていたら生前父が毎日使っていたボディバッグに紙が2枚入っていることに気がついた。1枚は適当な人の名刺の裏に父の講座の暗証番号と、「私、兄、ゴメン」とだけ書かれていた。2枚目は過去に散々罵倒していた母の名義の図書カードだった。私の心は決壊した。これはつい1時間前の話だ。兄はもう寝ている。母を父が言うようにゴミ屑だと思うことで嫌悪し寂しさを紛らわせていたのに、父は最期まで未練たらしく母を思っていたのだ。ああ、しんどい私たち子供たちはそんな一言謝罪で済まされる存在だったのか。残していっても大丈夫だと思ったのか。ちなみに父は私たちにこれ以外のメッセージを残していない。こんな毎日息苦しくゴミ屋敷に片足突っ込んだ家で迷子のように生きていて私たちが本当に惨めに感じられた。誰にもすがれない、生きるのが辛い。問題ばかり残して1人だけ退場して、どうして私たちを連れて行ってくれなかったんだ。中途半端に投げ捨てるくらいなら無理心中でもして責任とって始末して欲しかった。今までがむしゃらに生きて閉じ込めてきた思いが爆発している。しんどい辛い悲しい。誰か上手な生き方を教えて欲しい。お前のせいで私は大人にならざるおえなくなったんだ。私だってまだ友だちみたいに大人ぶった子供でいたいんだ。でも守ってくれる人がいない私は大人になるしかない。つらいつらいつらい。私だって誰かの愛に守られていたかった。

まあ休みもったいないからまた明日からは元通り惰性に生きてくんだろうね。紙は元の場所しまっておこう。

  • 数年もすればいい男に巡り会えて守ってもらえるよ

  • 取りあえずのその遺書をメモ用紙にして使い終わったら燃やしたら?

  • 生命保険もまだ受け取っていない かんぽならともかく 民間なら3年で時効では?

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