大げさだけどだいたいこんな感じ。
俺はカレーが好きだが一生食べれなくても後悔するってほどでもないし、
食べたら美味いとは思うけどただそれだけ。
恐らく一生じゃがいもや豆のスープしか食えなくても文句言わずに食ってるだろう。
欲しい物がないっていうのは社会や肉体から欲しいと思わされているということに気付いたということ。
気づいたというのは乱暴な言い方だが、切り離されてしまったという表現が正しいかもしれない。
家族が欲しい、子どもが欲しいというのは肉体である本能からの欲求で俺の自意識が欲しいと思ったわけではない。
自意識が本能から影響を受けて子どもが欲しいと思ったからであって「オレ」という意識は子どもが欲しい理由がない。
腹が減る、眠くなる、喉が渇く。
これも全部本能からの要求であって自分の心はそんなこと1つも望んでない。
できるなら食べたくない、起きていたい、水も飲むのが面倒。
でも肉体が要求してくるので答えなければならない。
社会的にも健全な社会人として労働を求められ、消費を求められる。
仕事、趣味や食事や交通やボランティア、交友、勉学などの選択肢を並べられてどれか選べと迫る。
俺は休息を選ぶ。
これが一番したいことではなくこれらの選択肢の中でやりたいことが1つもないからだ。
むろん、肉体のために金銭は必要なので最低限の仕事と勉強はする。
ただそれだけだ。
普通に仕事をし、普通に交友を持ち、普通に愛すべき人を愛している。
だがいい加減、世界から肉体から要求されたことに応えることに疲れていることに自分は気づいている。
どうしようもなく無感情・無表情な疲れだ。
事態が好転することがないと確信しているから、絶望も希望もない。
絶望とはそこに夢があり、希望を持っていたからこそ陥る状態であり、まだ救いがあるはずだ。
自分には救いはない。
自分という肉体がこの世界にある限り、決して報われることがない、それは、俺が欲しい選択肢がこの世界にないからだ。
この世に、私の、欲しい物は、何も、何一つ、無い。
死の恐怖に震えさせるのも肉体からの要求であり、強い願いであるから、死にたくないと思わされ、呪いのようにそれを受け入れる。
社会通念上、規範を守り、善人であるよう、人を愛し、人を助け、まっとうに死ぬように仕向けられて、
よしんば犯罪者・落伍者になったとしても、それはそれで、この世の理から外れることはならず、そのような者として、よくある一生を終える。
過去に誰かがそうしてきたように救われない結末を迎える。
こんな悩みを誰が聞いてくれるだろうか。
今、この世を楽しく、悲しく生きている人間、友人、家族、恋人に、どうして伝わろうか。
私の能面のような気持ちで生きた者たちは、表に出せば不適合者だと言われ、無駄にしていると笑われただろう。
それはこの世の価値を否定することに他ならないため、彼らの反応は当たり前であり、誰も解決できないため、無意味であることも正しい。
だが、それでも、無表情な心が私を見ている。
それを私はあなたの隣で隠しながら生き続けるのだろう。
きっとこの先も。
ずっと。
我がことのようだった 欲が無い(薄い)って、生きづらいんだよね 俺の場合は、何かを取得することで得られるメリットの薄さに失望し続けて もはや何を得ても誤差の範囲程度なんだと...
読んでて恥ずかしくなる文章だな
別に無理に生きなくてもいいんやで
【要約】つれーわー俺ほしいもの何ひとつなくてつれーわー(チラッ)
自分を投影して他者の内面決めつけるマン
肉体からの生理的要求でもなく社会的都合でもない、純然たる「欲求」がない、と言いたいんだろうが、ここで抜けてるのは人を人たらしめる根源たる「精神的欲求」だ。 で、その精神...
わかる。 俺もただひとつ、「自分の心からの欲求」が欲しい。
文章を書く能力はあるのに その文章の書いている内容は ひどいものだな。 君は いままでの人生に 天命というものを 何も感じることは なかったのかね? 一番大切なことは 目...
わかる そして、思った通りだが、全部的外れなコメばかり 残念ながら浮世では誰もわからん悩みだ この世が存在する限りその憂鬱は死んでも消えないだろう 悟りを開き、輪廻転生から...
おまえが欲しいのは承認だろう?