2017-04-17

この世に私の欲しいモノは1つも無い

大げさだけどだいたいこんな感じ。

 

俺はカレーが好きだが一生食べれなくても後悔するってほどでもないし、

実際カレーに飽きてからは8年くらい食べてない。

食べたら美味いとは思うけどただそれだけ。

恐らく一生じゃがいもや豆のスープしか食えなくても文句わずに食ってるだろう。

 

欲しい物がないっていうのは社会や肉体から欲しいと思わされているということに気付いたということ。

気づいたというのは乱暴な言い方だが、切り離されてしまったという表現が正しいかもしれない。

家族が欲しい、子どもが欲しいというのは肉体である本能から欲求で俺の自意識が欲しいと思ったわけではない。

自意識本能から影響を受けて子どもが欲しいと思ったからであって「オレ」という意識子どもが欲しい理由がない。

腹が減る、眠くなる、喉が渇く。

これも全部本能から要求であって自分の心はそんなこと1つも望んでない。

できるなら食べたくない、起きていたい、水も飲むのが面倒。

でも肉体が要求してくるので答えなければならない。

 

社会的にも健全社会人として労働を求められ、消費を求められる。

仕事趣味食事交通ボランティア、交友、勉学などの選択肢を並べられてどれか選べと迫る。

俺は休息を選ぶ。

これが一番したいことではなくこれらの選択肢の中でやりたいことが1つもないからだ。

むろん、肉体のために金銭必要なので最低限の仕事勉強はする。

ただそれだけだ。

私が心から何を望みたかったのかまるで見えてこない。

何か大きい挫折があったわけでも、成功があったわけでもなく、

普通の幼少、普通学生時代普通社会人になった。

普段の振る舞いもごく普通である

普通に仕事をし、普通に交友を持ち、普通に愛すべき人を愛している。

だがいい加減、世界から肉体から要求されたことに応えることに疲れていることに自分は気づいている。

どうしようもなく無感情・無表情な疲れだ。

事態好転することがないと確信しているから、絶望希望もない。

絶望とはそこに夢があり、希望を持っていたからこそ陥る状態であり、まだ救いがあるはずだ。

自分には救いはない。

自分という肉体がこの世界にある限り、決して報われることがない、それは、俺が欲しい選択肢がこの世界にないからだ。

この世に、私の、欲しい物は、何も、何一つ、無い。

死の恐怖に震えさせるのも肉体から要求であり、強い願いであから、死にたくないと思わされ、呪いのようにそれを受け入れる。

社会通念上、規範を守り、善人であるよう、人を愛し、人を助け、まっとうに死ぬように仕向けられて、

よしんば犯罪者落伍者になったとしても、それはそれで、この世の理から外れることはならず、そのような者として、よくある一生を終える。

過去に誰かがそうしてきたように救われない結末を迎える。

 

こんな悩みを誰が聞いてくれるだろうか。

今、この世を楽しく、悲しく生きている人間、友人、家族恋人に、どうして伝わろうか。

私の能面のような気持ちで生きた者たちは、表に出せば不適合者だと言われ、無駄にしていると笑われただろう。

それはこの世の価値否定することに他ならないため、彼らの反応は当たり前であり、誰も解決できないため、無意味であることも正しい。

 

だが、それでも、無表情な心が私を見ている。

それを私はあなたの隣で隠しながら生き続けるのだろう。

きっとこの先も。

ずっと。

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