ぜんぜん知らないけど、
1、日本語がちゃんとしゃべれるか
2、みだしなみはマトモか
3、挙動不審じゃないか
4、話が理解できるか
5、極端に明るかったり暗かったりしないか
これぐらいじゃないのか?新卒を選ぶ基準なんて
あー、やんちゃな子供って「おれ」(↑↓)っていうよね。どこで覚えて来たのか。小学校低学年くらいの一時期だけ。俺も言ってたかも。それを否定されてムキーっ!くやしい!ので明日から増田の一人称は「アタイ」になりますように。もうクセで勝手に出ちゃうの。
Messenger - 「この kids passport アカウントでは windows messenger はご利用なれません」
なんだこれは!俺をガキ扱いする気か!
http://help.jp.msn.com/announce.aspx#20090907_Mess
平素より、Windows Live サービスをご利用いただき、誠にありがとうございます。
現在、下記のエラーメッセージが表示されてWindows Messenger (*1) に
サインインできない現象が発生しており、ご不便をおかけしております。
(*1 Live Messenger と互換性はございますが別のプログラムとなります。)
< エラーメッセージ >
この kids passport アカウントでは windows messenger はご利用なれません。
kids passport の詳細および両親の同意の必要については
複数のお客様より、別の Windows Live ID アカウントでは
Windows Messenger にサインインができる報告をいただいておりますため、
Windows Live ID アカウント登録情報に起因した問題であるか
当 Windows Live サービス担当部署にて総力をあげ、調査を行っております。
お客様には、しばらくの間ご迷惑をおかけいたしますが、
調査が完了するまで、お待ちくださいますようお願い申し上げます。
一時的な回避策とはなりますが、改善まで別 Windows Live IDアカウントの
ご併用を検討いただけますと幸いでございます。
<Windows Live IDアカウント新規登録方法>
1. http://hotmail.com/ にアクセスします。
2. [新規登録] をクリックします。
3. 必要な項目をご入力ください。
お客様にはご不便おかけし、申し訳ございませんが、
ご理解いただきますよう何卒お願い申し上げます。
[2009.09.07 掲載]
もう1ヶ月半経ってるぞ-。
屋台十八番の魚介しょうゆとんこつというのがビックハウスで安売り(5袋255円)してたので買ってきた
北海道や東北くらいでしか売ってない屋台十八番の油揚げ麺タイプの新製品
…うむ、この、なんだ、
そんな味だ
それが何?俺は現代の日本が属しているようなものを「東洋」と言ったわけで、当然何の断りもなければ「現代」になる。西洋の影響を一切排除したものでなければ「東洋」でないというのなら当然15世紀以前でなければならんわな。そんなアホなという話になるが。
だいたいそもそも「東洋」「西洋」という切り分け自体が「西洋」由来のものだわな。もし日本人が切り分けるなら、境界線はウラル山脈やボスポラス海峡なんかじゃなくてインドあたりになるだろうよ。
はあ?誰も「肉食禁止令」の反証なんかしてないだろう。ものを食うということは殺生という業を背負っているという感覚が日本人には伝統的にあって、それが日本の文化的背景だといってるの。くだらん藁人形論法はよしてくれ。
誰がそんな主張した?
大事なのは何を殺して食べるか、とかではなく
自分の命を大事に生きることでしょうよ
この人。そこからの流れなんだが。いまさら誰が、と言われても困る。
それは俺じゃないし俺はその考えに同意しないので俺に絡まれても困る。
俺はあくまであんたが俺の考えを「妄想」認定した部分に反駁しただけで、他人が何を言おうが知ったこっちゃない。
女「さっきの告白は罰ゲームでしたwww」
俺「そっか・・でも嘘でもうれしかったよ・・ありがとう。それじゃあ」
俺「待って!!罰ゲームだったけど・・だったけどなんか俺君の事好きになったみたい!」
俺「ははは、そう言ってそれも罰ゲームなんだろwもう騙されないよ」
俺「バカね、そんな事言ってると俺君にも罰ゲームだぞw」
俺「えっ?罰ゲーm・・」
チュッ
俺「///」
俺「///」
社交的な人の中身があなたが思うような「社交的な人」そのままとは限らない。
とんでもないコンプレックスを抱えながら演じてる場合も少なからずある。
1人称が「僕」というのをやめてみたら?
過剰な自己愛が見えて気持ち悪い。
社交的な人って何であんなに、あんななんだ。
どうしたら人なつっこくなれるんだ。
僕は人が怖いし、上手いこと当たり障り無い会話するのは苦手だ。
もう生まれつきだと思っていいのか。
僕は彼のようにはなれないし、またなる必要もないのか。
そう考えれば「何か会話しなくちゃ」と焦ることは次第に軽減できるけど、それでも自分と相手の間にある空気の微妙さだとか気まずさだとかはわかってしまう。
センサーは働く。でも口と体は上手く動かない。なんで。自分ができないことだけはわかる、みたいな。ダメさが重くのしかかるばかりでどうすることもできないじゃないか。
とりあえず、人を怖がらないようになりたい。
まあそうなのかな。ごく近年の都市部で作られた慣習が必要以上に共同幻想として信じられてるだけって気もするけど、まあ十分に多くの人が信じてるなら一般的と言えますね。
人生はお前の思ってるようには変わらないよ。
ふいになんかの間違いとかで奇跡めいたこと起きたって、それただの手違いだから。
かといってすげえ不幸に打ちのめされたからって、大抵は明日には過ぎ去ってるんだよ。
心の傷ぐらいしか残らないんだって。まして、残したくないなら余計に。
プラマイでゼロってのが妥当な見込みなんだよ、結局。
だからさ、お前がもし堪えがたい寂しさとか孤独感とか覚えたところで、
大学なりバイトなりで「やっぱり自分の代わりはいくらでもいるんだ」とか
「むしろ自分の存在がみんなを阻害してるから、疎外されて当然だよね」とか
「自分がのけ者にされるのも、みんなには正当防衛なんだ。迷惑な人間だし」とか思ったところで、
次の日のお前は本だか音楽だかアニメだかで泣いたり笑ったり萌えたりしてるんだよ。
泣いたり笑ったり萌えたりすることで、前の日の自分の苦しみを笑い飛ばしてるんだ。
そりゃあ、自分の心とか信じられなくなって当たり前だよね。
真実はいつもひとつ、本当の気持ちはひとつだけってかたくなに信じ込んでるんだもん。
本当の自分の本当の気持ち以外は、すべて演技だとさえ思ってるんだもん。
だからさ、本で読んだような劇的な展開を日常に求めるのはもうやめよう。
異性に話しかけたからってそのまま恋人ができるわけじゃないし、
だいいち恋人ができたからってそのまましあわせになるわけじゃないんだ。
劇的な展開にしようとすると、劇的ってのは落差って意味だから、
慣れてないお前みたいなやつがそうしようとすると、不幸を作り出しちゃうんだよ。
ちょっと運がないのと、たまたまツイてないのをつなぎ合わせて悲劇を見出しちゃうんだ。
悲劇は劇的だしね。少なくとも日常的ではないし。
理由のない「寂しさ」だとか「孤独」にまで、意味をこじつけてくれるし。
でもそれ、前に進まなかったらただ落ちてるだけだから。
たとえハッピーエンドが起きても、人生そのもののエンドは死しかないんだから。
だからもう、浸るのはやめよう。
たぶんお前はまた明日の昼にはなんかの拍子につらくなるんだけどさ。
そしてそれを夕方には笑うんだろうし、夜にはそんな自分を憎らしく思うんだけどさ。
それでいいよ。十分だって。そんなことでお前の人生は大して変わらないから。
仮にお前が思うようにはよくならないとしても、お前が思うほど悪くもならないから。
だから無理に劇的になろうとして、絶望にさえ手を伸ばすのはもうやめよう。
メンヘラの振りをしながら本当のメンヘラになるなんて、馬鹿みたいだったじゃないか。
悲しみは悲しみで、喜びは喜び。
因果関係なんて、忘れてしまえ。
プロットなんてないんだから。
そんな、お前がいま泣きそうになってることにまで意味なんか見出さなくていいんだ。
そう思えば、明日笑ってる自分をとがめなくて済むようになるだろ?
大丈夫。人生は目に見えて変わらないけど、にじり寄ることはできるさ。
不安定なままでいいんだって。本当の自分なんていないんだから。
だからこんな夜まで、明日に怯えないで。
諦めるんだ。あくまでも前向きに。 >僕へ
上司や客と一緒にいる時って、席譲るほど集中力散漫してないよ。
ドンマイ
ちなみに俺は近くにいない限りわざわざ目だつようには譲らない。
ドウゾドウゾ、イエイエ、って言ってる間に、横からさっと座られて気まずく苦笑い、とか
老人扱いすんなコノヤロウ、とか
足腰弱ってて、いちいち座ると立つのが辛いんです、理解してもらえませんか、とか
少なくないから。
弱者に席を譲る、ってのはやって当たり前だけど、同時に自己満足だと思っている。
だから、譲った事をその相手に押し付けてはいけないし、
今ここで譲る判断を他の誰かに押し付けてもいけないと思っている。
譲れそうな位置関係だったら、黙って席を立ってふらっとどこかへ行くようにしてる。
その後、誰がそこに座ったかは見ていない。目も合わせない。
俺は譲ってる!俺はこんなに譲ってる!お前も譲れよ!若いのにダメな奴だな!最低だな!
…
って考えの持ち主でした、ハイ。
http://anond.hatelabo.jp/20091024145924
「お互いに立場が違うので議論も平行線」
確かにそうなのかも、と思った。
もともと会社員をやっていたのを親の引退を機に地元に戻って今のところを継いだのだが、立場の変化によって考え方も変わることを実感している。会社員をやっていた時代は、こういう話を「許せない」と感じていた。
しかし経営者になると守るものが格段に増える。自分の生活と社員の生活を守るために、顧客との関係も守らなければならない。文字通り、死守しなければならない。生産性を上げると同時に会社としてのリスクをいかにして発見・回避していくかを考えるのが日々の生活の中で大きな部分を占めている。
「社名を晒せ」
わたしは実際にこの彼の面接を行ったわけではない。
社名を晒す義務は特に感じていない。
晒せ、との論拠を沿えた上で自分の氏名や勤務先を同時に述べる覚悟があるのかをこちらからも問いかけたい。
「同じ理屈で職業差別とか部落差別とか外国人差別ができるライフハック。オブラートに包んでる分、こちらの方がより醜悪」
その通りだと思っている。こういう判断をする経営者がいるからよくならないのだということはわかる。
では職場で、あなたの隣の席に座っているあの人が、ある特定の宗教を信仰しており、困惑するあなたに執拗な勧誘を続け、選挙で特定の候補者に投票するよう周囲の選択に干渉するようなことがあっても、なお同じことが言えるのかを問いたい。
「勧誘するかどうかは人それぞれ」
「創価という組織に対する差別と学会員個人に対する差別はまったくの別物」
その通り。
だからこそ、あえて考えうる最悪のケースを問うているのだ。
逃げずに、真摯に考えてほしい。
部落差別について言及するコメントがいくつかあったが、部落出身者への就業における差別にはこのような構図があったことを今理解しているところだ(だからと言って許されるものではないこともわかっている)。わたしは部落出身者にも同様の考えを適用させるのかと言うと、たぶんしない。時代が変わったからだ。現代における部落差別の問題とこの問題は、似てはいるが背景が違う。
では外国人なら?これは悩む。国籍によるところも大きい。場合によっては宗教と同じく「差別」することも出てくるように思う。
こう考えると「文化・価値観」の異同がひとつの判断基準になっているようだ。
だいたいおしなべて既存の社員とも客先とも「うまくやっていける」と確信できる人ならば、そこまで心配はしない。
そこに出自は関係ない、というのはきれいごとではなくそう思う。
問題は採用までの間に、その「確信」をつかむチャンスが少ないということだ。
トラバにもあったが、面接の段階でこれを見極めるのは非常に困難だ。
「だいたい、こういう人なのだろう」と推測することしかできない。
人と人との有機的な付き合いというのはいつだってそういう側面を持っている。
あえて「有機的」と書いたが、職場での人間関係というものは非常に有機的なものだ。
家族や古くからの友人とはまた違うが、確かに人と人との関係が形成される場だ。
互いに互いを無機物の部品や道具のように扱いながらうまくことを進めてゆくことは不可能であると思う。
「ビジネスの場で宗教の話を持ち出すな、と言えばいいだけのこと」
では経営者に許された線引きはどこまでとお考えだろうか。
すなわちこの論理で「仕事がらみの人間にはその手の話をするな」と言うならば、プライベートの領域にまで足を踏み込まなければならなくなる可能性が出てくる。
それこそ真正面から「パワハラだ」「宗教差別だ」と糾弾されるべき行為である。
(蛇足だが、最近「飲み二ケーション」についてのエントリが賑わっているようだが、わたしは会社員時代にこれで何度も面倒な思いをしてきたので自分はやらないことにしている。)
その人の価値観や信条を完全に理解できるような面接試験のやりかたがあるのならば、ぜひ教えていただきたいと思っている。
圧迫面接は確かにその人の資質を試すひとつのやり方ではあるが、では宗教や文化、価値観、信条といった、本来ならば雇用者が踏み込んではならない領域を見ることのできる圧迫の仕方が果たしてあるのだろうか。そもそもあったとして、そのような面接が許されてよいのだろうか。
重ねて言うが、わたし個人は創価に対して何の恨みもないし、友人が「実は学会員でした」と言ってきても、そのこと自体で友人に対する印象を変えたりすることはないと思う。幸福の科学に一家で入っている知り合いもいる。そことは家族ぐるみの付き合いで、おうちの都合でお子さんを一時的に預かることもある。わたしにとってその時間はとても楽しみな時間だ。彼らがうちの家族を勧誘したことは一度もない。お互いに「そういうものだ」という認識で付き合っている。
申し訳ないが、反論する方々のレスからは「所詮、他人事なんだな」という印象を受けるに留まっている。
追記:
「差別反対は建前でしかない印象」
とのコメントについても。
わたし個人は上に書いたとおり宗教で人を差別するような生き方はしていないが、その人間性すら否定されたようでこれには残念な気持ちになった。
何らトラブルの心配がないのであれば、採用時に思想信条には関わらない、というかこだわってはいけない。
にもかかわらず経営者としてこのような選択をする理由はなぜなのか、について今書いているところだ。
断片的に拾い上げればそれはさまざまな解釈ができるだろうけれども、全体を通じて「マイノリティは排除すべし」という意味のことは書いていないし考えてもいない。マイノリティであろうがマジョリティであろうが仕事に影響がなければ一向に構わない。今回の内容は職場の秩序維持の観点から不安材料があるので看過できないということを先ほどから言っている。「マイノリティ」という大雑把なくくりで話を広げすぎないでいただきたい。
君も相当暇人ということだねえ