はてなキーワード: マジョリティとは
したがって、高齢化が進むにつれ、現役世代の負担は重くなっていく。
今の老人は、日本の高度経済成長を支えてきたんだから、それに報いなくては、という
論調もあると思うけれど、国の借金を現在の価値で数百兆円も増やして、でしょ?
それだけあれば、ジンバブエでも先進国になるんじゃないかなぁ。
高度経済成長を支えた、どころか、将来を食いつぶしてきただけじゃない?
その報いは受けなくていいわけ?
2000年代は1人の老人を4人の現役が支え
2030年には1人の老人を1人の現役が支え・・・みたいな説明図を見たことがある(数字は適当)。
でもそれって、現役の負担がどんなに重くなろうと、老人は20万/月もらう(繰り返すけど数字は適当)みたいな
いわゆる確定給付の考え方だよね?また将来を食いつぶしてない?
んじゃ、確定給付にしてみたらどうよ?
仮に現役世代の負担を3万円/月とする。で、上の計算にある現役:老人比だとすると・・・
1970年代は、1人の老人に30万円/月支給される。
2030年代は、1人の老人に3万円/月支給される。
でもさ、子供を作って増やすような「よのなか」を作ってこなかったんだからしょうがないんじゃない?
まぁいろいろと問題はあると思うよ。
生活保護が増えるだけとか、
人口が増えるのがそもそもいいことなのか、とか。
でも、少なくともいまの現役世代の一部が感じている不公平感は減ると思うよ。
「ソープに通う」男性は、「日本でよく見られる」という意味では「普通」ぐらいは言えるかもしれないが、「マジョリティ」ではない。たとえばこのようなデータを参照のこと。
ベルギー フィンランド フランス イギリス オランダ ノルウェー スペイン アメリカ 日本 NA NA 1.1 0.6 2.8 1.8 11.0 0.3 13.6 神奈川県立がんセンターによる「日本人のHIV/AIDS関連知識、性行動、性意識についての全国調査」
http://www.acc.go.jp/kenkyu/ekigaku/2000ekigaku/eki_015/015.htm
なお、「アニメのキャラに恋する奴」に関する国際統計は残念ながら見当たらないが、参考までに各国のニート率比較をすると、2007年の数値では、以下のようになる。
| ベルギー | フィンランド | フランス | イギリス | オランダ | ノルウェー | スペイン | アメリカ | 日本 |
| 15.4 | 13.3 | 15.1 | 18.1 | 6.9 | 8.8 | 17.2 | 16.2 | 7.6 |
(参考:OECD各国のニート率まとめhttp://alfalfalfa.com/archives/4176419.html
ソースはhttp://www.oecd-ilibrary.org/sites/factbook-2010-en/11/03/04/index.html?contentType=&itemId=/content/chapter/factbook-2010-93-en&containerItemId=/content/serial/18147364&accessItemIds=&mimeType=text/html)
上下を比較して気付くのは、売買春を経験する男性がニートより多いのは唯一日本のみであるという事実。これは、割と意外ではあるが納得できるものでもあったので、一応付記する。
以下への返信。
眠れないので、誰にも話したことのない話をする。それは僕の人生についての話だ。
僕の一番古い記憶は、二歳のときのものである。祖父に手を引かれた幼い自分が、夏の祭ばやしの中でぼうっと立っている。そんなはっきりとしない風景のような記憶。
その夏祭りと同じ年、祖父はまだ50代という若さで死んだ。大の酒飲みでもあった祖父が居酒屋からの帰り道に道路のど真ん中で泥酔して寝ていたところ、通りかかった車にひき逃げされたのだそうだ。犯人は結局見つからず、警察の役人的な処理の仕方に家族は憤りを感じたらしい。そういうこともあり、僕の一番古い記憶は、僕がもっている祖父に関する唯一の記憶でもある。
ただ、この祖父との夏祭りの記憶はおそらく後から作られた記憶なんじゃないかと、僕自身は思っている。なぜなら、祖父に手をひかれている記憶のなかの「幼い僕」は、記憶の観察者である「僕」のほうを見ているからである。ふつう自分自身の記憶であれば、自分の顔がその記憶の風景の中にあるはずがない。僕が一番古い記憶だと思っているその祖父との思い出は、一人称の記憶ではなく、三人称の写真的な風景なのだ。多分、祖父が死んでずっと後、僕が物心ついた頃に祖父との夏祭りの写真をみせられたか、もしくは親類が思い出を語ってくれたことで自分の中で作られた記憶なのではないかと思っている。
祖父に関するもう一つ記憶に残っている話がある。それは僕の父が語ってくれた父の記憶だ。祖父がひき逃げされた数ヵ月後、御巣鷹山の日航機墜落事故がおきた。日本中の人々の関心を呼んだその事故の報道を見ながら僕の父は一人の目撃者や証言者もなく数ヶ月で忘れさられてしまった祖父の事故を思い、命の価値は同じはずなのにどこか不公平だと感じたそうだ。その話を父から聞いたのは僕が中学生くらいのときだったと思う。多くの人の命が失われた大きな事件なのだからそんな田舎のひき逃げ事件より注目を集めるのは当たり前じゃないかと、思ったのを覚えている。
僕の話に戻ろう。祖父との夏祭りの記憶の次に覚えているのは、幼稚園の庭のすみで幼なじみの男の子と二人、もくもくと遊んでいる僕の姿だ。これも記憶というより、印象といったほうがちかいかもしれない。幼稚園では他にも友だちがいたはずなのだが、僕はいつもその幼なじみとばかり遊んでいた。他のこどもたちは幼稚園の庭の真ん中でみんなで仲良く遊んでいる。ただ、僕とその幼なじみだけが庭のすみっこで別のことをして過ごしている。そういう記憶だ。
僕は自分がマイノリティであるという漠然とした自意識をもっている。そういう自意識はおそらくこの幼稚園時代からもっていたのではないかと、特に理由もないのだが、なんとなくそう思う。はっきりとは覚えていないのだが、そんな幼稚園時代を過ごしたという印象だけ残っている。
その後僕は幼なじみと同じ小学校にあがった。幼なじみをKと呼ぼう。小学生になった僕はKのほかに、新しくJという友達ができた。Jは別の幼稚園に通っていたのだが、帰り道がKと僕と同じなので自然と仲良くなったのだと思う。なにをして遊んでいたのかはあまり具体的に記憶にないが、学校の帰り道やお互いの家、近所の公園などで過ごしていた記憶がある。たぶん、他のこどもたちも同じように過ごしていたんじゃないだろうか。幼稚園のころよりかは幾分交友関係が広り、幾分マイノリティでもなくなった。
だが、マジョリティではなかった事だけは確かだ。小学生だったことがある人はわかるかと思うが、子供のなかでは子供なりのカースト的な階層があるものだ。上位階層に所属しているのはもちろんスポーツが得意な子供達である。野球やサッカーではエースで、なおかつ顔がカッコイイというWという同級生がそのカーストの頂点で君臨していた。僕は早生まれということもあってか運動がまるきりダメで、そのためカーストの中では下位に位置している存在だったが、意識して階層の外にいるように、つまり上位のやつらやその友人たちとはあまり接触しないように過ごしていた。交友関係が広がったとはいえ、マジョリティだとは言えない存在だった。要するに僕の自意識はマイノリティのままだったのである。
スポーツがまるでダメと書いたが、そのおかげでマジョリティになれなかった僕はスポーツというものに対してどこかしら卑屈な感情をもっている。マジョリティへの嫉妬が、スポーツができないという事に転嫁され、それがスポーツそのものへの憎悪に近い感情になり、その結果スポーツは僕にとって禁忌になった。自分がどこからしら劣っているのはスポーツができないからであり、その元凶であるスポーツには近寄ってもいけないという発想である。運動ができない子供はみな同じような感情を抱くものなのだろうか? スポーツが僕の中で禁忌であるというこは特に誰にも話したことはないので、他の似たような子供はどう感じているのか正直よくわかない。
これは成人した後、それも社会人になってからの話だが、会社の同僚と学生時代の部活の話をしているとき、僕はおどけた調子で「運動したら負けだと思っている」と当時ネット上で流行していた言葉をもじってスポーツに対しての卑屈な感情を冗談めかして言ってみたことがある。だが、その時話をしていた元サッカー部という同僚がそれを素直に受け取ってしまい、おそらく彼には僕と同じようなスポーツに対してのコンプレックスがないのであろう、結果、彼の気分を害してしまった。その人自身は運動会系というより文化系の人間だったので、僕の原体験を共有できるものと勝手に思ってしまった自分が悪いのである。スポーツに対して当たり前のようにコンプレックスをもたない人間を目の前にし、自分はやはりマイノリティなのだと再認識をした。
僕達の育った町は自然あふれる田舎でもなく、かといってビルが屹立する都会でもなく、よそから引っ越してきた人達がつくったマイホームが国道や鉄道沿いに立ち並ぶ、いわゆる郊外と呼ばれる場所だった。「だった」と過去形で書いたが、現在でもその風景は変わっていない。駅の前には商店街や、小さな個人書店や、同級生の親がやっている歯医者。国道沿いにはファミリーレストランや大きめのおもちゃやさん、そして西洋の城を中途半端に模したラブホテル。この国のどこででも見られるような平凡な風景だが、誰にでもそうであるように子供の頃の僕にとってはそこは唯一の場所であった。
他の小学校のことはよくわからないが、僕の通っていた小学校には他の町に遊びに行ってはいけないという「きまりごと」があった。僕の家は隣町との堺がちかく、同じ町の友達の家に遊びに行くのにも隣の町を一部横切っていったほうが近いといったようなところに僕は住んでいた。「きまりごと」はまもらないといけないと素朴に信じていた小学生の僕は、友達の家に行く途中隣町をちょこっと横切るだけでも、ちょっとした罪悪感を感じていたものだ。まして電車にのって別の町まで買い物に行くなどどいうのは親同伴でなければ許されない事だと、そう固く信じこんでいた。
(断章)
親から仕事や家屋敷などを相続してしまった人、する予定の人は、竜王を倒した後のクリアしてしまった世界に生まれてしまったのだろう。
そこそこまじめに生きていれば、食いっぱぐれることもない。
がんばりもそこそこでいいので、お小遣い稼ぎ感覚で仕事をすることもできるし、ちょっとだけ賭けに出るような生き方をしても、セーフティーネットがある。思ったよりもこの手の境遇の人が今の日本ではマジョリティなのだ。
これからニューゲームで、「竜王を倒しに行くためにレベル1から地道にがんばるよ」みたいな人は案外少ない。
持ち金0、経験値も0からのスタートで一旗あげるような生き方ををする人は本当にまれだ。
実際、クリア後の世界に生まれた人とそうでない人との間では、受験にしろ、就職にしろ価値観に隔たりがあるだろうし、この世界観の違いは、結婚観や恋愛観にも大きく影響する。
クリア後の世界から、クリア前の世界へ降りていく行き方は並大抵のものではない。
クリア前の人のコマの進め方は、消去法的な選択で一本道だ。進学でも遠方にいくのは困難だし、就職の際もクリア後の家に育ったのかどうかを見られているので、その仲間に入れてもらうことはハードルが高い。
クリア後の人にとっては、クリア条件に向かってのコマを進めるわけではないので、選択肢の幅は広い。クリアしてしまっているので、お城の王様も隣町の商人も知り合いだったりする。
高校や大学に進学したときに違和感を感じる人がいたら、あなたとは別の世界に暮らす人なのだ。
クリア後の世界にいる人にとって、クリア前の世界から猛烈に鍛錬を重ねてストーリーを進めようとする人は目障りで仕方がないはずだ。その存在は自分たちの既得権を脅かすものだから。
クリア前の世界から見ると、クリア後の世界に暮らす人の不平不満は、わがままやひとりよがりにしか聞こえないかもしれない。
クリア前の世界にいるこれから竜王を倒しにいく人は、社会の原動力だ。この人たちが稼ぐゴールドや経験値はまさに成長力そのものだ。クリア後の馴れ合いの戦闘やゴールド稼ぎとは趣が異なる。
これからの日本は、ますますクリア後の世界の人が増えていく。クリア後の人をクリア前に戻すことやクリア前の人が冒険しやすいように支援することが日本が生き残っていく鍵になるのではないだろうか。
話を法律婚に限れば、こんな感じ
もしかしたら他にも色々あるかも
仮に男のためだったとしても普通は不特定多数の男に欲情されたいわけじゃないので、男のマジョリティの嗜好に合わせるべきなんてこと自体が的外れと思う
そもそもネットでいろいろ言ってる人が本当にマジョリティと言えるのかもわからないし、マイナーだという自覚があるなら「俺様好みの女になれ」という傲慢なアドバイスでしかないんだが。
なんか炎上しそうなタイトルですが、最近ホント感じます。皆さんの周りでも、この感覚ってありませんか?
僕の周りでは、自己表現が下手で、会社以外の活動なんかほとんどしない人ほど、会社という枠に凝り固まります。
そうした方々が会社に残る理由は意外と似通っており、3つほどあるように思います。
この点、象徴的なのはAさんでしょう。彼は部下が個人プロジェクトで制作したウェブサービスを、「リスクだから」という理由でお蔵入りにするという経験をし、部下に対して「勝手なことするなと思った」、と語っています。
Aさんに限らず、このブログをお読みの皆さんも、どこかでこの種の「勝手なことをするな感」を体感したことがあるはずです。社内からフェイスブックやツイッターにアクセスする、という部下や同僚も少なからずいるようですし…。個人と組織の問題は、今後ますます課題となっていくでしょう。
非活動的な人であればあるほど、「月〜土、8〜22時出社」という縛りを楽に感じてしまうようです。社畜の代表格のBさんのように「週6日会社に出勤する」という生き方がまだまだマジョリティです。
特に昔から「サービス残業」という言葉も定着しており、多くの労働者が「会社に行かなければクビになるんじゃないか?」と思い込んでいるようにも感じます。
「CP(cost performance)」という経営戦略も話題になっています。今後は、結果主義でも生き残れない価値の低い人材であればあるほど、時間・場所に縛られることを「楽」に感じるでしょう。
土日やアフター5の活動(サービス残業・休日出勤)を行っていく中で、収入を増やすチャンスが生まれません。始めは月3万円(残業代)でも、活動を続ける中で、業績悪化やリストラなどでそれすら無くなるはずです。
収入の確保が難しいですが、生産性の低い、得るものも少ない労働ですので独立や転職も困難となります。
シェアハウスで暮らせば、そもそもの生活費を抑えることも可能ですが、毎日午前様という生活ではそれも困難となります。僕の知人の中には、住宅ローンがが約10万円(都内在住)、という方もいます。Cさんにいたっては、ローンが払えず固定の家を無くしてしまっています。
もう部下がいる壮年世代だと特に、収入面の不安が会社に居続ける大きな理由であるように思います。収入面での不安を払拭できないため、「会社にいる理由」は強く残ります。
会社のビジョンに共感している状態(自分の目指すこと=会社の目指すこと)にならば、これらの理由は一気に吹き飛ぶものですが、そもそも経営陣にビジョンがない/ビジョン以前に労基法も守らない場合も多いので、なかなか希有な状態です。
ある広告代理店の人事部の知人は「無能な中年ほど会社に残る」と語っていました。低レベルな仕事が重要になればなるほど「無能な人ほど会社に残る」という事態は広がっていくように思います。
というわけで、「無能な人ほど会社に残る」というテーマを、3つの切り口で考えてみました。皆さんはどう思いますか?トラックバック・ブコメにてご意見募集中です。
じゃあ海外に逃げるか。といっても、
それを選ぶ人はしばらくは少数派なのではないだろうか。
はい。若者アウト!ってどっかのお気楽ブロガーも言ってたけど、
ほんとに日本にいる限りどうにもならないのか。
と言われるとちょっと違うんじゃないかと思う。
② 彼らがすでに既得権益を手にしている。
このあたりが本質的な理由とすると、
若者が勝つためには、
A 高齢者よりも数を増やす。
B 高齢者から既得権益をもらう。or高齢者が既得権益を持ってない領域をみつける。
という方向性が考えられます。
「何をアホな…」と思った人。よくきいてください。
上記の2つを日本全体でやるのは無理。
じゃあ、日本の一部でならどうか。
ある程度まとまっていく必要はあるけど。
あと年金は払わない。
自分の親くらいに仕送りをしてやれば、いいんじゃないのかしら。
他の高齢者は、無視。
しっぺ返しだよね。
若者は
みたいなのを基本方針にしてみたらいいんじゃないかしら。
追記① 9/17 14:00
「じゃあ他の土地で一旗あげてやるか。」っていうのは割とスタンダードかなと。
(アメリカ開拓史なんてまさにそう。)
だから、若者世代でも既存のシステム内で自分の居場所がある人は、(今すでにメリットがある人)
特にこんな話には関心を持つ必要がそもそもないけど、
局所的に、若者ばっかりの土地があればいいんじゃないかなという話。
本来であれば、こういう話はもっと行政がやるべきであって、
税収がない地方が、もっと人を呼び込みたい。
他の場所と比べて安いお金で家の建て替えができるようにする。
とかだったらちょっと現実性あるでしょう。
これと同じレベルで、
どうせなら、日本人の方が良いと考えれば、
出てくればいいよね。
「アンチ」って言っても、別にそのアニメを全否定するつもりは無い「アンチ」だっているんです。
ファンの中には「全体的には気に入ってるけど、ひとつの要素だけは気に入らない」人もいる。
でも、そういう「作品を全肯定できないやつ」はみんなアンチ扱いされる。
作品に欠点があっても、欠点自体を素晴らしいものとして褒め讃え崇めるくらいのことをしなきゃファンじゃないらしい。
そうやってアンチになった後、ファンだったときには気にもしなかった「アンチ叩き」の勢力の大きさに気づく。
「有名な○○さんも作品××を高く評価! アンチはものを見る目が無い」「社会現象になった××のアンチしてるやつって恥ずかしくないの?」
「これだけ売れてるのにアンチしてるやつって頭おかしいんじゃないの?」「××アンチ息してるー?」
「アンチ」や「批判」にネガティブなイメージが付いているのを良いことに、まるで「アンチは人に非ず」と言わんばかりの攻撃をかけてくる。
○○って人が肯定したら右へ倣えしなきゃだめなのか。売れたものは全肯定しなきゃいけないのか。
そんなことはあるまい。いくら絶賛されてようと、売れていようと、欠点があればそれに対しての批判があって良いはずだ。
でも著名人に褒められた、たくさんの人に好評を得た(たくさん売れた)、だから批判される謂れは無いという意見がやたら大きい。
マジョリティなのかノイジーマイノリティなのかは分からんけど、ネット上では「そういう人」が「多数派」になってる。
全肯定するファンか、キチガイ扱いされて排斥されるアンチか。どちらかしかあり得なくなってる。
何か脱線しちゃった。
最近、ウヨサヨの戦いが「親中韓vs反中韓」という空中戦になってる件について、
アイデンティティは人が人であるために大事なものであると思いますが、
経済問題をそっちのけでアイデンティティ同士で戦っているのには虚しさを感じます。
それであれば女性キャラのほうが数倍以上あるし、pink板だけ見ても女性を性的対象に扱うであろう板はたくさん用意されている。
隔離板以外のニュース速報、VIPでは男性向け作品のアニメスレなどはたくさんスレがあるのに対し、腐女子のスレ(叩きは除く)はたたないし
あるいは漫画・アニメ板の作品スレなどでは女キャラ萌えはあってもBLの話題どころか(叩き、煽りは除く)男キャラ萌えの書き込みもない。
男性のオタクは自分たちが好むキャラクターや表現を気にせず話せる(話せることが当たり前だと思っている)し、
男性の漫画家やアニメーターはネット精通者が多く、「ネットオタク」が好むものを取り入れるのも早い。
そうやって取り入れたものをまた漫画にしたりアニメにすることによって2ちゃんねる・まとめブログはさらに盛り上がり
さらにループになる。「ネットオタク」が好むものが覇権になる。
http://b.hatena.ne.jp/entry/twitter.com/highok/status/103026441830141953
同人会の男性向勢力と女性向勢力の格差は、ゴールデンウィークに開催されるCOMIC1(ほとんど男性向)とスーパーコミックシティ(ほとんど女性向)を比較すれば一目瞭然。男性向が東館半分しか埋められないのに対し、女性向は2日間全館。単純比較で、女性同人のほうが6倍の勢いがある。
小規模イベントやネット同人の女性向け比率も考えると6倍どころではないかと。
BLだけではなく「男女カプ」や「カプなし・健全(原作の隙間埋め系ストーリーだったりギャグだったりする)」でも多くが女性作家だし、読者も女性が多い。
男性が多いのは「男性向け」ジャンル、つまりエロか萌えアニメやエロゲなどの男性向け作品が原作のジャンルだけ。
なので「腐女子はマイノリティだから男に迫害されてる!」と主張する女が謎だ。
本当に同人知ってるの?コミケ行かなくても、ネットのオタク世界を見ていれば
あの世界は女だらけで、腐女子はその中でも一番のマジョリティなのはすぐ分かるのに。
ニコ動やまとめブログで取り上げられるようなネタしか知らないんじゃねーの?
そんなライトオタ向けではなくもう少し深い場所も見ていれば、限られた「男性向け」世界以外はどこもかしこも女だらけの女子校状態で
私の周りでも特に若い年齢の男性だと「嫁」に含まれる差別性についてまったく知らない人もいたりするので、今は「もともと差別的な意味合いがあったことが忘れ去られて一般用語として使われつつある」フェーズかもしれない。
けれど、知らずに使っていれば、あるいは「言葉狩りに対抗するために敢えて」使っていれば問題ないのだろうか?
たとえば「バカだのチョンだの」という言葉。原義ではこの「チョン」は朝鮮人のことを指している訳ではないことになっているけど、「チョン」という言葉を朝鮮人に対する蔑称として使う人たちが増えたせいで今はこの表現自体使うのは自粛した方がいいという類のものになっている。
いわゆる「言葉狩り」に反対する人なら「原義は違うのだから使用を控えるのは間違いだ」と考えて敢えてこの言葉を使ったりするのだろうけど、その行為と、意図的に蔑称として使用している人がそれを非難されたときに「原義は違うのだから使用を控えるのは間違いだ」と言い訳する行為と、果たしてそんなに容易に見分けはつくだろうか?
むしろ蔑称として使用する側がその揺らぎを利用して「差別と思う方が差別しているんだ」という被差別側に責任を被せる論法を使うのもよくある光景である。
そんな色のついた言葉を敢えて使い続ける意義はなんだろうか。
そもそも「言葉狩り」という言い方をするが、差別事象の告発の一環として蔑称に対して抗議をするのも被差別側の当然の権利である。
それに対して指摘された言葉を使わないようにするというのは、「私は差別には加担しません」という意思表示となるのは確かである。
そうやって多くの良識ある人たちが言葉を切り替え、その蔑称の言葉を使うのは少数の差別主義者たちだけという状況になれば、自分はマジョリティだから心置きなくマイノリティを差別できると思っている人たちは認識を改めざるを得なくなるのではないだろうか。
「言葉の問題でなく使用している人の問題なので言葉を制限したって意味がない」として使い続ける行為よりも、そうやって目に見える意思表示をするほうが、差別解消に繋がるのではないかと私は思う。