はてなキーワード: 高級官僚とは
日本人は高級官僚と呼ばれるごく一部の通常2,3人、多く見積もっても数十~数百人の超特権階級エリートの目的を実現するための性奴隷になっている。なぜなら最も能力のある人間として選抜された者の中身を国として実現するというのが日本という国のコンセプトだからである。ゆえにその中身を実現すべきものとして選抜されたその少数のエリート以外は、たとえ中央官庁に勤務していてもそのエリートの一部である。日本という暴力国家の政治の全てはこの少数エリートが決定しており、このわずかな人間の意思を実現するために、すべての人間がそれぞれの役割をこなすために束縛を受けており、それを逸脱したり、一体化することが許されていない。最近では、このエリートが努力できなくなっているため、官僚バッシングといった形で、形式でも実質でも官僚をいじめることが人民の役割にすらなっている。また、日本がこれら少数エリートに暴力的に支配されている国であることを隠蔽するための宗教が異常に発達しているため、外国人は日本がこのように少数エリートに暴力的に支配される国家であることにすぐに気づかない。それどころか、国内の人民すら、日本が民主主義国家であると信じている者がいるほどである。
日本人は高級官僚と呼ばれるごく一部の通常2,3人、多く見積もっても数十~数百人の超特権階級エリートの目的を実現するための性奴隷になっている。なぜなら最も能力のある人間として選抜された者の中身を国として実現するというのが日本という国のコンセプトだからである。ゆえにその中身を実現すべきものとして選抜されたその少数のエリート以外は、たとえ中央官庁に勤務していてもそのエリートの一部である。日本という暴力国家の政治の全てはこの少数エリートが決定しており、このわずかな人間の意思を実現するために、すべての人間がそれぞれの役割をこなすために束縛を受けており、それを逸脱したり、一体化することが許されていない。最近では、このエリートが努力できなくなっているため、官僚バッシングといった形で、形式でも実質でも官僚をいじめることが人民の役割にすらなっている。また、日本がこれら少数エリートに暴力的に支配されている国であることを隠蔽するための宗教が異常に発達しているため、外国人は日本がこのように少数エリートに暴力的に支配される国家であることにすぐに気づかない。それどころか、国内の人民すら、日本が民主主義国家であると信じている者がいるほどである。
朝鮮が悪役で、妖術で日本から人や物を奪ったり、豊臣秀吉の死体を発掘して首を切り落としたり(気持ちはまあ分かるが)、日本を征服しようとしたり、天皇家を廃絶しようとしたり、基本的に中国が中心・朝鮮が半周辺・日本が周辺という認識に立って日本を馬鹿にしたり、そんな感じです。
日本は侵略者である場合もありますが、基本的に独自の技術と文化を持っていて、中国に負けない(国力は全然違うけど、元は日本の侵略を持続できなかった)し、朝鮮より強く進んだ国として描かれています。豊臣秀吉は明中心の世界システム論を否定すべく軍事外交し、朝鮮には重きを置いていない日本統一覇者で、伊藤博文はロシアに対抗すべく朝鮮を上手に経営しようと腐心する高級官僚です。
よく訓練された読者は「ああまた徹はじまったな」で済んでしまうのですが、おそらく彼の作品が韓国や北朝鮮に輸出されて、洒落の分からない人が読めば『ヘタリア』の時みたいに外交問題になると思います。「朝鮮を馬鹿にして日本の自尊心を高める、ヘイトスピーチでなくて何だ、民族的敵キャラである豊臣秀吉と伊藤博文を評価するな、これを読んで馬鹿な日本人が民族憎悪を高めたらどうする」と。
そう言われた時に我々よく訓練された読者はどう返せばいいのか分からない。「洒落の分かる人だけ分かればいい」「面白ければいい」「読めば荒山徹は民族憎悪で書いているのではなく、日本と朝鮮の歴史を何か新しい切り口で描こうとしているのであり、勝手に民族憎悪する方が悪い」では、「洒落の分からない人を排除するのか」「面白くない人を排除するのか」「テキストは読まれ方だけが全てで、民族憎悪を引き起こしたら、作者の意図はどうあれそれは民族憎悪のテキストである」と返された時に困ります。
そうやって真面目な人に娯楽は弾圧されていく訳ですが、「そんな他者危害的・他者排除的な娯楽は弾圧されればいい」と言われた時に「ごもっともですが、俺たちは断固その娯楽を評価して守っていきます」以外の言葉を持たない。それでは長期的に見た時に前者が支持されて後者は駆逐される。
だが俺たちは駆逐されたくない。荒山徹は面白いと思う俺たちの感覚に嘘はつけない。その感覚そのものが政治的倫理的に正しくないのか? 俺たちはどうすればいいんでしょうね。
リークと守秘義務
ttp://news.livedoor.com/article/detail/4558593/
で、話は戻るが、検察のリークをけしからんとして、それを罪に問おうとする動きには、私は若干の疑問を持つ。相手が捜査当局であれ、一般官庁であれ、取材活動においては、情報を引き出すのが記者の仕事である。記者会見などの公の場を除けば、程度の差こそあれ、個々の取材活動においては、個々の公務員に個別の「情報提供」を求めることになる。高級官僚や閣僚の不正に絡む取材もあるだろうし、不都合な情報隠蔽を暴露する取材もある。特捜検事や警察の捜査員に対する事件取材は、通常、「被疑者はどういう供述をしているのか」などを取材すると同時に、「どういう捜査をしているのか」「違法捜査はやっていないか」なども取材の対象になるはずだ。だからこそ、警察担当記者や検察担当記者が存在しているはずである。
極論すれば、公務員に対する取材は、常に情報漏洩を求めているといっても過言ではない。通常は、ある機密を保持するよりも公にする方が、国家・国民に対する利益になると判断したり、されたりするのであろうが、突き詰めれば、何でもかんでも、この国家公務員法に引っ掛かる恐れがある。
日本ではハイブリッドの議院内閣制(国会-内閣-首相)が取られている。
世界的には直接選挙の大統領と間接選挙の首相を両立させる国も多い。
直接選挙では国民の意志が反映され、間接選挙では専門家である政治家の意志が反映される。
国民が減税してくれる大統領を選んでも、増税やむなしと思っている政治家は増税する首相を選ぶかも知れない。
逆に、歴史や民族の分断がなければ、君主制を廃することは、君主が象徴してきた歴史や民族を国家から切り離すことになり、民族国家では抵抗があるだろう。
歴史や民族の象徴を国家と切り離して、千家や市川流みたいに名誉ある市民として残せば、歴史や民族は保たれるという考え方はありうる。
日本は天皇に実権がないから帝王教育を受けても使いようがない。
ただし外交や文化や歴史に関する教育が違い、それによって君主だけが高度な外交政策や文化政策や歴史政策を実行できるということはありうる。
ただそれは外交のプロや文化のプロや歴史のプロを高級官僚として育成して代表すればいいのであって、それを一人に圧縮するというのは、やはり人類の脳は象徴、擬人化という分かりやすさから逃れられないのかも知れない。
とにかく、専門教育の度合いだけ言えば、君主は首相や大統領より高い教育を受けられる立場にある。
制度 | 民主性 | 迅速性 | 慎重性 | 専門性 | 象徴性 |
合議制 | 高 | 低 | 高 | 低 | 低 |
首相制 | 中 | 中 | 中 | 中 | 高 |
大統領制 | 高 | 高 | 低 | 低 | 高 |
君主制 | 低 | 高 | 低 | 高 | 高 |
官僚制 | 低 | 低 | 高 | 高 | 低 |
という記事がある。
読んで不思議に思ったんだが、
変な話しですけど、あのオバサンが駄目な高級官僚になれる程度の能力と、奇跡のレジ打ちの才能を持っていたとしたら、選ぶ職業は恐らく高級官僚です。
だけど僕はあのオバサンにはレジ打ちしてもらったほうが嬉しいですし、みなさんも偉大な才能が世の中から失なわれてしまうのはもったいないと思うことでしょう。
このコトリコという人は、本人が好きな仕事を選ぶ権利はなくて、他人から見て向いていることを仕事にすべきであり、そうではない現実が「不思議でおかしい」と思っているんだろうか?
下手でも好きなことをする権利は誰にでもあると思うのだが。
しかも、その後
清掃やらレジ打ちの人の中にも、努力とかじゃ到底到達出来ない技術を持った人がいるって認められないことこそ、僕は職業蔑視だと思うんだ。
いや誰もそんなこと言ってませんから!という話。
俺はぶっちゃけ周りからそれなりに『頭良い』って言われるけど、
俺がもしおバカで努力しない人から『すごいねー』って言われたと想像すると
ちょっとムカっとくるとは思うけど、別に怒りだしたり泣き出したりすることはないなと思う。
で、この違いはどっから来るのかなと思って元増田の書き込み読んだんだけど、
結局『好きか嫌いか』がポイントな気がしたね。
本当は勉強が嫌いなんだけど、周りから色々プレッシャーかけられて、真面目だから嫌でも頑張って
それでやっと手に入れた実力を『すごいねー』で済まされたら、それは頭に来るだろうなと。
俺は勉強好きだから(それが真の理由かはわからんが)それほど何とも思わないんだよね。
好きだからそんなに苦痛じゃないし(そりゃ苦しいときもあるが)、勉強してる状態が一番自然。
『呼吸できるなんてすごいね!』と言われてもピンと来ない感覚に近いかもしれない。
で、この元増田の書き込みに対して批判的、つまり元増田の友人側に立つエントリやブクマが多いということは、
これまでの仮定が正しいとすると、嫌々ながらも必死に勉強してる人が多いってことになる。
みんなかわいそうだねえ。勉強楽しいのに。と思ったよ、という話。
あと俺の周りには怒り出すようなタイプがいないんだよね。
つまりみんな勉強好きな奴ばっかり。
勉強嫌いだけど頑張ってる、っていうタイプはどこに集まってるんだろう?
高級官僚とかその辺か?
僕はなりたくない。
テレビでしか見たことないけど、一度ミスしたら全額没収なんて職業、選びたくない。
子供がそれになりたい、というのなら、とりあえず「なんで?」って聞くかな。
高校生が上層部とか高級官僚の詳細を把握してるとは思えないしね。
とりあえず中国行った社長は楽しい土産話をいっぱい持って帰ってきたよ。うらやましいって思った。
おいしいところをかっさらうって楽しいのかな?
よくわかんないけど、ケーキ食べてる時に楽しみにしてたイチゴを横取りされたら腹立つよ。
だから、自分も横取りしない。
これじゃダメかな? わかんなくてごめんね。
◆「財務省の陰謀だ」という小見出しに目が止まった。読売新聞の12月22日付朝刊「総合面」(3面)である。「政権に痛手」と大きな横見出しが、事態の深刻さを知らせている。政府税制調査会の本間正明会長辞任の舞台裏から見た解説記事でもある。今回の本間会長辞任劇は、安倍政権の基盤がいかに脆弱(税弱でない)かを国民の目にさらけ出した。同時に、東大法学部の牙城である「財務省官僚群」が安倍政権を支持せず、反対に根底から脅かし、「意地悪」していることも白日の下に炙り出された。
◆慶応大学法学部出身の小泉前首相のときもそうであったが、成蹊大学法学部出身の安倍首相も、「東大閥」といっても、正確には「東大法学部閥」(同じ東大卒でも経済学部や文学部、教養学部などは、法学部から見れば亜流の雑魚にすぎない)が支持する対象ではない。逆に言えば、だからこそ、小泉前首相は、一橋大学卒の竹中平蔵前総務相やその師匠でもある大阪大学の本間正明会長など「亜流学者」を重用せざるを得なかったのである。
竹中前総務相は、アメリカの最大財閥・ロックフェラーの「本家」を名乗ってブッシュ政権を支えている「デイビッド・ロックフェラー」(シティグループ、エクソン・モービルのオーナー)の子分であるハーバート元大統領経済諮問委員会委員長に食い込み、その人脈を武器に小泉前首相の懐に飛び込んだ実に要領のいい人物である。
◆東大法学部閥にして見れば、国家最高指導者である首相が、「私学出」であることに、まず我慢がならない。それに加えて、旧帝大ではない一橋大学(前身は、東京商科大学)や大阪大学くんだりからやってきた「どこの馬の骨とも知れない胡散臭い御用学者」が、最高権力者の虎の威を借りて肩で風を切って闊歩する姿も許しがたいのである。
大企業にしても、大報道機関にしても、同じ仲間ではあっても、「東京閥」は、大阪や名古屋などから「上京」してきた者を排除したり、冷遇したりする傾向がある。「テリトリー」を「亜流」に侵されたくないという心理が働くのである。
本間会長も大変迂闊であった。まさに「敵陣」に乗り込むような立場であるはずだったのに無用心にも、敵生がわんさと住んでいる「国家公務員宿舎」をあてがわれて、「高級官僚」にでもなったように悦に入っていたのが、命取りとなった。「愛人問題」は、プライバシーに属する問題であり、別宅にでも囲っていればよかったのである。まだ、自らの止り木は、「貧家」を選ぶべきであった。
◆家柄がいいとか、育ちがいいからとか、父祖の恵沢を受けているからとか、はたまた大金持ちだからとか言うだけでは、政権を維持することはできない。安倍首相が、東大法学部閥から支持を得て安定政権を築くには、安倍首相自身が、東大法学部に学士入学して卒業し直すしかない。もう一度、平沢勝栄衆議院議員を家庭教師に雇い、モノサシで頭をコンコンと叩かれて、しごかれるしかなさそうである。さもなくば、学習塾経営者出身の下村博文官房副長官に泣きついて、「博文館」で猛勉強するもの妙案である。
読み:にほんのかんりょう
日本において行政の中枢をになう中央省庁なかでも上位の役職にある人々を指す。通常、国家I種をパスし、キャリアとして入省した人々である。彼らは出世競争により一部が高級官僚となり、最終的に一人の事務次官を生む。さらに、その経験者から各分野のトップが生まれる。基本的に東大法卒である。
内閣官房副長官(事務担当)は各省庁の官僚トップが出席する事務次官等会議を主催する、官僚の頂点の一つである。慣例的に旧内務省系の事務次官経験者から任命される。
司法を司る国の機関は三権分立の精神により独立性が高い独自の体系を持ち、法層界の頂点を形成する。
他省庁と違い他国にて活動する外交官にはさまざまな特権が与えられ、また、国内の政治力もおよびにくい。さらに、大国の大使ともなれば政治家に勝る発言力が生ずる。
独特の地位をもつ。
単にオイラの読解力が無いだけかもしれない、という言い訳から入るけど。
http://d.hatena.ne.jp/wlj-Friday/20070211/p1
別に『賃金水準は、絶対的な生産性で決まるんじゃない。その社会の平均的な生産性で決まるんだ。』って部分にそんな文句はないけど、とにかく煽りすぎだろこれwwwww
前回述べたように、こうした企業が高い生産性を実現できるのは、その他の人々の支えがあればこそ、ではある。そうはいっても、やっぱり肝心なのはすさまじい労働生産性を達成している製造業なんだよ。
とりあえずこれを信じることにして(http://anond.hatelabo.jp/20070212044554って意見はあるけど)、これと
実はサービス業の多くは、あまり生産性が高くないんだよ。(中略)でも、だからこそ第三次産業/サービス産業は雇用吸収力がある。
これで、何故
になるのかさっぱり分からん。教えてエロイ人。
はてなに巣くうお気楽大学生どもが、バイトで途上国の高級官僚の何倍ものお金を稼げるのも、究極的にはシャープやソニーやスズキのおかげなんだよ。腐ったアーティストだの、エコロジストだの、勉強不足の新聞記者だの大学教師だのが高い給料をもらってのほほんとして、大企業批判にうつつをぬかしていられるのは、実はかれらが往々にして忌み嫌う大企業の大量生産システムのおかげなんだ。2ちゃんねるに巣くう(一部の)くされニートどもだって、その安楽な生活はかれらがとかく批判したがる大企業が高い生産性を実現している余剰にたかっているだけなんだよ。
んじゃもう、生産性的に(比較的)労力の無駄食いが多い部分なんてゴリゴリカットして、99%ってのは多少言いすぎにしても、これからは大企業様の恩恵を賜りながら僕ら皆でニートしてりゃいいんじゃね。マジで。出来ればその方がシアワセだと思うよ、僕は。
後どうでもいいかもしれないけれど
もっと卑賤なほうへ! メイド喫茶の女中さんがいる。日本の女中どもは、やはりメイド喫茶のあるタイの女中さんの数十倍の時給だ。どうして? 日本の女中さんはなんか手際がいいの? 目にもとまらぬはやさでオーダー取るとか? 「お帰りなさいませご主人様」というのを 100 倍の速度で言えるとか? 日本ならタイの女の子の 100 倍の媚びを売って、萌え度 100 倍、タイの女中喫茶なら平気なキモヲタくんが、アキバの女中喫茶だと店に入った瞬間に萌えオーラでいきなり射精とか? ねーよ。
ここの小見出しが『生産性の国際比較――サービス業は世界的に大差ありませんわよ』なんだが、サービス業をこんな感じで比較することに意味があるのか?よくわからん。タイでティーポット傾けられても、日本のご主人様のティーカップには一滴たりともお茶は入ってこねーべ。
あー、感覚的に世界を縮めまくってるとか?
それなんてストレイト・クーガー。
たとえば、ぼくは先日、ウィリアム・バロウズ&アレン・ギンズバーグ『麻薬書簡』という本を訳した。所要時間は一日半。しかも品質最高。一方、この本には既訳があって、某大学の先生がどっかに缶詰にされて「たった二週間で仕上げた」と自慢し、しかも「やっつけ仕事だ」と自負なさるとおり、目を覆うばかりのまちがいだらけ。この場合、ぼくの生産性と、この大学の先生の生産性のちがいは簡単に計算できる。時間だけで見ても、ぼくの翻訳の生産性はこの先生の 10 倍弱。品質を考慮すれば 20 倍以上だろう。
どれだけ数量作れたって、価値が無けりゃ意味が無いんじゃないんですか先生(いや、別に翻訳本に価値が無いって言ってるわけじゃないです)。生産性って生み出した物そのものによるのか?生み出した価値によるんじゃないのか。
上のメイド喫茶の話でもそうだけど、なんかこの辺りが(主に僕の中で)よく分からんことになっとる気がする。タイで「お帰りなさいませご主人様」って言われても、その笑顔も見えなきゃ声も届かない日本のご主人様にとってはほぼ無価値だもんなぁ。
SMクラブでは、ローソクを垂らしたり鞭を振るったりするほうがサービスを提供する側。
クラブでは、サディストとマゾヒストとは一種の演劇的な時空間を共有するけれど、
M嬢に鞭を振るう趣味の男性も、何年かすると相手にサービスを提供し続けることに疲れてしまって、
いつのまにか、縛られたり、ローソクを垂らされたりする側に回ることが多いのだという。
クラブの「女王様」というのも想像以上にハードな仕事。ただ相手を痛がらせるんじゃなくて、
相手が罰を受ける理由とか、相手が満足できるような主従関係とか、お互いの関係という物語を
常に創造し続けなくてはならず、頭の回転がよくないと続かない仕事なのだという。
高級官僚とか、弁護士や医師といった実世界では「鞭を振るう」仕事をしているように見える人達には、
こうしたクラブで鞭打たれる側に回ることが多いのだそうだ。
こんな人達は、たぶん実世界では誰かに「サービスする」ことに情熱を燃やしつづけていて、
その疲れを誰かにサービスをしてもらうことで解消したくて、わざわざお金を払って痛い思いをする。
年度末になって、1年の厄落としにSMクラブに出入りする高級官僚の数なんかを統計とってみると、
何か面白い傾向が見えるかもしれない。
SMクラブの門をくぐる官僚の数が減ってきているなら、日本は相当終わっているかも。
クラブの門を叩く必要がなくなった人というのは、たぶん実世界で「鞭を振るう」気力が萎えてしまって、
もはや発散しなくてはいけない「何か」すら無くなっているのだろうから。