はてなキーワード: 益田とは
必要かどうかは別として、父親役と母親役をみて育つことがある種の社会性を育むことにはなると思う。
つまり、父性に対して母性がどう振舞うのか?
または、その逆は。
というのはやはり普遍的に置き換えることができるのだろう。
ただ、現代において「本当の」父親や母親がその役割を演じられているのだろうかというのも疑問に思う。
もちろん、ある程度の割合で家庭が正常に機能していると考えられる。
しかし、昔のように類型化できなくなっている、つまり多様化しているというのが実感だ。
では、そういう場合どうするのか。
いくつかあるかとは思うが、小説や漫画など物語を読むことで、学習することが一つの解決策としてあげられるのではないか。
先天的に身につけることが出来なくても、後天的に父性や母性は身につけることが出来るだろうと思う。
ところで、
おそらく、元益田の問題は、これに尽きるのだろうというのが自分の考えだ。
自分に厳しく、人に厳しい。
自分も人に甘えることを許さないし、人が自分に甘えることも許さない。
そのあたりで対等という言葉が出てくるのではないだろうか。
このことから考えると、甘えることが出来なかった家庭環境はおそらく人格形成に影響を及ぼしているだろう。
ただ、これは父の存在そのものが、つまり
だって女らしくしても誰も(父親の様に)カワイイと褒めてはくれないし、求められてもいないし、喜びもしなかったから。
ということでは、ないと思うのだ。
つまり、セクシャルの問題ではなく、性格の問題といえるのではないか。
自力でなんとか出来なければ諦める。
出来ないことを求めなければ、人に頼る必要がないし、甘える必要がない。
当たり前かもしれないが、非常に強固に自己完結が可能であるということ。
自己完結していることは、論理破綻をしないので対人関係でも多くの場合において正当性が得られる。
その結果が
対等以外に関係を築けない
と感じることにつながるのだろう。
個人的には、父親の存在に焦点をあわせるよりも、甘えることの出来ない自分、甘えさせることの出来ない自分に焦点をあわせた方が有意義なのではないかと思う。
つまり、
ストーカーは許さない!
けど、記事はしっかり見るよ!自分達にはどうしようも出来ないよ!
という事ですね。
誰も望んでお前のくだらない独り言なんか見てないわ。益田に書くからそういうことになるんだろうが。きちんと相談したければ場所を選べよ。
やっべぇ!
元益田カッコよすぎる!
やれ、やれ、もっとやれー。
俺は全面的に応援するよー。
あー女児に興味がなくてよかったーwww。
元の記事の冒頭で「そういうものではない」と断っている通りです。
誤読というか、読み飛ばしというか、申し訳ないです。
本当に生理的にあらわれるんですね。
それは、大変だな…。
この問題が、本当にあるのだと認めざるを得ないです。
もちろん、元益田からすると、最初から言ってんじゃん。
というのは百も承知です。
まず、私はこういう問題の専門家ではないです。
その上で書いてあることを考えてみます。
客観視したくてしているわけではなく
最初読んだときは、自意識の問題なのかなと推測しました。
ゆえに、客観視と書いたわけです。
かなり強度に自己愛をもっており、人と接する自分を常に俯瞰して見ている。
加えて、完璧主義者でもあり、その自分が完璧でないことから、吐き気を催すというストーリーを考えました。
でも、そのストーリーは全く違うということを理解しました。
この文章から連想したのは、いじめを受けている子供が学校へ行く時間になると腹痛や頭痛を起こすのに近いのかなということです。
つまり、PTSD(心的外傷後ストレス障害)ではないかということです。
はっきり覚えていますが中学一年まではそういうことはありませんでした。
ただし、変わった原因については心当たりはありません。
それでも、この時に何かあったと考えるのが妥当ではないでしょう。
変わったの原因については、記憶障害で思い出しにくくなっているのでは?
また、脳の生化学的な疾患の可能性もあるのではないかと思います。
詳しく知りませんが、人を好きだと感じるときに分泌される化学物質の異常、過剰などの問題が考えられます。
とにもかくにも、自分が感じるのは、「これは病気だろう」ということです。
気を悪くされたなら、申し訳ありません。
親兄弟でも駄目です。昔からお前は冷たい奴だといわれて傷ついてきました。
一番身近な人から理解されないことは、なによりも悲しいことです。
何故、理解されないのか?
おそらく、その理由の一つは病名がついていないことです。
やはり、医師の診断を受けて、病名を知ることが重要なのではないでしょうか。
私は、元益田のような人にはじめて会いました。
だから、同じ悩みを抱えている人は随分少ないのではないかと予想します。
専門家でも正確には分からないのかもしれません。
それでも、まず一歩踏み出すべきではないでしょうか。
元増田には、”このようなことがある”ということを言葉にして伝えてくれたことを何よりも感謝します。
ありがとう。
こんなこというのもなんだけど、床オナの人って、セックスでイクの難しいよね。男も女も。
あの自分の体重をかけて擦り付ける刺激って、再現できないんだよね。
他人では。
自分もそういう人と一緒にいたことがあるので分かります。
まあ、なんだ。私は、その人を救えませんでしたwww。
しかし、元増田はやさしいよね。
はじめての人でよく分からなかったってのもあると思うけどさ。
感じてるフリしてあげるなんてさ。
よくがんばってきたね。
元増田が感じていることは、何も間違っていないよ。
全部、正しい。
そうやって、大事な人のために一生懸命になれる元益田は素敵だと思うよ。
でも、がんばって気持ちぶつけた方がいいと思う。
ここに書いたとおりにさ、いってみてごらんよ。
他の増田は「本人の意思だけを主張して結婚しようとするのがお子ちゃま」とお叱りいただいてるんだけど、これは確かにそうかもしれないとも思う。
個人的には、それが子供なのか大人なのかということで片付けるのは避けたいと思ってる。
別に元益田は”お子ちゃま”で構わないし、そういう生き方をする自由は当然ある。
その自由な生き方の中で結婚という社会的な結びつきを求めることも悪いことだなんて、まるで思わない。
でも、俺としては「本人の意思以外が介在した結婚なんてクソ喰らえ」ってのが本気のところで、もし、それ以外の何かが介在してくるなら結婚なんて願い下げ、
それが出来そうだからこの選択肢に至ったんだ、ってのが正直なところ。
「楽をする」ではなく、自分(と彼女)の意思だけを主張して出来ないことなんかハナっからやる必要がないっていうのが俺の考え方なんだよね。そういう意味で、俺は字面上の「結婚」には対して意欲がないのかもしれない。
言ってることは分かるし、そういう元増田の生き方は嫌いじゃないよ。
ただ、結婚ってそういうもんなの?って話にどうしてもなる。
もしもね、結婚が本人の意思以外が介在しないものであるならば、彼女の父親に会いに行っている時点で元増田は矛盾してると思う。
元増田の話からいけば、会いにいく前に彼女を説き伏せて、婚約届けを出すのが筋だろう。
会いにいってる時点で、”それ以外の何かが介在”することを認めてる訳だ。
個人的な見解だが、結婚は”それ以外の何かが介在”なしには出来ないものだ。
神であり、親であり、友人であり、法であり、それらを介して、社会的に二人の関係を認めさせるものだ。
本当は自己解決してるんだろ?
”字面上の「結婚」には対して意欲がないのかもしれない”
”本当は結婚とかしたくないんです。でも、悪いんで、責任はとるって事でいいですか?”
やっぱり、殴るね。確実に殴る。
あーうらやましい。
何人か分けてくれよ。
べつに、自分に惚れてくれなくていいからさ。
愛のないセックスもいいもんだ。
そもそも惚れる事ってどうしたら出来るんだろうね。
これって、むずかしいよなー。
あんまり使わんし。
文意からすると、”本気になれない””情がわかない”という意味で使ってるのかな?
女の子と沢山遊んでるから惚れたり出来ないのか?
これから想像するに、あんまり長く付き合ったりしないんだよね。
元益田は。
これだと、情なんて沸かないよね。
同棲とかしてみたらどうだろう。
めんどくさいなーとか思うだろうけど、情がうつるって意味もなく時間を重ねることでしか生まれないものだと思う。
もし、”本気になれない”と思ってるなら、自分から探そうとしていない可能性がある。
女性の好みのタイプなんてありえないと思ってるのなら、それは間違い。
絶対にある。
元増田は悪くない。
論理的に間違っていないし、むしろその正直さは好ましくもある。
殴られる理由なんて一つもない。
ただね、自分が孫を抱けないことを悲しんでいるわけじゃないと思うんだよな。
まあ、好意的に考えて、ではあるけどさ。
娘を”ただ愛してる”といえない男に委ねることがただただ悲しかったんじゃないかなと思う。
元増田は、両親がいないらしいね。
感じたことないだろうから、分かんないかもしれないけど、やっぱり子は宝なんだよな。
何歳になっても。
残念だけど、取替えが効かないもんなんだよ。
その親父さんにとって、元益田はどこまでいっても他人なんだよ。
はっきりいって、娘を幸せにしてくれる人なら誰だっていい。
元増田である必要なんてまるでない。
それって、理屈じゃないよ。
もし、自分だったら認めないね。
朝鮮進駐軍 ※Weblio辞書にて削除予定の為、全文コピー。
http://www.weblio.jp/content/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E9%80%B2%E9%A7%90%E8%BB%8D
概要
一般に朝鮮進駐軍と言ったときは、おおむね1945年昭和20年以後に現在特別永住権を持つ在日一世(朝鮮人・韓国人)、もしくは現在日本に帰化または半島に帰国した朝鮮民族によって作られた犯罪組織を指す。 戦後、日本がポツダム宣言を受け入れると日本各地で、婦女暴行、窃盗、暴行、殺人、略奪、警察署の襲撃、公的機関への襲撃、土地建物の不法占拠、鉄道や飲食店での不法行為等様ざまな朝鮮人による犯罪が多発した。 自称「戦勝国民」(正しくは戦勝国民ではない)であると主張し、自らを「朝鮮進駐軍」と名乗り各地で徒党組んで暴れ事件を起こした。GHQの資料にあるだけでも最低4000人の日本人市民が朝鮮進駐軍の犠牲となり殺害されたとされている。
戦後の混乱を利用し、日本刀等の刃物・鈍器以外に多くの銃火器を使用した。銃は三八式歩兵銃や機関銃など盗んだ旧日本軍の武器で武装し組織化を行った。朝鮮進駐軍では旧日本陸軍のパイロットの軍服を好んで着用したが、これは日本兵に対するあてつけとも、日本人(皇民)に対するあてつけとも言わた。 組織ではいくつかの本部設けたが、実際は各地域ごとに部隊名をつけその部隊が、個別に日本人を狙った犯罪行為を繰り返しすことが多かった。 朝鮮進駐軍総本部(在日朝鮮人連盟総本部)はのちの在日本朝鮮人連盟。更にこれが在日本大韓民国民団(略称「民団」)と在日本朝鮮人総聯合会に分かれ、これが現在の民団と朝鮮総連となる。
時代背景
当時の日本では戦場に男手が駆り出され極度の男手不足に陥っており、また都市部においても疎開や空爆による被害で人手が足りない状況が長く続いていた。 また警察組織においても、武器の使用が認められないなど戦後特有の制限があり。戦後朝鮮人犯罪が増加の一途をとどった背景には、このような犯罪に対する抑止力の空白化が背景にあったとされている。いまでは考えられないことではあるが、当時はヤクザ(現在の指定暴力団)が朝鮮人から、日本人の生活を守る役割を一部果たしていた。 この当時は朝鮮人の殆どが実名で暮らしており、通名を使用しだすのは朝鮮の姓に対して嫌悪感や犯罪者といったイメージを日本人が抱くようになってからである。ただしこれは、朝鮮人側からはもともと差別があったからとされている。
朝鮮人による犯罪
朝鮮進駐軍による犯罪は全国に及んだ。特に川崎・大阪・神戸・都心等当時朝鮮人が比較的多かった地域で多発した。特に東京では、原宿等を中心に三八式歩兵銃や拳銃・日本刀等で武装した朝鮮人によって占拠されており、のちに警察やGHQにより鎮圧された。
市民を狙ったものとして白昼に堂々と集団で婦女子に暴行を加えるなど、多数の犯罪行為を行った。拳銃や刃物で武装しており一般市民は無力であり繰り返し行われることも多かったため被害が拡大した。またGHQの調べでは少なくとも4000人の日本人市民が殺害されており、多い説では1万人以上であったとも言われている。
略奪・窃盗・密売・土地の強奪等においても組織的に関与していた。一般の露天商からの強奪や農作物・家畜の強奪(利根川水系の牛の強奪などが有名)等、さまざまな方法で集められた商品が朝鮮人によって売買され、その後の朝鮮人社会の資金源として利用されてきた。その他に、戦後土地建物の所有に関する書類の損失や強引な立ち退きにより土地・建物の収奪も相次いだ。
1945年12月翌1月におきた生田警察署襲撃事件では武装した朝鮮人50人が襲撃し警察署を占拠。翌46年には長崎県警察本部で、在日朝鮮人連盟と名乗る総勢約200名が同署を襲撃して破壊活動を行い、10名に重軽傷を負わせうち1名は死亡にいたらしめた。46年には国会議事堂前でも集まった2000人の朝鮮人と応援出動した武装警官358名・進駐軍憲兵20名とが銃撃戦に発展。首謀者は軍事裁判に付され、翌年3月8日に国外追放処分になった。1948年4月には阪神教育事件では数千人の朝鮮人によって庁舎が占拠された。これに対して3000名の警官隊を動員して、朝鮮人を庁舎から強制排除し1800名の朝鮮人が検挙された。戦後はこのような事件が日本各地で続発した。
第八軍司令官ロバート・アイケルバーガー中将は、正規の大部隊を治安確保のため朝鮮人に対して街中に簡易陣地を引くなどして配備した。GHQダグラス・マッカーサー最高司令官は「朝鮮人等は戦勝国民に非ず、第三国人なり」と発表するなど朝鮮人に対する取り締まりにおわれた。 昭和26年に浅草で朝鮮進駐軍と思われる朝鮮人が起こした集団暴力事件では、米兵一名が死亡、二名が負傷した。
主な事件一覧
朝鮮進駐軍及びその後の在日本朝鮮人連盟が関わる事件の一覧である。
生田警察署襲撃事件(1945年12月24日、1946年1月9日)
大村収容所脱走企図事件(1952年5月12日~25日、11月9日~12日)
参考文献
横幕胤行、富久公、船越信勝『吹田・枚方事件について』1954年
宮城県警察史編さん委員会編『宮城県警察史 第2巻』1972年
警視庁富坂警察署編『富坂警察署100年史―新庁舎落成記念―』1975年
兵庫県警察史編さん委員会編『兵庫県警察史 昭和編』1975年
仙台市警察史編纂委員会編『仙台市警察史―仙台市における自治体警察の記録―』1978年
李瑜煥『日本の中の三十八度線―民団・朝総連の歴史と現実―』1980年
福岡県警察史編さん委員会編『福岡県警察史 昭和前編』1980年
竹前栄治、中村隆英監修『GHQ日本占領史 第16巻 外国人の取り扱い』1996年
コピー終わり。
http://anond.hatelabo.jp/20100121011555
元増田です。
結論を見ると、元増田と異なっている。
ご紹介頂いた論文の最初の文章をご覧下さい。
"Since the 1980s, a widespread view has arisen in the literature that the post-1950 economic successes of Taiwan and the Republic of Korea have been due, in part at least, to the legacy of Japanese colonialism."
とありますよね。現在進行形で記述されている以上、「1950年以降の台湾と韓国の経済的成功は、少なくとも部分的には、日本の植民地政策の遺産に依っている」という説は、30年間にわたって、そして現在も、「広く知られた見解」なのです。もしこの見解が実際にはマイナーなものに過ぎず、私の恣意的な選択によってあたかも広く受け入れられているかのように錯覚させているだけだと思われるのであれば、是非その根拠をお聞かせ頂きたいと思います。私は紹介した論文以外にもいくつかの論文のliterature reviewを参照していますが(議論の大枠をつかむにはこれが一番手っ取り早い)、この見解が学界で広く受け入れられているものであることを疑わせるような記述はただの一つも見つかりませんでした。A Boothの論文も、「歴史修正主義者」の見解がどのようにして学界で広まり、議論が深められていったかを丁寧に説明していますよね。この最初の数段落はサーベイとして良くまとまっていると思いますので、是非ご一読ください。
もちろん、この見解には反論も提出されています。私の最初のエントリーで紹介したHaggard, Kang and Moon (1997)がそれです。ですが、Haggard, Kang and Moonの論文が世に出て10年以上、依然として彼らが異を唱えた見解は広く受け入れられていることはBooth自身が指摘しているわけで、彼らの反論が受け入れられなかったことは明らかです。Boothの論文はまだ発表されて3年ですので、この論文の影響を測るのは難しいですが、比較的似たKimura (2005, JEH)の論文(前のエントリーで紹介済み)と比べて、発表されたジャーナルの格が全く違います(主観的な感想をお許し願えれば、論文自体の説得力もKimura, 2005が遥かに上であると思います)。現時点で、門外漢がどちらを信じるべきかと考えた場合には、やはり学界の多数派であり、多くの一流ジャーナルにアクセプトされている「歴史修正主義者」側の見解を採るほうが客観的でフェアな選択であると思います。少なくとも、「自分の政治的な意見にとって都合のいい方だけを信じる」という、安易な選択よりは遥かに望ましいでしょう。
私自身もブログは持っていますが、この手の話を書くと、議論の内容ではなく、「自分の意見の味方であるか敵であるか」だけに注目して妙な感情論を投げてくる人が多いので、政治宗教プロ野球の話は原則として益田を使うことにしています。妙に興奮した感情論にいちいち答えるのは疲れますから。
また、この件で匿名で書くか実名か、またはペンネーム(id)を使うかが何か重要な違いをもたらす理由が良く分かりません。重要なのはプリンストンのKohliやイェールのReymonds、またはご紹介いただいたSOASのBoothが口をそろえて指摘する、「1950年以降の台湾と韓国の経済的成功は、少なくとも部分的には、日本の植民地政策の遺産に依っている」という見解が広く受け入れられている、ということを信じるかどうかであって、私の個人的見解は披瀝してもいませんし、信じてほしいとも思っていません。
若干突き放した書き方をしますと、あそこまで書いても、中身も読まずに「検討に値しない」とか言ってしまう人は、私が想定する読み手ではないのです。(こういう放言が出来るのも増田のメリットと言えるかもしれませんね。)