はてなキーワード: 放送作家とは
明日、第3回の東京マラソンが開催されるけど、お祭り騒ぎの盛り上がりとともに
どうもマラソンを甘く見てる人も多く流入してるように思える。
普段はまったく運動してないのに1ヶ月前からやっと走り始める、42kmを練習で走らない(走れない)、
関門で足切りで悲劇ぶるとか・・・
基本的に他人の身体だからどうでもいいんだけど、なんか東京マラソンで事故があって
そんな悪い予感がする。
http://blog.goo.ne.jp/nobubu_001/c/511ca3fa0e50634bf44409fcd5ed6590
<あらすじ>
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「急いでいる人だっているはずだとなぜ想像出来ないのだ?」
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「大雨でも降りゃいいのに。」
本を読むのが早い人は、文字から意味へと直接変換できるらしい から 政治家の演説は何故つまらないかについて
http://anond.hatelabo.jp/20090313013634
漢字の思い込みでの読み間違いのエントリーがあるが、まさに麻生の漢字の読み間違いはそういったことなんじゃないかと思う。
なまじ本とか読んでるから、頭の中でそれが定着しちゃってるのだろう、と。
特に本での読み間違いは、朗読でもしていない限り他人に指摘されることはないだろうし。
本というか文字を読むのが早い人というか、本をたくさん読む人と、そうでない人の違いというのはずばり「文字から意味(イメージ)への直接変換ができるかどうか」にあるのだそうだ。それができるかどうかで、全然読む速度が違ってくる。
そうなると、特に表意文字である"漢字"と言うのは、もはや読み方など関係なく、文字だけで意味を拾えてしまうのでやはりこの場合は漢字の読み間違いなどは関係なく意味が読めてしまう。
これができない……読んだ文字を一度頭の中で再生して、それで意味を読んでいる人にはイメージしにくいかも知れないので例を出すと「中国語と日本語で漢字は同じで意味は同じで筆談である程度話ができてしまう」と言うことがある。このときには発音は関係なく直接文字から理解しているのであるが(むしろ読み方が違うので発音すると通じない)これを常にやっていると言ったらわかるだろうか。
そうなると、一度脳内で読み上げてるとオーバーヘッドがあるなしでは全く読む速度や効率が変わってくるのである。また、音声に変換する手間だけではなく、入力デバイスたる体から脳へつながる神経の帯域幅は、おそらく耳よりも目のほうが圧倒的に広く、入力できる情報量は目の法が圧倒的に多いはずだ。もしかしたらつながっている部位も処理の方法も異なって、直接入力ができる人と、頭の中で描いているイメージすら異なるかも知れない。
パソコンに例えると、ビットを直接ストリームで送れるデジタル通信と、一度音響カプラで音声に変換しなければならない通信との違いと言ったら(一部の人には)わかりやすいだろうか。
おそらく麻生氏を初めとした「意味は読み取れるけど発音すると上手くできない」人はそういう脳の構造になっているのではなかろうか。
もちろん中には異常に高性能で超広帯域でつながった音響カプラを持っていて、脳内で超高速音声通信を可能にしている専用回路を持つ人もいるかも知れない。そういう人はおそらく読み上げる文章を書く仕事をしているのではないかと思う。つまり脳内で言葉の響きをシミュレーションできる人だ。たとえば劇作家とか、脚本家とか、放送作家とか。
日本には答弁書を書く役人や政策秘書はいても、スピーチライターと言うのはあまり聞かない。これは何故かというと、スピーチライターに必要とされている能力が、政策を策定するために大量に文章を読んで咀嚼する能力と、言葉に出して読む、響きがいい言葉を音楽のようにつなげる能力は、わりと相反するからではないだろうか
しかし、日本語は漢字という表意文字を用いる言語である。そのため、政治に携わる者、エリートとして国を動かす者などは、どうしても自然と言葉を頭の中で響きよくシミュレーションする能力ではなく、言葉を意味に直接変換する能力が強くなっていってしまう。意識せずに当たり前に文章を読み、文章を書くと、文字から直接意味を読み取り、意味を込めた文章を紡ぐ。しかしこれではどうしても響きのよい言葉は生まれにくいのではないだろうか。
また、下手をすれば、文章を一度音声に変換してから理解するように、耳で聞いた音を一度言葉に直してから意味に変換している可能性はないだろうか。もしそうだとすると、音から直接意味を拾うことのできる人とは、頭の中で描いているイメージすら異なるかも知れない。また、これだと声に出して呼んでも一度脳内で文字に変換しているため、上手く処理できないのではないか。
さらにこれは、政治家だけの問題ではなく、どうしてもスピーチが堅く強ばったものになってしまう人に共通すると思う。
では、以上の仮説からスピーチをよくするにはどうしたらいいのか。当然それは音楽のように響きを組み合わせてスピーチを作れるスピーチライターを呼んでくる、と言う解決策もあるだろうが、それはすぐにできるわけではない。
ならどうするか。それは、文章を書かない事ではないかと思う。
つまり文章を書くのではなく、ICレコーダでも何でもよい、声に出して文章を作り録音し、それを編集することで原稿を作る、つまり口述筆記だ(いや、この場合は筆記は最後にしかしないのでこ筆記ですらないかもしれない)。こうすれば自然と音声でスピーチが作成できるし、文章を読み上げているような堅い文章にはならず、音声で相手に届くものができるのではないだろうか。
いかがだろうか。
てか、口述筆記したものを音声のまま組み替える(編集する)事に特化したようなソフトってないかなぁ。音声の編集ならDTM系ならいくらでも流用できそうな気がするけれど、アウトラインエディター的に言葉を章にわけて、自由に組み替える事ができたらおもしろいと思うんだけどどうだろう。なにかないかな。
http://anond.hatelabo.jp/20081101232133
問題は、飲み会の席で相手に告白したということ。そのデリカシーの無さに。
だってさ、当人の気持ちになって考えてみろよ。
例え相手が生理的に受け付けないやつだったとしても、明らかに断りにくいじゃん。
いや、告白に応じた/断ったところで、その後周囲から囃したてられるのは必至。
あなたは違うんだろうけど、恋愛をデリケートな心の問題として捉えている人にとっては、正直耐えられないだろうね。
「結果的にOKしてくれたんだからいいじゃん」と思うかもしれない。
違う。そういう問題じゃないんです。
「衆人環境で告白」というシチュエーション自体、つまりは暴力的な意味を持つのです。
周囲に促されたからとはいえ、そこで酒の勢いに任せてしまった以上、その暴力に加担したのと同等なのです。
そもそもさ、告白が冗談であったとしても、その相手は「前から少し気になってた子」なんでしょ。
悪いけど、気になってる子に対する態度とは到底思えないね。
あまりに一人よがりで、身勝手すぎる。
昔、某テレビ番組で中学生が学校の屋上から告白するやつあったじゃん。
告白する本人は本気なんだろうけど、傍から見てると凄い滑稽でさ。
んでOKされたり振られたりして、某ジャニタレが飛び出してきて、最後にカーペンターズの歌がかかるやつ。
あれ見て最悪だと思ってた。こんなの考えた放送作家は死ねって。
別に男も女も問わず、恋愛っていうのは物凄い心的エネルギーを発生させるものなのです。
だからこそ、このようにネタに転化させることが容易にできるわけですけども。
なんつーか、やっぱり許せねーなと。
24時間やってるネカフェ自体、ある程度都市部にしかないと思うんだけど、
↓
卒業しても就職できず(もしくは「なんとなくしない」で)派遣や日雇い
↓
金が貯まらず、家の更新料なんかを払えない
(2年間フリーターだったら、更新手続きが2年なので、金がちょうどない)
↓
みたいなのを想像する。日雇いの仕事があるのも、ある程度都市部じゃないとなさそうだし。
まあ、それぞれいろんな事情があるとは思うんだけど、
それにしても、住む所なくすくらいヤバイ時って、さすがに実家の親に頼ってもいいんじゃね?
そりゃ社会人にもなって親に頼るのは・・・とかちょっとしたプライドもあるだろうけど、
悪いけど家なきゃまともな社会人じゃねぇよw
てか、社会人なっても実家にいるって、そんな恥ずかしいことか?
都会に出てきたけど、どうにもならなかった、
そういう時、一度態勢立て直すために、「実家に戻る」って選択肢は、普通じゃないか?
ネカフェ難民やってる奴らは、もちろん好きでやってるわけじゃないだろうけど、帰る家(実家)はないのか?
ネカフェ難民には、家庭問題があるんじゃないだろうか。
俺は埼玉出身で、東京の大学出て、東京で一人暮らしをしている。
大学んときのヤツらは地方から来たヤツもいて、実家に帰ったヤツもいるし、
そのまま東京で働いてるヤツもいるし、関東近辺の実家から東京に通勤して働いてるヤツもいる。
駆け落ちじゃないけど、双方の親に結婚を許されなくて、無理やり結婚したヤツもいるし、
実家でフリーターやってるヤツもいるし、実家だけど、放送作家目指して、少ない給料やりくりしながらがんばってるヤツもいる。
ニートって、短絡的に言えば、昔ならばオヤジが「とっとと働け!」ってぶん殴って更正せざるをえないよーなもんwを、
今の甘い家族が作っちゃってる的な部分があると思う。
その逆で、ネカフェ難民って、戻る家のない人たちが、なんとか生きていくための苦渋の選択なんじゃないだろうか。
ニートが親が関わり過ぎる・甘過ぎることで作られるなら、
ネカフェ難民は親との関係性が断絶していることで生まれてしまうものではないか。
となると、
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080823-00000022-yom-pol
てのももちろん重要なんだけど、実はそれよりも根っこの部分で、
日本の家庭環境が壊れているってコトに対しての政策をしなきゃいけないんじゃんないだろうか。
まあ、何をすればいーんだか検討が皆目つかないんだが。
ananの6月25日号、「好きな男にモテたい」特集のとある記事について。
52ページの
「気づいたら好きになっていた・・・。男が体験した恋のマジック集」という見出しの記事。俳優の沢村一樹、ミュージシャンのDAIGO、放送作家の中野俊成という人の3人の座談会の模様が書かれている。
私はそれほどテレビは見ないほうだが、沢村一樹とDAIGOのことは知っている。
しかし中野という放送作家の存在は知らなかった。こういう記事に採用されるのだから、おそらく売れっ子の放送作家なのだろう。「恋するハニカミ」などの番組を手がけているらしいが、私は「恋するハニカミ」は見たことがない。しかしともかくこの中村という放送作家の発言がことごとくうんざりだった件について。
まずは「僕は逆に仕事のことを褒められるのはあまり好きじゃなくて。仕事の内容を知らないのに、分かったようなことを言われるのが苦手」という発言。
この発言はかなり自意識過剰だ。
どんな仕事もそれぞれに違いがある。その仕事に就いている人間にしかわからないことがあるのは当たり前。でも反対にどんな仕事にも共通することもある。私たちは他人とコミュニケーションするときに、違う業種の人と話す場合であっても、相手の話をよく聞き、自分の仕事とも共通することと照らし合わせて、想像力を働かせて相手の仕事に対してもコメントをしたりする。これは普通の人間同士においてもよくあることで、ましてや恋人同士であったり、その可能性のある女性と話しているのだったら、相手の男性の仕事に興味を持つのは自然なことだ。この中村さんは自分の仕事をどれだけ特殊なものだと考えていらっしゃるのか。一般人には分からないトクベツな仕事に就いているという思い込みが感じられる上に、こういう人間に限って、ほんっとーーーに相手の女性が心底自分の仕事に興味がこれっぽっちもないと分かるとプライドが許さないタイプが多いのだけれども、そのプライドの裏返しがにじみ出たような発言ですねー。
「むしろ運転とか縦列駐車とか、日常の些細なことを褒められると嬉しい」とそのあと発言しているが、疑わしい。自分の作品を見てくれ!分かってくれ!褒めてくれ!という自己顕示欲の塊みたいな職業の人間が、誰にでもできる縦列駐車を褒められるだけで満足するとは思えない。「放送作家、それも売れっ子のあなただから注目しているの」と思われたいけれど、それをそのまま言われるのも職業以外に自分に魅力はないと思われているようだから、言わないでほしい・・・でも本当は僕の職業はみんなの憧れの的だって思っていてほしい・・・というなんとも矛盾したことを考えているのだろうね・・・。この人のそばにいる女性は、職業にはなんら関心のない言動をしつつも、でも瞳の奥には「あなたの職業を尊敬しています」という炎が燃えている、という難しい役どころをこなさなくてはいけませんね。あほらしー。
この「職業を意識していません」というのは、しかし有名人・著名人との恋愛・結婚道におけるちょっとした王道のテクニックであるらしい・・・。
ある奥様雑誌で、スポーツ選手の妻という特集を読んだが、やはりスポーツ選手の妻が「家庭で主人には試合の話はしないように気をつけています」とインタビューで答えていた。えー?旦那さんがスポーツ選手なのに試合の話をしないように気をつけるって・・・?と私は気持ち悪かった。「気をつける」という言葉づかいからして、ほんとはすんごく気になって仕方ないけれど、気にしていない「ふりをしている」のか!なんじゃそりゃ?人気スポーツ選手の妻は、「私は旦那のことをひとりの人間として愛している。別に有名で人気者のスポーツ選手だからではないの。(そして彼の法外な年俸が目当てだったんじゃないの)」というポーズをずっととらなくちゃだめなのかしらん。
(自分が有名だと思い込んでいる)男性も、仕事のことには興味を持って欲しくないと思い、(自分の旦那が有名だと思い込んでいる)女性も、仕事のことには興味をもっていると思われたくない。一見なんかつりあいが取れていますがね。。でも両者ともに、ほんとは職業にすごくプライドが高い可能性があるので、そのへんの折り合いはどーなってるんだろ?
私個人の感想としては、自分の仕事に誇りをもっているとしたら、愛する人にも同じように誇りに持ってもらいたいし、自然に普段の会話で仕事のことが会話できるのが気持ちよいなあと思います。
有名人がゆえに、その地位と名誉とお金が目当てで近づいてくる女が絶えなかったから、そういう女性が苦手になった、という意見もあるかもしれないけれども、
本当に魅力があって自分に自信のある女性は、
相手のお金につられて自分によってこないし、その世界に長ければそのことは知っているはず。
たぶん、本当に近づいてほしかった女性には見向きもされなかった経験があるはず。
だったら、「仕事のことで褒められても嬉しくない」とかせせこましいこと言ってないで、
素直に喜べばいいのにさー。
まだまだうんざり発言はあるけど、とりあえず今回はこのへんにて。