はてなキーワード: 大卒とは
結婚できなければ誰しも不幸なのか。
独身女性が楽だなんてこれっぽっちも思わないであろう。
働くにんげんの辛さは誰もが知っている筈だから。
主婦がそれに劣るというとこも決してない。
家族を思いやる心のなんと温かく有り難いことか。
職種・労務の内容は異なれど、そこに貴賎はない。
大切な人の、幸せを願い、気持ちを注ぎ続けることで得られる
心の豊かさが幸福を育むのだ。
しあわせは、自分の心が決めることだから。
一生心を添い遂げられるパートナーと出会えることは幸運であろう。
しかし、それが配偶者である必要が、果たしてあるのか。
今持てる家族、友人を大切にすることから始まるのではないだろうか。
それらを踏まえた上で。
夫より早く家を出、先に却って夕飯の支度をし、の繰り返しの日々。
せめて5時間は寝たい、と思いながら、夫の手取りの半分ほどの給料を稼いでいた。
室長は無能だった。責任を逃れるために全ての職務を女性のリーダーに委ねていた。
リーダーは奔走し、室長は虚ろな目で右往左往するばかりで役に立たなかった。
その様子を尻目に、我々一般社員は死にものぐるいで働いていた。
室長は定時を過ぎても居残っていたが、1日の仕事はメールを1通書くだけであった。
ある日室長の給与を知ることになったが、それは一般社員の3倍ほどの額であった。
いつしか、私は心も体も疲弊しきって、ドクターストップのもと退職した。
そこで待っていたのは、安楽な時間。
こんなに楽をしていいのかと思った。
私が働かなくても、夫の給与だけで十分食べていける、貯金も出来る。
職種の違いはあれど、男女でこれほど収入に差が出るものかと改めて思い知った。
実際室長は糞の役にも立たないのにあれほどの大金を手にしていたではないか!
私は、理系4大卒の新卒採用正社員で、入社5年目で手取りが20万に満たなかった。
研究職なので残業代は出ない。往復5時間かかる出張にも手当は出ない。
私に限ったことではなく、社内の女性社員は大体横並びの収入であった。
一緒に働いていた仲間に、申し訳なくて顔向けが出来ない。
もしも心身が元通りになったならば、また働きたいと思ってるのではあるが。
以前よりもましな会社が果たしてあるのか。
眠れないので、ふと思ったことを。読みにくい文章ですいません。
彼女は3人姉妹の真ん中。
両親から受けてきたという。
妹もそれなり。
両親からとても愛情を受けて育ってきたという。
先輩は、短大中退。正社員として働いてはいるが、親、とくに父親とは折り合いが良くない。
そして同時期に、先輩と先輩の姉が妊娠した。
姉→旦那は一流大卒TV局勤め、旦那実家も金持ち、先輩の両親も喜び、盛大な披露宴もした。
先輩→旦那はガテン系(増田注:私はガテン系は立派な仕事だと思ってます)、実家はそんなに経済状態良くない、
先輩の両親は「世間体を考えたのか」と激怒、結婚式出席拒否、披露宴は親、親戚抜きで挙行。
先輩の姉は、先に結婚することを伝えて、すぐ後で妊娠したことを伝えたからOKだったらしい。
先輩いわく「時期考えるとおかしい。絶対黙ってたんだよ」と。まぁ・・・そう思うのも無理はない。
意外なことだが、先輩と姉は表面上は仲はいい。だから姉が先輩に気を使って「私らの式はしなくても大丈夫だよ」と
言ったのだが、言われたほうは余計みじめになるよね。だから予定通り式をしたんだと。
先輩の披露宴に行ったが、やはり両親、親戚抜きの披露宴はどことなく寂しかった。
先輩は「生まれたときから、姉と比べられてきたけど・・・私の子供もずっと姉の子と、比べられるんだよね。おじいちゃん、おばあちゃんに」と、嘆いていた。
実の子供なのに、どうしてこうも差をつけられるのか。よく「三人きょうだいの真ん中はアルバムの写真が一番少ない」とか言うけど、
このケースはそれを超越してる気がする。
先輩がそんな風になってしまったのも、両親の影響があるのに。他人の私がとやかく言える問題じゃないけど、そう思う。
でも泣けない。
泣くに泣けないって状況。
修行とタコ部屋での生活は想像を絶する厳しく辛いものだったけれど、
将来店を構える夢があったので何とかやってこれた。
ところが、2年前いきなり親方が蒸発した。
(あとで兄弟子に聴いたら借金が払えなくて東南アジアに逃げたとか)
それで行き成り無職。後輩に一緒にホストをやらないかと誘われたけど、
私はやんちゃな事をしたことが無く、性格も内向的なため断った。
修行期間が3年で、今20歳。
うちのシステムは5年下積みで、そこからようやく仕事を教えてもらえる。
私の場合は、先輩の仕事を観てあれこれ技を盗み見しながら勉強したんだが、
腕前的にはかなり中途半端。半人前一歩届かずって感じ。
他の店に入るにもこういう半端者は嫌われるし、
修行期間がリセットされる可能性もあって、あの生活をまた最初からやるのはもうこりごりだ。
色々、仕事を探したが、中卒で雇ってくれるところは殆ど無い。
今の状態で実家には帰りたくない。帰れば二度と故郷をでることが無い気もするし。
前々から興味があったIT業界。
でも、この業界も色々調べると大卒で無ければ転職で綱渡り的な生活が多い。
でも大卒を取るのは厳しそう。
夜間大学に行こうにも、お金も無いし、就職してから出ないと無理ですね。
ですが、私の経歴を考えると、一生職探しを考えながらの生活になるんでしょうかね。
憂鬱ですよ。これからの事が不安で、寝酒をあおらないと眠れない(アル中ではないです)
早く安定した仕事に就いて、できれば結婚もして、親に会いに行きたい。
それが今の夢です。普通ですね。
ですが、一端底辺に落ちると普通に戻るのが如何に大変なことか気付かされました。
この夢が叶うとすれば、最短で5年後くらいでしょうか。
親兄弟はすっかり萎縮して、やつれた私を観てどう思うのかな。
はっきり言って使いたくない。
有名大卒や一流大卒でうちみたいなところに面接に来る連中って、30歳前後の奴が多いし(中には37歳って人もいた)、うちは平均年齢がそんなに高くないから俺を含む周囲も結構も気を遣うし、単純作業の繰り返しと周囲と話が噛み合わないことから相手もじょじょにやる気がなくなっていく。
うちはDQNサービス業だし、基本的に学歴不問だから高卒専卒が多い。もちろん大卒だって働くなら大丈夫なところさ。学歴で分け隔てることはしていない。特に、オープンしてまだ間もないからいろんな人を育てたいっていう気持ちはあるし、それがきっかけで暖簾わけなんかもできたら良いななんて思うけど、今まででやって来た有名大卒や一流大卒の人たちは一向に身を入れてくれないんだわ。何か「俺はここで働くような人間じゃない」って思っているのかどうか知らないけどさ。監督している立場から見ていると、こういうのってすぐに分かっちゃうんだよ。で、そのうち無断欠勤し始めたり、バックレたりする。ああ、言っておくけど、ちゃんと仕事は教えているよ。マニュアルとOJTで業務指導はしてる。分からないことは何でも聞けるような雰囲気作りはしている。
だったら、どうして最初からうちみたいな時給も安いDQNサービス業になんか来るんだ?って話さ。自分に合った仕事とか、知識や学歴、趣味みたいなものを活かしたところで働けば良いのに、って思っちゃう。
4年生ですが、実は物凄く劣等感抱いておりまする。高卒よりも専門にですが。
私はとある中小企業に内定しているのですが、同期に自分より若く、(技術的な)実力もある人がそこそこ居て、先輩にも自分より若い人が居るのに、自分は歳ばっかりくって"研究"と称するギリギリ科学実験やってるだけ。それなのに大卒というだけで初任給多いのが申し訳なくて恥ずかしくて仕方が無い。かといって、自分を専門生と同等の待遇で扱って下さいと言い出す勇気もないし、むしろ好待遇に喜んでる面さえあって、自分がどうしたいのかもよくわからない。
そもそも、自分はその企業に見合っていないんじゃないかという気がしてならない。ただ3年間レポート書き殴って1年データ弄んでただけの怠け者のモラトリアム人間が、単なる趣味から選んだ業界で、2年間専門に学んできた人間と対等なわけがない、と思う。
何で私は、素直に、学歴不問と綺麗事を言いつつ実際には大卒採用学歴採用しているような、技術を謳いながら実際には顧客交渉と下請けマネジメントしているような、普通の大卒向け企業を狙わなかったのだろうか。就活している時は、無能な自分が技術者のマネジメントだなんてとんでもないだなんて思っていたけれど、マネジメントされる技術者になるのはもっと無茶だったんじゃないかと思えてしまう。
少し思うところを書いてみる。
>だっておとん、商才なかったんだよ。一人で仕事して50代で年200万とか。下手すると俺の初任給の方が良いくらい。ひどいもんだ。
おとん、たいしたもんじゃない。商才がなくても人を頼らずに自立して生きてきたんでしょ?立派に子育てしたんでしょ。強く強く尊敬する。そこは派遣村の人とは大きな隔たりがあるでしょ。ひとくくりになんて出来ないでしょ。絶対誇っていい部分でしょ。
ただね。派遣村の人とは違うからこそ、考え方を少し変えただけで打開できたかもとも思ったんだ。元増田は大卒であることが伺えるし、たくさん物事を考えているようにも思える。世の中のこともよく見てる。そんな元増田を育ててきた親御さんに敬意を払うからこそ、ほんの、ほんのちょっとだけ考え方を変える可能性を探れなかったのかなと思ったんだ。
以下に書くことは亡くなったお父様に鞭打つような言い分になってしまうかも知れないけど、元増田とお母様にはこの先の人生もあるので、自分の意見を書いてみる。結果論の部分も多々あるので受け入れられないときは切り捨ててくれ。
非常に汚い思考法かも知れないけど、まずお父様が自分の病気を押して働くしかなかったという状況を防ぐ手だてが何かなかったのだろうかと考えた。そこが一番の悲劇の部分だから。
一番つらかったのは、当然だが、お父様が事業を休めなかったことだ。代わりがいなかった。でも、健康は何事に代え難いがたいものだ。そこは親類に頼っても良い部分じゃないのだろうか。お金は働いて少しづつ返すといって金策に走ることは出来なかったのだろうか。
お母様も、収入を得ることで精一杯であったことが伺えるが、職場の人間というのは、同僚がそこまで差し迫った状況であることを知ったときに、果たして知る前と同じ様に仕事を要求するのだろうかと思ったんだ。旦那が病気だと言えば、お見舞いをするために少し働く時間に融通を利かしてくれたり、野菜や煮物を分けてくれたりと、そんなことがなかったのだろうかと。
そして、心理的なハードルが高いことはわかるが、生活保護という手段は想定としてあったのだろうか。
うまく言えないが、お父様とお母様は歯を食いしばってしゃにむに働いたのだと思う。じゃあ、そんな方を世の中の人間は見捨てるだろうか。評価しないのだろうか。そうなんだとしたら、私は絶望せずにはいられない。
今の時代、競争は肯定されていて、極論すれば、他人を蹴り飛ばしてでも自分だけ成功しようとする風潮が強い。リアル蜘蛛の糸だ。
そんな風潮の中、お父様やお母様の「がんばる」はどんながんばるだったのだろうか。「がんばる」が他人と蹴散らしてでもがんばる「敵を作るがんばる」だったのか、それとも競争じゃなくて協働というか、他人が困っていたら助けるなかでの「みんなとがんばる」だったのか。ここをどう考えるかが、人との交わりを大きく変えていく部分だと、個人的には強く思っている。
(ただこれは相応にレベルの高い話で、一生税金むしりとって生きていこうと考えている、自活する気持ちがない人間を前提としてはこの様な話は全く論じられない。)
前者は社会を敵と見なし孤立しやすくならないだろうか。後者は、自分が助けた人の中から、困ったときはお互い様だと自分を助けてくれる人が僅かながら出てこないだろうか。
・・・”茨城”は近郊農業の盛んな土地柄で、農家や土地持ちは家庭で野菜を作り、食べ物には困りにくい土地柄だと思った。だから、近所づきあいを重ねれば、元増田のような非常時には食べ物を用立てて助けてくれる地域住民もいるのではないだろうかと、少しだけそう思った。東京や過疎地だったら難しい部分だろう。
健康は何物にも代え難い。健康で有りさえすれば、一時床に伏せってしまうようなことがあっても、お父様のような方だったらやり直せると思った。だから健康よりも事業を取らざるを得ないという結論を、意地でも、何が何でも、何とか、変える方向を模索する必要があったのだと思う。
生活保護を常にアテにしてのらりくらりと暮らす奴とは天と地ほどの違いがある。生活保護は、その理念から言えば、お父様のような、一生懸命がんばっているが健康上の不運に見舞われたような方のためにある制度なんだと私はそう思う。
なんだか、まとまんねーな。まあいいや。ごめんな頭使って考えたけどこの程度のことしかかけなかった。ちなみに私の父親も自営業年収200万だ。いまのところ病気は大丈夫のようだ。
誰もが自分の雇用の優先順位の頂点に正社員を設定しているわけではないということを世間の人はどれだけ理解してるんだろうか。さらに、正社員に向いていないのに正社員になりたがってる派遣社員というのも実は世の中結構居るってことを知っとけ。学校卒業後、非正規雇用のまま働いて結局一度も正規雇用者の身分で働いたことのない奴が非常に多く居るのは事実なので、正社員というのがどういうものなのかを知らないまま、正社員になることに憧れている奴も多いのだ(こういうのは同時にホワイトカラーへのコンプレックスを抱いていることも多い)。
だからここで正社員になることがどういうことなのかということを整理しておきたい。正社員として入社してきた人間は、ほぼ例外なく管理職候補生であるということだ。大卒であれば役員候補生にもなりうるだろう。たとえライン工場であってもヒエラルキーは存在する。在職している限り管理職候補生としてのリテラシーを身に着けるため、あらゆる面で現業以外のスキルを磨かせられる。週報の提出であったり、時には宴会や社員旅行の幹事を仰せつかったり、アルバイトの教育や勤怠管理など、業務の内容は場当たり的に流動的に変化する。決して「定型的作業」のみをやっていて済まされない。会社としては社員に育って頂かないと雇った意味がない。会社が経営戦略上、社員に取らせたい資格があるなら協力しなくてはならない。オフの時間をある程度犠牲にすることにもなる。正社員になるということは、そこに居る人たちと共に会社作りをしていく仲間になるということだ。定例会議の出席もあれば、現業以外のところで何らかの「当番」を仰せつかることもあるだろう。これを担うのも立派な経営への参画だし、拒むことはできない。家族になるということだ。古臭い言い方をするなら、正社員になった時点でファミリーの一員なんである。ファミリーであるが故のメリットとデメリットは当然に理解しているはずだ。多くの人は。だけど、正社員として働いたことの無い人はこれがわからない。だけどそれは仕方の無いことだ。
要は、上記のような「定型的作業ではない何か」を得意としない人、やりたくない人というのも世の中には結構居るんだということ。「指示待ち人間」なら非正規雇用者が向いている。取り決めた業務の範囲内で、ひたすら与えられた案件を消化していくことに秀でた人間はそれはそれで貴重だ。
今となっては派遣社員という雇用形態を積極的に望んで選んでいる人は少数派になりつつあるけど、実は正社員志向の人たちの中にも正社員に向いていないタイプというのは絶対居るはずで、そこのところをよく調査しないといけないはずだ。非正規雇用者から正社員に切り替えるべきだなんて声があるけど、いざそいつらが正社員になったとしても、おそらく多くの人が正社員という立場の息苦しさに音を上げて非正規雇用という道に戻ってくるんじゃないかなと思ってる。
いかが?
俯瞰的な視点で言わせてもらうと、
挫折を知っている人と挫折を知らない人がいるとするなら、挫折を知っていることがプラスにはたらくケースも長い人生の中では出てくる。
だから、今は打ちのめされている感覚で心がいっぱいなのだろうけど、まずその心の持ち様を何とかしていかないと自分に自分で落伍者の印鑑を押し続けることになっちゃうと思う。
次。例えばだけど、半年間運動してなかった人がいきなり1時間マラソンしたとしたらどうなると思う?30分でバテるとするよね。でもそれはある意味運動生理学的に当然な肉体反応なのかも知れないよ。ただそれでへこまずに2ヶ月トレーニングしたら(ここでの時間の長さはかなり適当だけど)1時間バテずに走れるようになるとする。これ仮定ね。
でもこの仮定で話を進めると、半年ぶりの勉強が思うように行かないのって落ち込む事じゃないかも知れない。当然の結果、個々人の能力差とは別に、だいたい普通そうなるわけで、ならない方が異常なのかも知れない。じゃあ落ち込む事じゃないのかも知れない。落ち込む事じゃないのに落ち込んでいるとしたら、なぜ落ち込んでしまったんだろう、落ち込まないためにはどうすれば良いんだろうと考えざるを得なくなってくると思うな。今はそういう気分にはなれないのかも知れないけど。
あと君の考えと私の考えの違う点を一つ書きます。友だちは自分を弱い人間と自覚している人ほどつくるべきです。(でも自分と合わない人を友だちにしちゃダメだよ)傷のなめ合いをしていてはダメかも知れませんが、強い人間はそれこそ自分だけで生きていくこともできるでしょう。でも自分に能力がない人間が社会で生きていくときに友だちはものすごい武器になります。自分の精神を安定させる意味で。だから、「友達が居てもいい身分じゃない」のは君のような普通の公立校出の人ではなくて、親のスネで一生安泰のお坊ちゃまの様な人の方だと思う。
あとおまけ的なことというか、反則というか、そんな感じのこと。
君にとって受験は、「たかが受験、されど受験」だとする。(我ながら超身勝手な推測だな)これを「されど受験、だが、たかが受験」と順番を変えることのススメ。
今は差し迫っているから中々そうは思えないのは分かる。受験のシステムそのものがおかしいというのも負け犬の遠吠えになりやすいのも分かる。分かるけど、「たかが受験」は別の面からは正しい指摘でもあるということ。(例えば、私は大卒で、私の従兄は専門卒だけど、私の親には、従兄の方が人生幸せに生きられていると言われたりもする。幸せの形はそんなに単純なものじゃないという意味ね。)かつそう考える方が前向きになれるのだとしたら、そう考えた方が良いと思う。
えらそうに書いたけど、それは私も君ぐらいの年には似たようなことで悩んだし、精神的にも不安定になった。たぶん君より不真面目だったけどw。できないことを君ほど自分のせいにしなかった。環境のせいにした。
一般化は出来ないけど、高校出て数年くらいの年齢だったら、悩みが色々あるのは普通だと思うな。決していけない事じゃないし、自分を否定する必要はないと思う。
http://anond.hatelabo.jp/20081218230426
それに比べてあなたは根性があるし、
実行(逃走)するかしないかの瀬戸際にいる人間なら腐るほどいる。
まったくもって問題はないレベルだ。
ここからうざいこと承知で自分語りさせてもらう。
高校までは逃げたことがなかった。
部活もそれなりに厳しかったが辞めなかった。
大学もそこそこいいとこに決まった。
大学に入り、貧乏家庭な俺は寮に入ったんだがそこは軍隊だった。
俺は数週間で退寮(逃げ:1回目)し、そこから悪しき逃げ癖が付いた。
「なにかをやめる」というのは初めての経験であり、
すっきりした気分を味わったのと同時にその味をしめた。
逃げたせいで、時々見かける寮の人間におびえてしまい、
サークルに入ったり授業で仲間を見つけたりといったことが
何故か出来なくなっていた。
その夏にレストランでバイトを始めたが一週間でバックレた(2回目)。
延々と皿を拭くだけのバイトだった。
これをやっていなかったらもっとひどい非コミュになっていたところだ。
3年時に違うサークルもかけもちで始めたがそれは数ヶ月でやめてしまった(3回目)。
最初のサークルも4年時にやめてしまった(4回目)。
ゼミの個人的な共同作業(研究?)も俺が口だけで「そのうちやる」ばっかり言っていて
で途中まで順調だったものが未完成(5回目)のまま卒業となった。
あとこの時点で他人から全く信用されない人間になっている。
体育会系の厳しい上司とウマが合わずに半年で辞めた(6回目)。
その後すぐに単純機械作業的なバイトを始めたがあまりに単調で二日で辞めた(7回目)。
そこも人間関係に馴染めず半年で辞めた(8回目)。
なんとなく近所の派遣会社に行くとよさそうな募集があったので登録した。
これは仕事こそ典型的な泥臭い肉体労働だったが同僚に恵まれて毎日楽しかった。
公務員試験とかどうでもいいやと思えるくらい充実した仕事だったため、
一定期間後正社員になれる者と派遣を継続する者とに分かれて俺は後者だった。
なんだか自信を完全に喪失してしまい、辞めた(9回目)。
それから数ヶ月ほど経った。
しかし突然狂ったような他者と自分の比較があらわれ、
自分は根性なしの非コミュの人間のクズで一生まともな職に就けず
彼女も出来ずある日突然首吊りをするのでは、といった精神異常に陥る。
仕事を辞めてほとんど他人と会話をしていない。
日に日に会話力が落ちているのを実感する。
後輩も俺以上の収入を得ている。
高校・大学の同窓生で俺より根性のない人生を歩んでいる人間はいないという強い確信がある。
次の仕事は辞められない。
辞めるごとに精神が破滅するし、その感覚に伴う苦痛をもう味わいたくないからだ。
このところは毎日だ。
ちなみに仕事を辞める直前ギリギリまで死のイメージが浮かんでは消えるのを繰り返す。
死ぬくらいなら逃げる、という覚悟なので仕事は続かない。
簡単に辞める。
働くしかない。
このような精神状態だとネットで年収関連の話題を見ることが出来ない。
俺は年収100万円程度だ。
逃げ癖が続くと確実に精神がやられる。
自分よりも明らかに劣る人間を探して精神を安定させる作業が延々と続く。
落ちた資格は日商簿記二級で、己の能力を過信して1週間漬けで失敗し、
計画性のないクズだと思っています。
落ちてから死ぬほど勉強してやっと過去問がスラスラ解けるレベルになったので、
どこでもいいので経理職に就きたいと考えています。
年収100万程度で生きていけることは分かりましたから。
ちなみに実家には帰れない。
逃げるごとに何かを失っているというか、
歳だけ食ったような。
たくさんの人間に追い抜かれ、俺はもう死ぬしかないし、
ここまで職を転々としたのでばれない範囲で履歴書を捏造するしかない。
そしてヘタな会社に入るのも難しい。
やはり死ぬしかないし、あなたは辞めない方がいい。
数分に一度自殺することを考えるようになるし、
他人を殺した際のニュース映像を妄想するような日々を送ることになる。
書くことによって安定させている。
外観は社交性があるらしく(中身はクソ非コミュ)、
真顔で嘘を付けるため面接でほとんど落とされないが、
それが毎回見かけ倒しな評価となったり自分自身の甘えとなっているようだ。
早く仕事を見つけないと俺は死ぬか他人を殺して刑務所で人生の安定を図ろうとする存在になる。
早く仕事を見つけないと。
とこのように何も考えずに書いていると論理破綻したクズのような文章になることが分かりますし、
結局精神も安定しません。
俺には彼女もいないし金もないし死にたいし今求人情報誌を読んでいるところです。
とりあえず次はバイトでも派遣でもいいので経理の職に就きたいのですが
なかなかありませんね。
それと最悪のタイミングで前職を辞めたため、
これを逃避と言いますがいつ死ぬか分からないのです。
もう死ぬしかありません。
全て自業自得です。
逃げるとこうなります。
新卒の方は絶対に辞めてはいけません。
死にたくなります。
面接苦手でしたらなおさらです。
面接得意な俺ですらこのようになるのですから。