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2015-06-10

巨根

私が18歳のころ一度だけ見て、触った。

細身の人だったが、その部分だけ独立した別の生き物のようだった。

視覚的にはアンバランスであり、調和を欠いており、ゆえに心惹かれた。

その様子を自分で絵に描いてみたこともある。

でも、絵ではだめなんだ。

紙の上に描かれた巨根は、ヘンリー・ダーガーの描く「男根を有する少女」のように魅力的だが、どこまでいっても非現実

あの不思議な魅力は、アンバランスなそれを見て触れた瞬間にいや増す。

その瞬間の幸福感を何にたとえたらよいだろうか。

2013-10-17

「できる人」の神格化はやめろ

「一人で創作意欲を上げる方法」を書いた者です。

思った以上にブクマついててちょっとびっくり。

やっぱりみんなモチベーションに対して何かしら思うところがあるんだなあ、と実感。

で、こういったモチベーション関連のネット意見を見ていて一言言いたいことがあるんだが、

みんな「できる人」を神格化し過ぎ。

「できる人はモチベーションを標準装備してる」だの

「できる人は創らなきゃいられない、とにかく創りたい、って欲望を最初から持ってる」だの

そんなものクソ食らえだっての。

君らはできない人達のくせに何を勝手想像して語ってるんだ。何を知っているというんだ。

モチベーションに悩む人間バッシングする為に、勝手想像で「できる人像」を作り上げて押し付けることがどれだけの才気ある人間ダメにして潰しているのか君等は自覚しているのか?

努力できない、自然創作意欲が沸き起こってこない俺は創作が上手くなれないんだ、と思わせて諦めさせて楽しいか?君達。

君らこそ口じゃなく手を動かしたまえ。

モチベーション技術環境で作り上げることができる。決して天賦の才ではない。

大体できる人って人並みにやる気や努力について悩んでるし、けっこう嫉妬功名心の強い人が多くて中身はドロドロしてるよ。決して無敵の聖人君子ではない。

できる人が聖人に見えるのは、周りから褒められることで謙遜してるか、精神に余裕が出来ているからだ。

実際君らの言う「できる人」を本当に体現しているのはヘンリー・ダーガーのような人のことを言う。

ビジネス関連でもよく見かけるんだよね。

「できる人は嫌いな人間について考えない」

「忙しい人は忙しいと言うヒマもない」

「できる人は〇〇を習慣にしている」

とかね。うそつけ。焦燥感を煽る商法なのか、新書タイトルでもよく見かけるけど。

世の中のスネオ達、「できる人」を神格化するのは迷惑です。一刻も早く辞めなさい。

ちなみに俺はとある創作でメシを食ってる者です。

2008-02-20

http://anond.hatelabo.jp/20080220232153

のだめ」みたいに、周りから見て面白い能力は認められる可能性が高いと思うよ。

一方で、ヘンリー・ダーガーみたいな見えにくい、わかりにくい才能は、

よっぽどの偶然に恵まれない限り世間の皆様には認められない罠。

「第一印象が重要」でFA

2008-01-16

ヘンリー・ダーガーをまるで異質な人間の様に扱うことは間違い

だからそういう扱いは今すぐやめろ。

まず彼はどこにでも居るような平凡な人間です。強いて言えば、ほとんど一生くだらない仕事をし、くだらない安アパートで過ごした非常に可哀相な人です。周りの対応は彼に対してもう少し何とかならなかったのでしょうか。非常に残念です。

勿論そういう貧相な生活だったので、つまらない仕事の後は独りで部屋に引きこもって安い紙に自分の空想に基づいた絵を描いたり写真をポトペタしたりしてました。それくらいしか術がなかったんです。

で、重要なのは貧相な下に置かれて、自分の趣味だと胸を張って言える様なまともな生産的活動を見出す事が誰にでもできるかどうかです。普通はできませんよね(そういう意味では、ヘンリー・ダーガーは非常に優れた手段模索才能を持っていたと考える事ができます)。

彼の作品は、彼の晩年学校美術を教えている人間が部屋を引き取るまで知られる事はありませんでしたが、彼はどうやらそのまま自身の生涯が消えうせると共に自分の残した作品も誰にも知られる事なく消滅してしまう事を望んでいたようです。

部屋を引き取った教師が彼の作品を評価した事について、彼は非常に残念がっていました。そりゃそうです、人並みの生活ができればこんな人様に見せられない様な自己満足の塊に時間を費やしたりはせず、もっと他人に認められる様なものを作ったに違いありませんから。

つまり彼の作った異質(といわれている)世界観や作風の裏には常に貧相で平坦で人間味のない苦の側面があったに違いないんです。誰でも苦の原動力から何かをつくろうと思えば何らかの形で倒錯したものが表現されて然るべきです。だから彼はこんな自分専用のまともでない作品を他人の目に晒される事を恐れたんです。恥ずかしいですからね。至極当然の事です。

量的に多少違っても、これは誰にでもあることなんです。彼だけを特別扱いしては彼が可哀相です。

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