はてなキーワード: ゼロサムとは
http://d.hatena.ne.jp/potato_gnocchi/20100526
「若い人が投資をする理由は複利だ」とか言ってるけど大嘘。
他にも「習うより慣れろ」とかもあるね。
大嘘。
色々と言い訳はあるだろうけど、日本で麻雀といえば金を賭ける。
ひところ大学の寮などに行けば、新入生が上級生から金を巻き上げられるなんてのは、まあ通過儀礼みたいなもんだった。
いわば、カモから金を巻き上げるわけだ。
(もちろんそれは単なる通過儀礼だから、上級生からすれば授業料、とでも思ってる節はあった)
じゃあ、儲かってる人はどこから金を巻き上げるのか?デカく負けるひと?大口の取りこぼし?
違うね。
1万円、5万円、10万円ぐらい負けてる一般人からうすーくひろーく巻き上げるのさ。
だから、FXの入門書や株の入門書が氾濫している時ってのは、稼ぎどきだったわけだ。
訳もわからない初心者が「無くなっても授業料だと思って」大挙してやってくる時期だから。
まさに、カモネギ状態だ。
複利?
馬鹿言っちゃいけない。1%の複利でも積み重ねればデカイ。それはそのとおり。
で、ペーペーの若人が金突っ込んで複利の恩恵を享受できるもんか?
できないね。
若い人が投資を行う理由はたった1つだ。「痛みを伴った学習は身につくから」
もっと身も蓋もない言い方をしてもいい。「賭け事なら熱くなるから」
株をやらなきゃ、そもそも株式会社ってのはなんで、どうして合併が起こるのか気にすらしない。
どの業界がどんな仕事をしていて、どうして利益を生んでるかわからない。
コンシューマ向けの仕事をしているところ以外は、就活の視野に入らない。
「賭け事に勝ちたい」というある意味凄まじく純粋で強力な動機から、そういったことを知ることが出来る。
(WBSのトレたまで取り上げられるだけで株価が上下するなんていう、市場のイイカゲンさも肌で感じることが出来る)
考える事、調べることが大量にあって、勝つには動向を調べる必要がある。
そりゃそうだ。ライバルに勝ちたきゃ、ライバルに先んじる必要がある。
それは、場代を徴収する雀荘に勝つ為でも、たまにいる雀ゴロに勝つためでもない。
それよりも、なぜGoldの相場が最近上がりっぱなしなのか、土地に投資するのはどういう意味を持つのか、OPECってニュースで言う時にじゃあそれは家計にどういう影響がありそうなのか、
そういった自分が生きている世の中を知ることが出来る、情報の読み解き方を知ることが重要なんじゃないか?
ダビスタに費やした1万時間は輝かしい勲章かもしれないが、経済指標の影響力が判るわけじゃない。
棒テン則リー全ツッパ、相手が張れば運だのみ。
それじゃ勝てないし上手くもならない。
勝てたとしたって単なる星の巡りだ。
FXも同じだ。
「上がりそうだから」「下がりそうだから」の2択のギャンブルじゃルーレットと同じだ。
「みんなが上がると思いそうだから」なんていう根拠をどうやって出していくか。
政権交代したら円ドルレートはどう動くのか?それを自分はどう考えるのか?
株だってそうだ。
上がり調子の株に張るのに根拠がなきゃ、それは大金かけたスロットだ。
スロッターだって研究するご時世、どうなるかわからん株を買うのか?
そしてその分析は、日々の生活の中で役に立つ。
シューカツするなら日経読もう。大いに結構。
でも、小銭を稼ぐために血走った目で世界情勢追っかけてる連中の情熱を持って読めるかな?
業界研究するときに、100万突っ込むつもりで分析してるかな?
「うちの会社は大丈夫かなあ」と溜息つくときに、同業他社と材料比較できるかな?
だから、若い人が漫然とインデックスファンドの手数料を比較しても、持株会に入ってもあまり意味はない。
ギャンブルに勝つつもりで、不順な動機で突っ走るために本気で分析してこそ意味がある。
向いてる向いてない、投資だ老後だなんて言う前に、目の前の鉄火場に本気になる。
それこそが、結局世の中を知ることになるし、社会の仕組みの一端に触れることが出来る。
麻雀やパチンコ、桃鉄やその他もろもろのエンターテイメントと同じく、単なる遊びだ。
どうせ熱くなるなら、あとで使える知識が身につく賭け事に時間を費やそう。
全体を その行為をすることで、他人との差がどうなるか?というのを考えよう。
>自分がゴールできるケースで カードを使われ他人がゴールする
自分以外との差が月当たり4000万円ずつ増えていく。
>n回に1回の割合で、他人がゴールするのを防ぎ、自分がゴールを強奪できる
自分の損得だけを考えると、4000万払って、4000万GETならペイかもしれないが、
その行為をしなかった場合、他人との差が4000万出来ると考えれば
買わなければ2億4千万円マイナスになるカードと思えば4000万なら得だろ。
かって損するのは1ヶ月分 買わないと損するのは6ヶ月分
究極的には6枚までの特急券を使っても、ゴール出来るなら0。
他人がゴールすると、自分がマイナス相当であることを考えれば、0なら得。
純粋に考えれば4人でゲームした場合、4回に1回は自分がゴールしないといけない。
買わなければこれが、4回に0回になる。 買えばそれが4回に2回に出来るかも知れない。
この1回の価値が2億4千万であり、1ヶ月あたり4000万円であり
1ヶ月あたり4000万円以上設ける方法があるなら、そちらに投資すべきだが
そうでない場合、ゴールする回数を減らさないためにカードに投資すべき。
そして、そんな方法はない、という前提に経てば
ゴール1回が1つ月当たり4000万円の価値であるならば、その価値は高いので、2億4000万円までならば、投資価値がある。したがって、その機械を入手できるチケットが4000万円ならば安い。
かりに2位との差が1億であるとするならば、3億4000万円までなら、投資する価値も見えてくる。(終盤が近く、他に逆転要因がなければ1位を奪われないために価値がある)
為替の影響を受ける事に同意なら、結局、紙幣の枚数は同じでも紙幣の優する換金(換資源)価値は変動する。
世界中で見ればゼロサムゲームに近いが、少なくとも日本の経済を語るときはゼロサムではないし。
通貨の流通量と言うのも基本的には増加なのでゼロサムにはならない。
たとえば、通貨の流通量を2倍にしたときに、単純に紙幣の価値が1/2に希釈化されるならばゼロサムだが
通貨の流通量を2倍にした事により、一般的には不安定な通過とみなされ、通貨の信用度が下がり、為替のレートが悪化し1/3に希釈化されたばあい 実質価値は2/3に劣化する。
まあもうどうせ何を言っても受け入れてくれないだろうけど。「どうせそのブログ主の個人的な感想でしょ?」なんつって。
でもいいわ。このログをどこかで見てくれている誰か、未来のどこかでたまたま検索で引っかかって読んでいてくれる誰かのために書く。
http://a-pure-heart.cocolog-nifty.com/log/2005/03/post_6.html
私が最近書いてきたスクールカーストについて、非常に鋭く分析されています。アメリカの話ですが、ほぼ日本の現状と同じです。あまりにも内容が濃く、まだ消化しきれていないのですが
http://blog.katei-x.net/blog/2008/01/000442.html
と
http://www.blog.net/nerds-jp.htm
の類似点。
知的水準は、他の条件、たとえば外見上の見た目とか、カリスマ性とか、運動能力といったものにくらべて、はるかに低い評価しか与えられなかった。
中高生にとっては、「一緒にいて面白いこと」「外見的魅力に優れていること」「運動能力が高いこと」が至上の価値を持ちやすいため、スクールカースト上位層は、自然とそういった者で占められることになる。
http://note.masm.jp/%B3%D8%B9%BB%B2%BD/
それが社会へ
http://mblog.excite.co.jp/user/manabisuto/entry/detail/?id=2656464
「実をいうと学校化社会とは、「家や地域社会が学校の出店になる」あるいは「学校的な機能をバックアップすることが、家や地域社会の機能だという風に自己認識する」要な状況だと僕は再定義します」(宮台真司「透明な存在の不透明な悪意」より)
そして元へ返ると
10 代の子どもたちは、かつて社会でもっと大きな役割を果たしていた。産業化が始まる前は、どんなティーンエイジャーも、何らかの形の徒弟だった。商売かもしれないし、牧場かもしれない。軍艦ということもあったろう。彼らは、勝手に自分たちの社会を作ったりはしなかった。大人社会の若い一員だったんだ。
今の大人には、これといったティーンエイジャーの使い道がない。オフィスにいたって邪魔になるだけだろう。だから、通勤の途中で学校に放り込んでいくわけだ。週末旅行に行く時に、ペット預かり所に犬をあずけていくのに近い。
実社会で大人たちが集団を作るとき、普通、それには何か共通の理由がある。リーダーは、結局、それがいちばん得意な人間になる。ほとんどの学校で問題なのは、そこに何の目的もないことだ。表向きの目的は学問ってことになっているけど、これは冗談みたいなものだ。それがいちばん得意な連中でさえ、まともには取り合っていない。でも、絶対に階層はできるはずだ。そこで、子どもたちは、無からそれを作りだす。
さしたる基準もなくランクづけするとどういうことが起こるだろう。それを表現する言いまわしがある。そういう時、ぼくらは「もはや単なる人気投票でしかない」というんだ。そして、これこそが、まさにアメリカの学校で起こっていることだ。この集団には、現実的な目的が何もない。地位の裏付けになる自然な能力の尺度がない。ランクづけは、ほんもののテストではなく、自分のランクを引き上げる能力を主体に測られる。ルイ 14 世の宮廷みたいなものだ。外部に敵はいない。だから、子どもたちはお互いを敵対視して、容赦ないゼロサム競争に突入するんだ。
前増田への返答としては
不運なことにスクールカーストの認知度は低く、「運動が出来ないくらいでいじめられるわけがない」「そんなに運動音痴が嫌なら上手くなれよ」「スクールカーストは僻みからの妄想」とリアルでもネットでも言う者がいるが、「そんなに言うならお前さん、サッカーの試合でオウンゴールしまくってみなさい」と言って、本人に身をもって体験させてあげると良い。
9割の根拠について。
目の前にあるからとしか言いようがない。ハンバーグがひき肉で出来てるという根拠を示せとファミレスでジュージュー言ってるハンバーグを目の前にして言われてるような気分だよとしか。
このカーストが低い人がうすうす気がついて担任に相談すると「そんなのはない!」と言い返す。でも、中間層以上の生徒には気づかなくとも、下の層の人間には、薄っすらとしても見えているのが分かる、あるものはあるのだ!また上層部には、断層としてではなくグループとして、並列に見える人もいる。
最低限文化的で健康な生存は無条件の権利。
もちろん政府がそれを保証する能力がなければその権利は画餅に帰す。
しかし、それは、全体として帳尻が合えばいいので、政策論の問題。
個別の個々人それぞれにつき、バーターである、つまり権利が義務と引き替えである、ということは当然のことではない。
ゼロサムの極限状態ででもない限り、人間らしく生存する権利を、労働の義務と引き替えのチケットのように考えるべきではない。
現行の日本国憲法ももちろんそう考えているが、成立の経緯が、そういう社会への経済的寄与を条件にしてしまうようなところがある、という話。
繰り返すけれども、最低限の人間らしくある権利は、条件抜きでなければならない。(もちろん、他者の同じ権利への積極的で意図的な攻撃はのぞく)
それをいかに成り立たせるかを考えるのは国家の義務。
全体として帳尻を合わせることが求められているだけ。
そして、そうであるかぎり、所得の再配分という形での、福祉に関する、個人単位での出と入りの不均衡は必然。
それが、社会的相互扶助というもので、それは経済学的に見れば、広い意味での、保険制度。
いいかえると、明文化されなくても当然負う国民の義務というのは、生存権の保証を破綻させないように「能力と立場に応じて」貢献する、ということであって、
個別の権利それぞれについて、それぞれの義務が、しかも条件として課される、というものではない、ということ。
だって、立場や状況や身体的・経済的能力において貢献できない場合、というのはあるものだし、それぞれについて、いちいち条件を満たしているかなんて
公平に判断することなど不可能だし、またそうあるべきでもない。そこで著しい不公平や制度の破綻を回避するのは、政策責任者の問題。
その意味では、通常の保険みたいに、掛け金と受け取りの間にすっきりとした一対一関係があるとはいえない。逆にそうだから、民間保険ではなく政府が担当している。
ゼロ・サム的なものを解消するにはそれなりの損失が生じるということはもっともなのだが、スパンの長さと考慮する要素次第でどうにでもなるんじゃないか。
微細な損失を被らないがための措置が、長期的には大きな損失を生み出す可能性を生み出すとか。もう少し言うなら、Aの欠如を導いたというペナルティも食らうべきだし、「業務における失策-ペナルティ」の対を壊すことの重大性は考慮されるべきだろう。
どんな失策をしようとも、利害をゼロサム的なポジションに持っていけば、というかそう主張すればだが、失策に対する責任をとらないですむわけだからねえ。
ともかく正しい事実認識を持っていることと、正しい解決方法であることは等値ではないわけであって。
俺の重大なモラルの欠如は放置してもいいが、君たちの軽微なモラルの欠如は重大なことだね、という事実認識もそれなりに正しいと言えるわけだが、そこから導かれる解決方法というのもまたなんだか。経済学的にという評価も、一つの軸においてはということに過ぎないのだが。
投機っていう言葉。コメンテーターとかが投資を悪いイメージで言いたいときに使われてる気がする。
というわけで意味を検索してみた。
1、短期的な動きから利ざやを得ようとするのが投機
「投機(とうき)とは、短期的な価格変動の目論見から、利ざやを得ようとする行為。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8A%95%E6%A9%9F
http://www.dcnavi.jp/shinkin/Mn0200/Mn0205/html/205a04.html
「高いリターンを目的に、リターンに見合わない、より高いリスクを取る投資のことを、投機と呼ぶ。」
一応、援護射撃。
といっても弁がたつわけではないので、後ろからもろとも打ち抜くだけかもしれないけど。
基本的にこのひとはゼロサムだと思ってるみたいね。
相場で損したひとがいるから!儲ける人がいるかというと、そんなことないよ。全然ないよ。
例えば福田が総理になってから、108兆円が日本の市場から失われたわけだ。
↓あんまいい記事みつけられなかった。。なんか日経系でもっといい記事あったきがするんだが・・・
http://www.zakzak.co.jp/top/2008_01/t2008012217_all.html
これは文字通り株式市場から消えてなくなったわけで、損と儲けの合計は帳尻は108兆円合わない。
そりゃ下げ相場でも儲けることはできるけれども、うまく切り抜けたに過ぎない。
その儲けは損した人の合計を超えることはないのさ。
逆に会社が成功しているからor成長の見込みがあるから株価があがっているのであって、
損をしてくれる人がいるから買うひとが儲かるわけじゃない。
つまり日本の経済環境を1980年代水準まで押し戻した福田ふざけんなと。
1人で株も変えないおじいちゃんはとっとと交代してくれ。
最後は愚痴で〆るのでした。
たぶん、損得っていうとゼロサムなイメージがあるからじゃないかな。
たとえば、一律で友達を助ける(仮に-1の損害とする)と、友達が助かる(仮に+1の利益とする)って考えると、最終的には点の奪い合いになって、多く助けるのなら損だから付き合わない方が良い、助けてもらうのなら得だから付き合うべきってなる。
でも実際は個人の能力や趣向やらの違いがあるから、友達を助ける(仮に-1)と、友達が助かる(仮に+5)って感じのことが多くなるだろうし、たいていはどっちにも利益が行くんだろうね。物理的なものじゃなくて精神的なものもあるし。
精神的な満足感って意味では、誰かを助けることでプラスになるって人も多いんじゃないかな、たぶん。
ふつう、助ける(損) or 助けられる(得) じゃなくて 付き合わない(損) or 付き合う(得) って意味での損得なんだろうね。精神的なものも含めてね。