ゼロ・サム的なものを解消するにはそれなりの損失が生じるということはもっともなのだが、スパンの長さと考慮する要素次第でどうにでもなるんじゃないか。
微細な損失を被らないがための措置が、長期的には大きな損失を生み出す可能性を生み出すとか。もう少し言うなら、Aの欠如を導いたというペナルティも食らうべきだし、「業務における失策-ペナルティ」の対を壊すことの重大性は考慮されるべきだろう。
どんな失策をしようとも、利害をゼロサム的なポジションに持っていけば、というかそう主張すればだが、失策に対する責任をとらないですむわけだからねえ。
ともかく正しい事実認識を持っていることと、正しい解決方法であることは等値ではないわけであって。
俺の重大なモラルの欠如は放置してもいいが、君たちの軽微なモラルの欠如は重大なことだね、という事実認識もそれなりに正しいと言えるわけだが、そこから導かれる解決方法というのもまたなんだか。経済学的にという評価も、一つの軸においてはということに過ぎないのだが。