はてなキーワード: スイッチとは
以下その原因と考えられる過去の事象、及び現在進行形で起きている事柄を可能な限り客観的に記述する事で自分自身の再確認を図りたい。
厳格な父と、息子を溺愛する母の間に一人息子として生まれる。
両親は婚姻届を出しておらず、私は戸籍上は母の私生児である。
理由は「社会的な規則に縛られない愛の形を体現したい。」という思いから。
つまり、二人は典型的なヒッピーカルチャーの申し子であり、フラワーチルドレンであった。
優しい、甘い、溺愛、奔放、社交的。
衣類に関する仕事。多忙。我が家の収入の殆どは母が支えていた。
誰からも愛されるような人物。
それでも私は母がいればよかったのだが、母も出張等で多いときは半年ほど家を空ける事もあり、その際私は親戚、ベビーシッターに預けられる日々が続く。
だがある時私が大風邪を引き一週間ほど寝込み、その間母が出張するという事があった。
その時私は自分自身の身体的辛さが悲しみを凌駕しており、
「人は自分自身が辛い時はまわりの事はどうでも良くなる。」
と理解する。
以後、一人でいる事は全く苦痛ではなくなった。
多くの人がそうであるように、私も他の生徒と自分とは何かが決定的に違うと感じていた(恐怖)。
それを悟られまいと、校内では誰よりもおどけて見せ、ある程度人気者の地位を確立していた。
その反面、家に帰ると締め切った部屋でひとりTVゲームしたり、父から教わったプログレッシブロックを何度も聞きながら、自分のした事に対する後悔の念にさいなまれていた。
父にとって外で遊ばない事は子供として最大の罪であり、特にTVゲームをしている所をみつかるとこっぴどく叱られた。
無理矢理「子供は木登りをして遊べ。」と木登りをさせられたりしたが、これの何が楽しいのか全く理解できなかった。
小学校の延長線上のような生活、アニメ等にも興味を持ち大量に見ていたが同時期に発生した宮崎事件によりアニメ好きへの大バッシングが始まったためアニメ好きであることは隠していた。
不良グループの一部とも付き合い始めるが私自身が不良だったわけではなく、なんとなく面白い奴なので一緒に遊ぼう的に思われていたのだと思う。
この頃一度暴行事件に巻き込まれ初めて警察に捕まり事情聴取を受ける。刑事は後ろ盾が「国」であるだけのヤクザだと感じる。
卒業式の日不良の一人が感極まって泣いており理解できなかった。
そう思うと小学校、中学校と腹を割って話せるような友達は私はいなかったのだろう。
一度だけ異性に告白を受けたが、恋愛どうこうよりも恋愛をする事で周りから冷やかされる可能性の方が嫌で断る。
常に気にするのは周りからの視線。町を歩いても。電車に乗っても。バスに乗っても。
家に帰ったとき「ここまでくれば誰も追ってこない。」と感じる毎日。
体育会系の男子校に入学。苦痛。ひたすらつまらない。ノリがあわない。
スポーツマン、不良、オタクの三種類の人間しかいない。地獄のような毎日。休みがちになる。
異性との出会いも無い。中学時代の友人ともつるむも、それもつまらなく感じる。
この時期初めて異性に恋をする。
美しいが、それを感じさせないほど純粋な人。
衝撃。嬉しさ。苦しさ。自分の惨めさと対照的な彼女の美しさ。
その人に認められたくて何故かテニスに専念。(当然見に来るはずもない)
そこで彼女と何日間か一緒に過ごせた事が最高の思い出。
彼女は月や海を見て綺麗と言える人だった。
ショックだったが元々彼女は自分にとって雲の上のような存在だったし、彼女が幸せであればいいのだと自分自身に言い聞かせる。
「抱いてみろ。」と父。
「可愛いですね。おめでとうございます。」と言ったように思う。
不思議に思う。
数ヵ月後、母から
「父はもう二度と家に帰ってこない。」
と伝えられる。理解不能。
以後母は毎日泣き通し、私は何が起きたのか理解できず不穏な日々が続く。
私があの時抱いた子供は私の異母兄弟だった。
以後暫くの間、自分が何をしていたのか記憶があまり無い。
普通に日常生活を送っていたと思う。
ただ、眠る時に毎晩同じ夢を見るようになる。
町の中をひたすら走っている、何処に向かっているのか解らないが、急がなければ、急がなければ、という酷い焦りだけはある。
走り続けて気がつくと何故か自宅の前にたどり着く。
右手を見ると自分がいつの間にかナイフを持っている事に気がつく。
家からは母と父、そして子供の頃の自分の声。
「ああ、やっぱりな。」
という思い。
玄関のドアノブに手をかけた瞬間必ず目が覚める。
何も無い真っ直ぐな一本道を歩いてる。
空は青から黒にグラデーションしている。
自分は全裸。
ひたすら歩いていると遠くから人骨が見えてくる。
人骨を見ながら何故こんな所に人骨があるのか、これは一体誰の骨なのか考える。
暫く考えるうちあるとき突然理解する。
「これは俺の骨だ。俺はもう死んだんだ。」
目が覚める。
目が覚めた後は決まって酷い寝汗をかいており、跳ね起きるようにベッドから立ち上がる。(これは今でも目が覚める時は必ず同じ。)
自分の部屋に鍵をかけ、タオル等でぐるぐる巻きにして、絶対に開けられないようにする。
外から誰が入って来るのを阻止するためでは無く、自分が部屋から出られないようにするためである。
部屋から出るとそのまま台所まで歩いて行き、包丁を取り出してしまう自分が想像できたからだ。
この頃、睡眠への恐怖からの不眠、拒食、ナイフ等で自分の胸を切る自傷行為を何度か行う。
今思えばこの時しっかりとした治療を受けるべきだったのだろうと思う。
だが私はその時全盛期だったレイヴカルチャーの中に飛び込んでしまった。
(ネオ)ヒッピー、トラベラーと呼ばれる人達との付き合いの中でドラッグを覚える。
色々な人を見た。
キャンプファイアーの中に自分から飛び込んで大やけどを負った人、トイレの中から「トイレがウジだらけだ!」と叫びながら飛び出してきた人(なんて想像力の無いパラノイアだ。)、ドラックを求めてタイに行き今も帰ってこない人、ごみの山を積み上げて自分は世界一のアーティストだとのたまう人、LSDとヘンプで世界が平和になると本気で信じている人。
つまり私はどこに行っても傍観者だった。
私はあの時破滅したかったのだと思う。
でもそれすらできなかった。
私は彼らが羨ましかった。
その後、そういったものから自然に離れて行き、ドラッグもせず、仕事もし、そして何度か恋と別れを繰り返すうち、自分はもう過去は乗り越えたものだと思っていた。
だがそれから約10年たったある日、また同じような症状が自分を襲った。
愕然とした。
もうとっくに自分の中では決着がついていたと思っていたのに。
ドアを開いたら、また同じ部屋にたどり着いてしまった。
私にとってこれは本当に辛い事だが、現在行っている治療と、自分自身の過去の向き合う事が、解決に少しでも繋がればと思いここに記す。
大きなエネルギーが砲塔に収束している。
照準は地球。
あと30分でメガ増田くらっしゃーが発射され、地球は崩壊する。
私を見捨てた人を許さない。
寂しかった私を癒すものは何もない。
たった一人の彼でさえも、地球のために私を裏切った。
今だからこそ、何の躊躇もなくこのスイッチを押すことができる。
人は私と私の大切なものを引きはなした。
この宇宙に私の大切なものは無い。
人は私の大切なものを届けようともしなかった。
もう二度と、大切なものはこの手に入らない。
ならば、いっそ、地球を壊してしまえ。
邪魔をするものも全て、壊してしまえ。
私は胸からぐっとこみ上げて来るものをこらえた。
悲しんでいる?なぜ?
もう、二度と会えないとあきらめたはず。
何日も、何日も涙を流して、決意したはず。
それなのに、どうして?
目の前でばらけていく地球のかけらを見ながら私はつぶやいた。
「さようなら、私の大切な、、、大切なバナナ」
果物の王は、この世から完全に消え失せた。
喪失感だけが後に残った。
私はブリッジを後にした。
石川啄木が好きで好きで仕方ない娘と話した。面白かった。普通に定期入れに写真とか入れて持ち歩いてる。教科書に載ってたみたいな白黒写真。ちょっと話題振っただけで娘、超ハイテンション。すごいベタ惚れなので感動した。嬉しそうな娘を見ると俺も嬉しい。
俺「啄木ってあれだろ、【我泣き濡れて蟹と戯る】」
娘「そうそう!」
俺「上の句なんだっけ」
娘「浜! 浜!」
俺「ああ、【石川や 浜の真砂は尽きるとも 我泣き濡れて蟹と戯る】」
娘「殺すぞ!」
笑ったわ。で、そこから石川啄木って有名?って話しになって、俺は「いや普通石川啄木知らんだろ、名前程度で」って言ったら娘反論。啄木はメジャーだと言い張り一歩も譲らない。じゃあってんで周りの奴に聞いてみた。石川啄木ってどうよ?
友「あーあれだろ、蟹の」
娘「そうそう!ほら知ってる知ってる!!!」
友「なんだっけ、蟹と」
俺「【白河の 水の清きに耐えかねて 我泣き濡れて蟹と戯る】」
娘「おまえいいかげんにしろや!」
しかし石川啄木って言えば人間の屑だ。太宰治とタメ張るくらい人間の屑だ。【太平の 眠りを覚ます上喜撰 我泣き濡れて蟹と戯る】って言うくらいだから、黒船が来ても泣きながら蟹と遊んでたんだろう。そのくらいダメだ。そこんところ娘としてはどうなのか聞いてみた。
娘「すっごいよね!ほんと人間の屑だよね!」
なんかのスイッチが入った。そのあと金田一京助から借金する話しなんかを延々聞かされた。どうも、ハレー彗星が来たらしい。当時は彗星の尻尾に毒があると思われてたから、彗星が通過する間は息を止めなきゃいけないってデマが飛び交ったそうである。啄木はそのためにチューブの需要がめちゃくちゃ増えると思ったんだと。で、それを仕入れて大儲けするって言い張って金田一京助から金を借りたらしい。
俺「……バカ?」
娘「バカ」
そりゃ泣きながら蟹と遊ぶしかなかろう。よくわからんが、娘はそういうダメなとこも含めて啄木が大好きらしい。同じ時代に生きてたらごはん食べさせてやりたいって言ってた。なんだこの女。
そうやって啄木のことばっか言ってたら、ちゃんと読んでる奴が話しに混ざってきた。そいつは啄木いまいちらしい。「【十四の春にかへる術なし】はセンチすぎるだろ」てきなことを言った。そこで娘がブチ切れですよ。おまえが啄木の何を知ってるんだと。確かに啄木は駄目だ。自意識過剰でセンチで人付き合いがもろくにできない人間の屑だ。でも屑にしか書けない美意識ってものもあるんだと。もう懇々とマジ語りですよ。俺ら黙って聞くしかないじゃないですか。しばらくしてからようやく許してもらって、帰り際に一握の砂を渡された。四冊あるうちの一冊らしい。
生きて動いてるヤンデレを初めて見たので面白かった、という話。
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第二回ファック文芸部杯 参加作品 (g:neo:id:xx-internet:20071203:p1)
猫がファミコンのリセットスイッチを押してしまう悲劇を表した言葉だ。
それは、PSの時代もあったわけだがPS2の時代にはリセットをする方法が猫にはなくなってしまった。
このままでは、飼い主の興味が引けない猫が考え出したのはコントローラーの上に乗るという暴挙なわけで。
まぁ、乗る面積が小さすぎて無理だったんだが。
そんな攻防がゲーム好きと猫の間では繰り広げられているわけだ。
猫はパソコンにばかり向いている主人の気を引くために何をするかと言えばキーボードの上に乗るわけだ。
そうするとやっぱり変な言葉が入力される、ともすればエンターまで押されるわけだ。
そんな攻防の結果書き込まれる文字がにゃあなわけで。
これを増田では猫リセットにちなんで猫増田と呼んでいたが、いつの間にか増田に現れる猫という表現の方が浸透するようになり増田猫と呼ばれるようになった。
パリスとあたしの違いはカメラがついてきてるかどうかだけだ。そう叫んで自殺した少女も日本に生まれていれば、人生を謳歌できていたかもしれない。
確かに一歩目はブログだった。しかし、その次の飛躍はケータイ小説が成したものだ。ブログによって引き下げられた記述することに対する障壁を、情動のスイッチを押すことに特化した一群の物語が完膚なきまでに破壊した。ケータイ小説は赤潮のように繁殖した。その作り手であるケータイ小説家もまた。
いまやケータイ小説の消費者のほとんどが生産者であった。創作されたケータイ小説はまず周囲の友人達によって読まれ、そのほとんどがそこで停止するものの、稀に口コミで広まり一般文芸にはありえない形のヒット飛ばすこともあった。そして、ヒット作の周囲には多くの模倣が生まれ、そのミームは拡散し浸透した。この文化の担い手は主に少女達であったが、彼女達にとって今や物語はコミュニケーション上で通貨の役割を果たしていた。「泣ける」「感動した」等の賞賛の言葉は優れた物語に対する報酬ではなく、自分の物語を読んでもらうための対価となった。
このまま過飽和の状態が続くわけも無い。大方の識者と呼ばれる程度の文筆家達はそのように考えていた。事実、彼らのやり取りする物語は、劣化したミームのまとまりの無い堆積のようなもので、そこに生の声が塗りこめられていたとしてもそれを汲み取ることは、本人達にとっても容易なことではなかった。さらには、仲間内でしか判らないコード進行、バズワードなどによって共通言語が小集団に分断されていき、しまいには原宿の少女には渋谷で書かれたケータイ小説が読めないいうことも起こった。この緩やかなまとまりを持ちつつもタコツボ化していくケータイ小説界は、人文系、特に言語系学者のフィールドワークの対象として魅力的に見えたらしく、いくつかの論文を産んだ。中でも「ケータイ小説の系譜」はケータイ小説を神話の発生と絡めたこともあって現代の金枝篇との評価も高い。
さておき、浸透と拡散、特化した小集団の枯死といった経過をたどってブームとして消費されるかに見えたケータイ小説は突如として変貌する。あるケータイ小説家が「あなたの人生を小説にします」と宣言しサービスを始めた。既にケータイ小説市場に新奇の物語要素は存在せず、彼らは自分達の生活そのものをドラマチックな嘘と仲間内のコードで修飾して市場に流すようになっていた。そこにビジネスチャンスを見出したのだった。ゴーストライターである。熟年を対象とした自叙伝ビジネスとほぼ相似の関係であるが、このゴーストライターは雇用者に対して聞き取りをしない。雇用者の一切の創作の手間を省くためであるのだが、雇用者が若年であり語るべき過去を持たず現在進行形を小説としてほしがったためでもある。従ってゴーストライターは雇用者のあとをついていき、行動を小説に書き起こす。小説の頒布とそれに生じる利益の追求は雇用者が行う契約だった。1:1対応のビジネスモデルは多くの追随者を生み、ケータイ小説市場はモデルで消費者でもある雇用者とゴーストライターに二分された。
「書として街に出よう」
一番最初に組織化されたゴーストライター協会のキャッチフレーズだ。人々はゴーストライターという形でフィクションを身にまとうようになった。そしてゴーストライター達は昔の演劇要素を発掘してきて観察者たる立場を確固たるものにした。
日本人が外国人と街を歩くと説明に困る事態に遭遇する。外国人たちはあらぬほうを指差し「あれは何だ」と訊ねる。だが日本人には「あれ」が認識できない。認識しないことになっている。勿論「あれ」はゴールドライタンであり、認識しないのはそれが黒子の格好をしているからである。組織化され認知されたゴーストライターはその数を増し、街を行く人々の半数が黒づくめだった。この奇妙な習慣は海外に紹介され「KUROKO」は各国語に定着するほどになった。デートスポットなどでは男女のカップルの後ろに黒子が一人ないしは二人控え、次にささやく愛の言葉をインカムを通して伝えていた。人々はいつしか物語の後ろを歩くようになっていたのだった。このことは、よりドラマ性を求める人々によって多くのトラブルを産んだ。例えば暴行現場を取り押さえた警察官によって逮捕された三名の中に黒子が二人含まれていたことなどを軸に、主体の所在についての論争がしばしば起こされた。この事件は合意の有無を巡って最高裁小法廷に最終的に判断がゆだねられた。
そして、殺人教唆で逮捕されたカリスマ黒子「IA☆GO」がAIであったという暴露により、混乱はピークを迎える。ゴーストライターの慢性的不足から、ゴーストライター協会は自立AIをひそかに利用していたのだった。このスキャンダルで幹部数人が逮捕されることになりゴーストライター協会は解散した。
後を受けて設立されたゴーストライター連盟が、AI「IA☆GO」の基本構造を継承して作られた記述AIをPAB(ParsonalArtificialBrain)として公式に商品化し、それがやがて人類から機械知性に文明を禅譲する流れになっていくのである。
「諸君!
君たちに今から文を書いてもらう。
それが多くの人間に支持されればここを出られる。
期間は今から1ヶ月。延長は一切しない。」
「文は自由だ。
テーマも長さも何もかも自由だ。
検閲も一切しない。」
「書く場所は個室で、外から鍵を掛けており出られなくなっている。
シャワー・トイレ・ベッド・時計・机椅子・PC・後述する『スイッチ』以外のものは一切ない。
「君たちの所持品は全て別の場所で保管させてもらっている。
食事に関しては、部屋にある食器受けに一日三回運ばれてくる。
食後は盆・食器等を必ず食器受けに戻しておくこと。」
「本題に入ろう。
君たちの書いた文はインターネットの匿名日記サイトに投稿される。
そうだ。君たちのよく知っている『はてな匿名ダイヤリー』、通称『増田』だ。」
「君たちの書いた日記が今から1ヶ月の間に1000のブクマを集めればいいだけだ。
我々がPCを回収したのち、ただちにそれを投稿する。
早く書けば、それだけ閲覧される期間も長くなるが、内容を練ることが出来ない。
逆に1ヶ月まるまる練っていたのでは、ブクマを集めるのは難しいだろう。」
「ブクマが1000に達すれば元の世界へ戻すことを約束する。達しなければ死を与える。
(ガラッ)
これが昨日処刑された人間達だ。この後焼却処分し、埋葬する。
ちょうど1ヶ月前、お前らと同じように文を書き始めた人間達だ。」
以上で説明を終わる。質問は一切受け付けない。幸運を祈る。」
http://anond.hatelabo.jp/20070907163458
午後四時を回った休憩室には私しか居なかった。皆、工事に出ているのであるから当然の話である。
今日の担当分はずいぶんと早く終わった。実は十件と思われた工事がメゾネット式の社宅のものだったのでまとめて片付いたのだ。予定より一時間は早い。
西日の差す無人の休憩室は焼け切った畳の10畳間で窓際に折りたたみのちゃぶ台が二つ、冷房も効いておらずやたらと暑かった。クーラーのスイッチを入れ、壁の扇風機を「強」にして開いた襟から風を吹き込むと一体と貼り付いていた衣服が汗にひんやりとして肌と分かれる。
いつもの様に湿ったツナギをその場で脱ぎすて、窓の下の座布団の山から一枚取り、さっき持ってきた魔法瓶から冷えた麦茶を入れて座ろうとしたとき、ちゃぶ台の上の籠に目が行った。事務の娘の土産らしい。大きな赤い粒の葡萄が三房ほどあって「皆さんでどうぞ」と付箋がある。
房を一つ摘まんで持ち上げると下側のすわりの悪い粒がいくつかコロコロと落ちてしまった。ああしまったと目で追うと脱ぎ捨てたツナギの胸の辺りまで二つ。
ツナギは縒れて腰を捻り手が胸を隠すような様子にも見え、そこにちょうど乳首のように収まった葡萄の粒が奇妙に卑猥に思えた。何の根拠もなく、ツナギと葡萄が織り成す裸体らしきものに葡萄をもたらした事務の女の子のそれを重ねて想ったのである。
私は仁王立ちのまま、湯飲みの麦茶を一口すすり、ツナギの裸体を眺め続けた。少し腰の括れが足りないか、と足の先で少しツナギの布を押しやり腰のくびれ具合を調整したりしながら。
ふと人の気配を感じて顔を上げると入り口のガラス引き戸の向こう、そこにその事務の女の子が驚いた表情で固まっていた。そして気づくと同時に彼女は顔を伏せて奥に逃げ帰った。
バツの悪さと突然のことに戸惑いながらも我に返ると、どうやら私は下着姿のまま勃起していたらしかった。
「情報」というものを「誰か(何か)によって人的・機械的に認知されうるもの」として、その「情報」が存在する一般化された場のようなものが存在する。
(「認知」は人間の知覚だけでなくコンピューターによる電気的な信号も含む)
例えば、場を光学的に変化させたものが映像である。音声的に変化させたものが言葉であり音楽である。電気的に変化させたものが通信でありシナプスでありCPU内部のスイッチングである。といった具合に。
HDDに保存されている、CD-ROMに記録されているあいだは、そのメディアによって情報の認知が保たれていると考えられる。
脳内に保存された情報(記憶)は完全な忘却または脳死によって失われる。
とか、考えてみた。だから何なんだ。
分相応というのだろうな、ある時の状態に、満足しようと思えばできなくもない、つーか、できるんだが……
しかし満足したくないと思えば満足できない事もできる。
この感覚、どう伝えればよいのかわからないが……
こんなんじゃ嫌だ!もっと上を目指したい!と心から思う事も出来るし
逆に別にこれで十分だ、他のものなんていらないと心から思うことも出来るのだ
無理矢理思い込んでいるわけじゃなく、なんというか、スイッチを押すような感じで、自然にどちらの考え方も出来る。
有る作品に対し、ファンになることもできればアンチになることもできる。スイッチを押すようなかんじで、自然にそうなれる。
なんなのだろうな、これは。選べるからこそどっちにすればいいのか分からなくなる。
http://anond.hatelabo.jp/20070831110034
「もしもボックス」で近いことをやっている。
うろ覚えだが怒られてむしゃくしゃして「みんな居なくなってしまえ」とか言う。
しかしそれがリアルというものだろう。
(訂正のおしらせ)
http://anond.hatelabo.jp/20070831111246 様よりご指摘いただきましたとおり
訂正してお詫びいたします。
このスイッチを押すだけで、邪魔な人は最初からいなかったことになってしまう。スイッチを押した本人だけは覚えている。…と見せかけて、実は独裁者を懲らしめる道具。
コミックス登場:どくさいスイッチ (15巻126ページ9コマ)
http://www.kinet.or.jp/doraemon/ddb/index.php?md=4&v1=15&v2=13&v3=126
大事な会議の前にはみんなオナニーをしてから参加した方が良いと思う。
そのくらい男は射精した瞬間に、思考はいつも以上に雑念の消えたクリアなものとなり、
普段の自分とは思えないくらい悠然と物事を見つめられるようになる。
その思慮深い頭の働きは当然オナニーという行為にも向けられ、非生産的で不毛で不健全な時間の浪費に深い反省をする。
男にとって性欲と後悔は表裏一体のもので、切っても切れない関係にある。
それくらい性欲は思考力・理解力・判断力を落としてしまい、故に男は愚かな行為に走ってしまう。
今でも思い出す、あれは輝かしき青春の日々。私は若く、美しかった。
初めてのバイトで出会ったNさんは私に優しくしてくれた。
年恰好は30代前半の、明るく親切な女性で、年が離れてるのを感じないくらい話が合った。
Nさんはバイト終わりに、よく食事に誘ってくれた。
近くのレストランは24時間営業で、皿の上に食べ物が無くなるまでの会話は、とても楽しく癒された時間だった。
第三者には仲のいい親子と認識されていたかもしれない。私は彼女との関係を「年齢差のある友人」と認識していた。
だが、Nさんの認識は違っていた。テーブルを挟んだ向かい側に座っているはずのNさんが、いつの間にか私の真横にいた。
Nさんは私の手を握ると、思わせぶりな瞳で私を見つめた。
「ねぇ、コップに余った氷は食べちゃう方?」「う、うん。そうだけど……」「じゃあ、私の氷も食べていいよ」
Nさんはコップを取って氷を口に含む。唇と唇が重なり、やがて舌が絡まった。
二人を繋ぐ氷が溶けるのは、一瞬にも永遠にも感じられた。
Nさんの両腕が私の身体を包み、一定に脈打つNさんの心臓音が、耳に届いた。
「場所変えようか」その時、私の世界の中心には、Nさんしかいなかった。
ところで、1960年代にアメリカである実験が行われたのはご存知だろうか。男性の脳内の数箇所に電極を埋め込み、それぞれの場所を刺激するスイッチを男性に持たせ、一つ一つ押させたという。その結果、男性はそのうちの一つのボタンの刺激にはまり込んで連打し、快楽に溺れた。そのボタンが刺激した場所は、性的な快感を司る箇所だったのだ。
この男性同様、その時の私は思考を遮断し、何も考えずにひたすら快楽のボタンを連打するようなものだった。
身体が完全に性欲に支配されていた。Nさんとの性的快感を味わい切って、Nさんと目を合わせた瞬間、崩れ落ちるような気分になった。
そこにいたのは天使ではなく、どこにでもいる年増の女性で、色鮮やかな天国に見えていた室内は、薄暗い地獄だった。
Nさんは顔にくっきりとした皺を作って微笑み、私を抱き寄せて頬にキスをした。
ねっとりとした唾液の感触、生暖かい鼻息、安い香水の匂い。自分の愚かな行いに情けなくなり、逃げたくなった。
その後も、後悔することを知っていながら、何度かNさんの誘いに乗ってしまい、その度に落ち込んだ。
性欲は恐ろしい。一度捕らえられると、逃れることは絶対にできない。