はてなキーワード: しつけとは
家事分担と性差について特集記事があって、半分くらい読んだんだが、
なかなか参考になることが書いてある。アメリカのような国でさえ、
奥さんと夫が家事にかける時間は、同じレベルの共働きでも奥さん2対夫1、
これが夫が無職になっても変化がない、だとか、
子どもの寝かしつけやら料理やら片づけやら、夫より「デキる親」であることに
女性は優越感を感じており、さらに家事をする傾向が強まる、とか。
まさにこれはウチのこと、俺のことじゃないか。
俺はどこかにY染色体を落としてきたのかもしれない。
記事中に、「夫が無職になっても、女性のほうが家事してるなんて笑っちゃうでしょう」みたいな節があるが、
俺にいわせれば、いちばん笑っちゃうのは、社民党あたりから表彰されていいくらい俺は家事をしてるんだけど、
夫婦仲は非常に悪い、ということだ。家事すりゃいいってもんじゃないんだ畜生。
http://www.nytimes.com/2008/06/15/magazine/15parenting-t.html?ref=magazine
いっても意味がないからだと思います。どこか一つに責任を集中させたり批難を浴びせたりしたところで、何も解決しないからではないでしょうか。最悪の場合、この事件でいえば謝罪会見をした両親が罪悪感に苛まれて自殺をすることだって考えられます。
私の知り合いに、あなたや事件の犯人と似たような境遇にあった女性がいます。彼女は両親のしつけが度を超えて厳しく、むやみに干渉されたり嘲笑されたりと自尊心の発達を妨げられた経験を持ち、そんな両親から離れようとすれば養育を放棄されるなど精神的な虐待を受けて育ったそうです。
あなたの話を読んでも、彼女の家庭の話を聞いても、悪いのは誰がみても両親であり家庭であり環境だと思います。たぶん、あなたにも彼女にも罪はないんでしょうし、酷な言い方をすれば、運が悪かったんでしょう。本当にひどい言い方をして申し訳ありませんが、彼女のどうしようもできない話を聞いてもやっぱり、そのように思いました。運が悪かったんだな、可哀想だな、と。
「そういうことをいうのはあなたが幸せな家庭に育ったからだ!」と、怒った彼女に責められたことがあります。それはあながち間違いではないと思います。少なくとも私の両親は過干渉でもなければ不当に厳しいしつけをするようなこともありませんでした。だから彼女のいう通り、私は「幸せな家庭」で育ったのかも知れません。
しかし、そのとき、私は口には出しませんでしたが、問題のない家庭に育った人なんかいない、とも思いました。それをいえば暗に彼女を責めることになるのでいいませんでしたが、「幸せな家庭」だとか「問題のない環境」なんてないと思うのです。もちろん、「不幸な家庭」や「問題のある環境」は絶対にあると思いますが。実際、彼女ほどではありませんが私も家庭のことには人並みに悩みましたし、いまも悩んでいます。どうにかしたいけれどどうにもできないことが、どの家庭にもあると思います。それが彼女ほど分かりやすく表面化してくれば問題でしょうし、つらいでしょうし、それは不幸な家庭環境だといえると思います。しかしそれをあげつらって自分の不幸せ・不運を呪ったところで、ますますご自分がみじめになるだけだと思うのです。
そのようなことは、人の何倍もの努力を重ねて相当な結果を出し、両親の過度な期待に答えようと倒れんばかりに頑張っている彼女を目の当たりにすると、気の毒でとてもいえませんでした。しかし彼女が自分のそれと比較して羨んでいたであろう「理想の家庭」「理想の両親」「理想の環境」というものは、実際にはありえないんだということも事実だと思うのです。何も悩みがない人間なんていないでしょうし、幸せなだけで育ってきた人間もいないでしょう。誰しも何かしら嫌な経験やつらい過去を抱えていて、それを隠してにこにこしているのでしょう。彼女は頭のいい人だったのできっとそのことも分かっていたと思います。それでもやりきれない辛さを愚痴っていたんだと想像しています。
ですがやはり、家庭が悪い、環境が悪いと責めるだけではそこがはけ口になるだけで、何も解決しないと思います。もちろん、解決のしようがないから彼女も苦しみ、あなたも今でも苦しんでいらっしゃるのだとは思いますが。
ちなみにその彼女は、就職を機に家を出ました。それでも今まで育ててやった恩を返せといわれ、小学校からの習い事の月謝からこれまでの食費から学費から何から何までを請求され、お給料から少しずつ払っているとのことです。
だめだこりゃ。この人は話の流れというものが読めないらしい。
それって価値観のおしつけでは?スカートをはきたい人の数に差があるのも大食いしたい人の数に差があるのも格差なんだろうか?格差だとすればその差をなくすために政府が何かしないとだめなんだろうか?
ここで主張されているのは明らかに、「格差」というものを「スカートをはきたい人の数」あるいは「大食いしたい人の数」など、社会的に問題視されることの少ない例で相対化し、それをもって「格差があるので是正すべき」という論法自体を無効化しようとしているものだ。そこで俺が「社会的不公正に起因する格差ならば是正すべき」と注釈した、というのがここまでの流れだ。これは理解しろよ。
男女関係なく本人がやりたくないことをさせようとするのは押し付けですよね?その価値観がどういう要因で形成されてるかに関係なく。
だからミクロの話ではなくマクロの話をしているのだと何度言えばわかるのだ。喫煙者を減らしたければ、喫煙者を洗脳せずともたばこ税を増税すればよいという話を何のためにしたと思っている?タバコが値上げになれば、個々の喫煙者の「自主的な選択」によって喫煙者を減らすことができるだろうよ。同様に、国立大の学費を値上げすれば、進学を「自主的に」断念する人が増えるだろうよ。だがそれがよいことなのか、と俺は聞いているのだが。
議論の過程で挙げられた例と、話の本筋は明らかに同等ではない。それは価値観の問題ではなく論理の問題だ。例を省いても論旨は変わらないが、本筋を省くと論旨がわからなくなる。なんでもかんでも相対化すればよいというものではないのだ。
障害者とかは自然的要因で能力が低く生活が苦しくなりやすいわけだか、自然的要因だから不公正でもなく経済格差の是正は不要なんだろうか?
どうして「AとBは同一視すべきではない、BならばXすべきだ」という主張が「AならばXしなくてもよい」という主張に置き換わるのか君の頭の中を覗いてみたいよ。「人災の被害者には見舞金を出すべき」という話が「天災の被害者には見舞金を出さなくてもよい」という話になるわけがないだろう。
君は反論をぶつける先を間違ってないかね?
??間違ってるのは君じゃね??
もう一度流れを見ておくと
A「高等教育を受けたいと思う人間の数に格差がある事自体が「機会選択の格差」なのでは。」
B「それって価値観のおしつけでは?スカートをはきたい人の数に差があるのも大食いしたい人の数に差があるのも格差なんだろうか?格差だとすればその差をなくすために政府が何かしないとだめなんだろうか?」
A「そういう疑問を提示するのは悪くはないが、君の疑問が正しいとすると君は「女は知的職業を指向しない」というのが自然なことであると主張することになるが、それでよいのだな?」
「押し付けでは?」「スカート率の差は格差?」という疑問が正しいと「性差以外の条件が同等であれば、女性が知的職業を指向する傾向が男性に比べて弱い」ということを指す。」なんてことになるのかわからん。男女関係なく本人がやりたくないことをさせようとするのは押し付けですよね?その価値観がどういう要因で形成されてるかに関係なく。
知らん。そんな枝葉末節の比喩に関わり合う必要もないだろう。ひとこというと、生物学的要因と社会的要因を分離するのは非常に難しい微妙な問題だぞ。だから俺はそこについては断定的にものを言うことを避けている。むしろ、「その微妙な領域で何らかの断言を行うのだな」と念を押しているのが俺の立場だ。
いや枝葉末節じゃないと思うよ。各分野にどの程度重きを置くか自体が価値観なわけで。
学歴に重きを置く人が服装に重きを置く人の価値観を軽視するのは問題ないという価値観なのかもしれないけど、こっちは「そりゃねーよ」とつこんでるのよ。こっちの価値観からすれば生物的か社会的を区別することのほうが枝葉末節。どういう要因だろうとなるべく本人の意思を尊重したいという価値観だから。お前の好き嫌いのうちで自然な要因で形成されたものは認めるが社会的な要因で形成されたものは認めないなんてのはいやだから。
それに、あんたの挙げてる要因、ミソもクソも一緒くたにしすぎだ。性別とか年齢とかのような自然的要因ならともかく、地域とか家庭環境に要因があり、しかもその要因が不公正なものと判断できるならば社会的にその不公正を是正しようという考えが出てくるのは当然だろう。
何がみそかくそかの判断基準を明らかにせず切り捨てるのは屁理屈につながらないか??
それにその書き方だと自然的要因による格差は不公正じゃないと言ってるかのように見えるが(かんちがいならすまん)、障害者とかは自然的要因で能力が低く生活が苦しくなりやすいわけだか、自然的要因だから不公正でもなく経済格差の是正は不要なんだろうか?
この例を頭のいい人と悪い人に置き換えるとわかりやすいけど、頭の悪い人のほうが進学の意欲が低いのは是正すべき格差なんだろうか?
引用部後者は意味不明なので前者について述べる。そういう疑問を提示するのは悪くはないが、君の疑問が正しいとすると君は「女は知的職業を指向しない」というのが自然なことであると主張することになるが、それでよいのだな?
お坊ちゃんのタワゴトとしか思えんな。自分が恵まれてることに感謝しろ。そして他人を貶めるな。
大学院からでも編入可能だろう。少なくともそこで挽回はできるはず。
金の問題と機会の問題を無視している。まず、金がなければそんなことできるわけないだろ。「女は大学に行くな」なんて家も未だにある。第二に、大学院でまともな実績を挙げるためには学部の勉強をしっかりしてないといけない。どっちにしても「挽回の回路が存在する」ことをいくら挙げても「機会が平等に保証されている」ことの立証にはならないよ。
自分がはめた器の大きさに、自分が収まってしまっただけのこと。
ただその言われたことを信じてしまったのは、彼の選択なんだから仕方ない。これも自己責任。
未成年者は自分の行動に責任を持てないからこそ未成年者なんだと何度言えばわかるのだ。未成年者に間違った情報を意図的に与え続ければこれは虐待だぞ。意図的でなかったとしても、結果が悲劇的であることには変わりがない。
どの程度の割合で、君が言うところの「埋もれている原石」があるのか、そいつを見つけ出すためにどれだけの金を投下すればいいのか、そのリスクを誰が負うのか、そこがはっきりしない。
誰も「埋もれている原石」なんて言葉を使っていない。俺は「天才を発掘するためにコストをかけろ」なんて主張をする気はない。「万人に平等に機会が与えられていない現状には問題がある」と言っているだけだ。その問題の解決にをどの程度取り組むかは政治判断になるが、ここではそこまで論じる気はない。
ためにする議論だな。他に要因として合理的に想定できるものを挙げてからそういうことは言ってくれ。
どのように合理的に選ばれたか説明はされていない。
馬鹿。要因として考え得る可能性が一種類しかなければそれを要因と考えるのが合理的に決まっていよう。俺の挙げた要因を否定するなら、イチャモンでない他の要因(あるいはせめてそういうものが存在する可能性の傍証)を挙げてみろというのだ。挙げられないのなら、要因として考え得る可能性は一種類しかないということに君は同意せざるを得ないはずだぞ。
ちなみに、僕の「自分の意志」を言い変えると、「もう変更できないこと」の意味に近い。
ミスしたかもしれないけど、もう後戻りできない固定されたものであると見なす。
君の三文人生論など誰も興味がない。君は教祖様ではないのだ。「機会格差は問題であるか否か」という話をしているときに君の人生観なんて明後日の話題を持ち出すな。「機会が与えられていても失敗する奴は失敗する」なんて全然関係のない話だ。ここではミクロの話ではなくマクロの話をしている。機会が十分に与えられる人間が多ければ、その機会を利用して成功する人間が全体として増えるのは自明なことだ。別にその機会に乗らなくてもよい。問題は、機会がないということはその選択の余地すらない(あるいは理不尽に狭められている)ということだ。そして選択の余地がなければ責任の取りようがないことは定義上自明なことだ。
それって価値観のおしつけでは?スカートをはきたい人の数に差があるのも大食いしたい人の数に差があるのも格差なんだろうか?格差だとすればその差をなくすために政府が何かしないとだめなんだろうか?
男性より女性の方が、難易度が高い大学へ行く事へのメリットが少なくデメリットが多いから行きたがらないのではないか。
それは「機会選択の格差」ではないのか。
この例を頭のいい人と悪い人に置き換えるとわかりやすいけど、頭の悪い人のほうが進学の意欲が低いのは是正すべき格差なんだろうか?進学じゃなく、スポーツや音楽に置き換えた場合はどうなるんだろうか?女のほうがスポーツ選手になりたがる人が少ないと男女差別?地域や性別や家庭環境によって特定の職業へつきたがる比率に差があることは是正しないといけない差別ってことになるんだろうか?
とても恋愛する気になれない。
なんで皆恋愛できるの?
金と時間の浪費・妊娠・性病・ヤり逃げ・デートDV・デートレイプetc
結婚したらしたで
DV・姑バトル・姑舅の介護・浮気・家事一方的にやらされる・結婚したら女に対する態度がコロっとかわって見下し始める・離婚したくなっても子供生まれたらできない、あるいは離婚しても地獄・子育ておしつけられる・夫と子に我慢して奉仕して人生終わりetc
とかそういう可能性考えるととても出来ない。
一つ一つの可能性は低くても全部考えるととてもとても。特に結婚なんてありがちすぎて笑えもできない。なんで本当結婚とかするのかわかんない。たいていろくな結果になってないじゃん。
「そんな人を選ばなきゃいい」っていうかもしれないけど
そんなことどうやって判断できるのか。
現実、こういった被害にあってる人たちは最初からそういう人だと思って付き合ったわけじゃないわけだし。
付き合うまで優しくしておいて付き合い始めたら酷くなるってパターンが多い中、「見極める」なんて可能なのか。本当に。
大体それをかいくぐってまで、仮にそういうことをしない人と付き合ったところでその苦労をかけるほどのメリットがあるかって言うと無いし。メリットデメリット、なんていうと、「恋愛って好きな人とするものだよ?」なんてケータイ小説みたいな事言ってくる人がいて困る。そんな幻想みたいなこと言われてもな。そんなもののために上の多大なリスクをかけてまで挑む気もわかんないし。愛とかなんとかそういうの味わいたいなら別に恋愛じゃなくてもいいわけで。なんでわざわざよりによって恋愛…?訳がわからん。
でも皆なんだかんだ付き合ってるんだよね。不思議でならない。
普通に考えたら女側に恋愛するメリットってなんら無い気がするんだけどなぁ。なんでそうやたらに性を安売りしてるんだろ。男どもが「安くセックスできる」って喜んで調子に乗るだけじゃん?それを「バカだ」と言って笑うのは簡単だけど、彼女達はもしかしたら「恋愛」なんていう物語の中に自分を落とし込まないと最早生きていく楽しみがないのかもしれない、そう考えると悲しくてとても「バカ」とは言えなくなる……
うちの家族仲は悪い。体罰たっぷりのしつけを繰り返してきた母と、家庭を顧みなかった父、両親に反感を持って育った私と弟1。けれども、私や弟1とはずいぶん年が離れて弟2が生まれた。
その弟2は母にかわいがられて育った。少なくともそういう様に私や弟1の目からは見えた。弟2が母から殴られてるとことか全く記憶にない。だから私や弟1は弟2が嫌いで、年が離れて話題もないからほとんど話さず、やっぱり家族仲はどこかいびつなまま来てしまった。
私も弟1も家を離れ、実家には弟2と両親だけが残った。
そんな中私は病気にかかってしまい、通院と療養のために実家に帰ることが多くなった。そして弟2とよく話すようになった。
弟2は素直な若者だ。私や弟1のように屈折して二次元の世界に逃げたりすることもなく、野球に打ち込み、友達とも仲良く、思い出の写真を大切にする子に育った。同時にTVっ子でもあり、電車男が全盛期だった頃にはずいぶんはまったらしくて中野独人さんの本を買ったりもしていた。少なくとも私はこの素直な弟2に母への憎しみの影を見るのをやめた。
そしてその弟2も、つい先日18歳の誕生日を迎えることになった。
母はケーキを、そして私は弟1が仕事で作った鶏の唐揚げを買っていき、食卓を囲んだ。母、私、弟2の3人で。ちなみに父は仕事の都合でおらず、弟1も弟2の誕生日だからといって実家に帰ってくることはしなかった。
そして一通りご飯を食べ終わった後、母が弟2にナイフを渡した。「これで好きなようにケーキを切って食べなさい」と。
弟2は悩み始めた。そのケーキは長方形で、対角線で2つのエリアに区切られ、片方にはココアパウダーが、もう片方にはシュガーパウダーがかけられていた。弟2はこう言った。「これじゃ、全員が二つの味を楽しめない。それは仕方ないから、母さん、対角線にそって4等分に切ってくれ」と。そういって弟2は母にナイフをかえした。母はこう言う。「お前一人でたくさんのケーキ食べなくていいのかよ?お前の誕生日だよ。もっと欲張っていいんだ」と。けれども弟2は「え、だってみんな同じだけが当たり前でしょ?」と言って譲らず、私もたまらず口を出した。「母さん、この子はいい子に育ったじゃないか。弟2の意をくんであげようよ」と。
そこまで聞いて母は渋々ケーキを切り始めた。最初は対角線にそって4等分に。さらにそれを8等分に。そして自分と父の皿にはケーキを一切れずつ取り、弟2の皿にはケーキを二切れ置いた。弟2はびっくりした様子で言った。「母さん、なんでそんなことするの?最初8つにケーキを切り始めたときは、そうか、これでみんな二つの味を楽しむことができると思ったのに」「いいんだよ、私と父さんは一切れで。あんたはその分たくさん食べなさい」
私はこの二人の会話に、というか母の言い分に軽い失望を覚えた。やはりこの人は人の話を聞かない人だ。そして、そんな母の愛でも素直に、人のことを第一に考えるように育った弟2の姿を奇跡のように感じた。
弟2は釈然としない顔をしながらも、母の残ったケーキは明日また食べようという言葉に素直にうなづいていた。
そして私は、そんな弟2に自分ができるささやかなプレゼントをすることにした。ネットが引かれていない我が実家に暮らす、電車男が好きな弟に、携帯版の2chのURLを。
処女なんてそんなに大層なものでも貴重なものでもない。
処女どうでもいい発言をする男をよく見かけるが
本心から言っているのか、ポジショントークしているのか区別が付かない
男が処女を喜ぶのは他人の子を育てることになる恐怖に対する本能だから
処女だった方が良い
なじんでよろしくやっている時期になっても
初々しくて色々苦労した時期の想い出があるのと無いのとでは大違いだ
思い入れが全然違う
人から譲って貰った猫と子猫から育てた猫と
どっちが良いかと言われたら子猫から育てた猫だろ
人から譲って貰った猫も充分にかわいいし、しつけも既にされている
だが、その猫が子猫だった頃どんなだかを知らない
10年その猫を飼ってもだ
人間の場合は更に重大な損害
こういうことを言うと
女を思い通りに育てようとする男がキモイとか言われるけど
思い通りにならないのは処女
経験積めば異性の生理を理解して物わかりが良くなるからな
だけど苦労しないで手に入れたものは大事にしにくい
悪銭身につかずと一緒だ
だから元増田はどうしようもない相手とくっついたりしないで
その運命なり夢なりを大切にした方がよいと思う
結局その運命の相手と添い遂げることができないかも知れないけど
ドブに捨てるようなものではない
http://anond.hatelabo.jp/20080427203726
動物のしつけですか。何かの参考になればいいのですが、とりあえず図書室にあるかどうか見てみようと思います。(飼い方の本とかあるかな??と)
「飼い方」でなく「しつけ方」ね。ちなみに私が参考にしたのは、たとえばこんな感じ。
ペットをしつける際に、飼い主が直接罰を与えていることがペットに分かる状況は、ペットを萎縮させたり飼い主に対する敵意を育てるだけで好ましくありません。罰はあくまで、何かをしたら『どこかから自然とやってきた何かによって酷い目に遭う』という方が良いです。たとえば犬のとびつき癖を直したければ、飛びついてくる犬の前足を持ってニッコリしたまま、後足をギュッと踏みつけるのが効果的。
色々心当たるのでは。
あと、
(笑顔)→(無言)→(ややギレ)→(怒鳴り)
は、ステップ3が不要だと思います。つまり
ステップ2からいきなり4が来ることを知ると、生徒は「ステップ2になったらヤベぇ」と学習します。要するに「無言」になるだけで生徒が黙るようになる。これを段階的にあげていくと、毎回「完全にヤバイキレ方一歩手前」までいかないと止まらないように学習させちゃうことになるわけで、大変ですよ。
あと、キレるときは「行為」に対してキレること。相手の「人格」に対してキレたりしないこと。これ大事。
すみません、レスされてたの気づいていませんでした。
動物のしつけですか。何かの参考になればいいのですが、とりあえず図書室にあるかどうか見てみようと思います。(飼い方の本とかあるかな??と)
>態度にメリハリをつけることと周囲の助力を「上手に」あおぐのがコツ。
これが一番難しそうですwwww最近は児童の問題行動に対し、(笑顔)→(無言)→(ややギレ)→(怒鳴り)と進化していく私がいますw
学年主任の先生にはお世話になりまくりです。とりあえず問題行動ばかりの児童は学年主任の学級へと連れて行きますw
最後の一行はコメントできなすぐるwww
伝えてるってのは何を伝えてるの?
てめーのこっちゃないっつーのに「なんとかなるよ」とか無責任に言うあるいは思うからね
「つーか家事半分やれや。なんで私が全部やらなあかんねん」って言わないと。
ていうか、なんでそういう事になったの?
これは今更いっても意味ないけど、最初に安易に請け負っちゃあかんぜよ。
請け負うと男は味を占めて楽するよ。最初にしつけておかないとダメだよ。犬と同じで。年とると頑固になってお手一つも覚えようとしなくなるかんね。
なんかなし崩し的に夫婦でも同棲でも「なぜか私が彼の分まで家事を」って人いるけどさ、なんでそうなるのかわからない。初めに「分担!」つって、それでも相手がgdgdやらなかったら相手の分だけきっちり放っておけばいいことでしょ?そこで「もうしょうがないわねぇー」とか母親でもないのに無駄な母性本能使うからそうなる(ガキ化する)んだよ。おかんになっちゃだめだよ。すぐ子供のように自堕落に甘えてくるから(恋人同士の甘えとは違う甘え)。
「子供が粗相をしたので躾けようとしたが
訳の分からないことを言うので殴った」結果子供を殺した。
周囲に体罰を注意されると
「叩くのはしつけ私もそうされて育った。」と
[体罰][共謀][対人関係][警戒]パシンとたたく音。許してください。
こんなことならもうしつけなんてしなくていいよ。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080409-00000020-nnp-l40
調べでは、2人は2月25日ごろ自宅で次男に暴行を加え、上唇裂傷や歯茎がえぐれるなど全治1カ月半の重傷を負わせた疑い。翌26日午後3時半ごろ、内田容疑者が「次男の体が冷たく意識がない」と119番通報。搬送された病院の医師が、全身に傷や打撲のあとを見つけ警察へ通報した。内田容疑者は「傷には気付かなかった」、杉原容疑者は「口内炎でうみが出ていただけ」と話しているという。
病院搬送時、次男の体重は6歳児平均の半分の約14キロで、著しい栄養失調状態だった。また、右腕が骨折しており左足には骨折が自然に治ったあと、右手と陰部にはたばこを押しつけたようなやけどのあともあった。
http://d.hatena.ne.jp/yappo/20080330/1206809229
そんなんメンドクサイからに決まってんだろう。でも書く。
外敵への耐性というのは、表皮が厚くなったり、場合によっては毒を持ったりすることなんだが。もちろん植物の組織がしっかりすることが食感のよさに繋がってくことはあるだろうが、その逆だってあるので、逞しさが即良いにはならない。
そもそも、順序が逆。農業は小さい面積で多くの収量を得ることが課題で、多くの収量を得るためには「密度」「品種(これは後述)」が重要になってくる。密度が高くなると当然ひとつの植物あたりの環境は悪くなるので、虫やらカビやら病気やらが発生しやすく、耐性が弱くなりやすい。そこで農薬が登場する。
農薬の影響だって高濃度の農薬を与え続けたときに食べる部分の残留農薬がどうなってるかは試験場で試験している。本当に危険なのは農家のほうで、食べても大丈夫な程度の農薬だって撒いてる方の環境は結構悪い。
とにかく、逞しい野菜は「逞しくなれる環境で生育されたから農薬が無くてもまあなんとか」なのであって「農薬を撒かないから逞しい」のではない。もちろん逞しくなれる環境を作るのは並大抵の努力じゃないだろ。有機野菜で商売しようと思って大変な農家さんに怒られるぞ。
園芸屋さんで売ってる種はF1種というもので、これは何を言っているのかというと、この種で育てた作物から取った種を翌年植えても売り物の種と同じように育つかわかりませんよ。という物である。
何を言っているかわからないと思うが、袋に入っている種は頑丈に育つように計算して交配して出来た種だから、その種から作った種の事まではうまく行くかは誰もわからないよ。
まあ大枠間違いじゃないが、間違い。
F1っていうのは交配したあとの第一世代ってこと。種苗メーカーは種類の違う植物を交配させて、味とか耐性とかに優れた品種を作る。この第一世代は親の遺伝子の重複が少ないので(ちょっとうまい表現が見つからない。識者のツッコミ待ち)、優性遺伝がでて均質な収穫物が得られる。ここから第二世代F2になると隠れていた劣性遺伝が出てきたりして、F1に出ていた性質を持たない収穫物になってしまったりする。(ここまで正確な説明ができているかは怪しい。ロハスとかでない本を読むなりすること。あと優性・劣性遺伝の言葉は品質の良し悪しに直結しないからね)
F1から交配を続けた結果、安定した次世代を作るものを固定種と言う。人類が古くから続けてきた遺伝子操作だ。種苗会社は固定種も売ってる。固定種から取れた種は同じ収穫物が得られる。
すぐれた性質をもつF1を開発できた種苗会社はF1を売れば毎年買ってくれる人がいるので、あえてそこから手間と時間かけて固定種を作ったりはまあしない。その辺がロハスの人から陰謀論を唱えられる理由だろうけど、あっちも商売だしな。固定種を作ってる間に他の会社がもっとすごい品種を作るだろうし。
F1のそういう性質を商売に利用しているけど、無理にF1の性質を持たせているわけではないよ。そんなわけで固定種とF1どっちが優れているとか一概に言えない。
よく考えてみて欲しいが、生物の生殖活動とは何だろうか。多様性や環境の変化や環境への適応能力を次世代に伝える事だ。
F1種を使うと、そこの農作地に適応してより美味しい作物になっていく可能性が断たれるのである。
そういうことだからこの文章は全面的に間違い。そもそも、一代で農作地に適応はしないよ!それに雑草のような作物になってもそれはそれで適応だよ。固定種はバリエーションに乏しいのでむしろ適応の幅は狭いだろうね。
農薬を使って虫食い穴の無い野菜で、F1種で安定した形の野菜を作らないと市場では売れないという現実があるとどっかの漫画に書いてあった。
F1のトマトでも熟れるまで木につけておけば十分美味しいとおもうけどなぁ。甘み重視で品種改良されたトマトに「酸味」がないとかへんな事いわないよね?
で、青虫が育てる環境のキャベツというのは農薬は使ってないとも言えるが、実は本当に素晴らしいキャベツは無農薬でも虫が寄り付かないらしい。
ちょっと考えればカラクリは想像付くのですが、青虫に食べられまくってたらキャベツは絶滅しちゃいますよね?
考えてもからくりが想像つかないので説明してください。ところで日本は海外からミバエが入ってこないようにすることに気を使っていますよね?
「真のパワー」とかは、トンデモでよくあるイメージ先行で先行するものしかない言葉の筆頭ですよね。ですので、以降の「パワー」については無いものとして処理します。
売り物になってる小松菜は全て偽物。
山岡士郎が「真の小松菜は絶滅した」っていうと「まあ、環境と植物とセットでブランド小松菜ならそうかな」って思うけど、遺伝持ち出してきたらアウト。
実はその土地に適合した種類の種を作って行けば肥料が無くても作れるらしいんですよね
休耕させるとか土を作るとかならともかくその前提で結果が導かれるとは思わない。って次の段落で連作障害って出てきてるじゃん!それ知っててなんでその前提を信じられるの?
肥料による。というか、「らしい」の部分がことごとく。
トマト栽培は潤沢な水が必要だと言う話ですが
トマト栽培に潤沢な水が必要なのは温室トマトが水耕栽培だからです。水耕栽培のトマトは根っこがえらいことになります。ねっこ重要。
突っこむのに疲れてきました。
野菜は人間に食べられる事により繁栄に大成功した数少ない生物な訳だが、野菜というのは本来頑丈なので、農薬が必要なほど弱らせた野菜を食べるよりも、何もいらない野菜を食べた方が良くないか?
比喩の取り違えからくる「繁栄に大成功」ですね。
前述したので反論の必要はないでしょう。あなたはフォアグラとか白アスパラとか食うな!
農業関係者のトンデモ耐性は低いことがわかっていて、EM菌の跋扈なんかに象徴的ですが(あとヤマギシとか?)、経験則が必要な職業なのでしょうがないかなとは思うわけです。
追記
ミントとかセイタカアワダチソウとか、従来の環境から離れると「繁栄に大成功する植物」ってあるよね?