2008-08-22

妻が亡くなった……だけど悲しくない

妻が事故で亡くなってから二月ほど経った。

しかし実はそれほど悲しくないのである。

本当にこれっぽっちも悲しくないかというとそれは嘘になる。

でも悲しいという気持ちよりも「解放された」という気持ちの方が強い。

決して仲が悪かったわけではなく、むしろ良かった方だ。

妻と一緒に妻の友達に会えば、妻が幸せそうにしているということをからかわれた。

確かに自分で望んで結婚したわけではない。「20代後半の女性と付き合うなら、男は結婚する責任があるでしょ」みたいなことを言われ、しょうがなく結婚したのだ。

それでも、自分なりに妻を満足させようと頑張った。

一緒に色々な所に出かけた。たまには喧嘩だってした。

自分の仕事時間を減らして、趣味時間も取らず、いっぱい話をした。

妻の不安を解消するために自分の行動に制限をつけた。

妻はそれなりに結婚生活に満足していたと思う。

自分がそれだけやれるぐらいの妻だったのに、妻が亡くなった今、自分はそれほど悲しくない。どういうことなのだろう。

その理由は自分が妻を対等なパートナーとして信頼できなかったからなのではないか、というのがこの数日考えた結論だ。

妻は「守ってもらう」ことを好んでいた。

付き合い始めた当初、自分は妻のことを友人達と同じような関係つまり対等な関係として扱った。

妻はそれが気にくわず「対等な関係なんてイヤ。形だけでも言葉だけでも女は守ってもらいたいの!」と主張した。

自分はそれに面食らいながらも、そういうものなのかと自分にできる限り妻を守るように行動してきた。

その結果、妻は自分に取っての保護対象になってしまったのである。

実際妻は、家の中では赤ん坊同然の状態だった。

家に帰れば幼い娘と一緒になって騒いでいて、僕の料理風呂、布団の支度を待つだけ。

「抱っこ抱っこ」といつも口にしていて、抱っこをすればえへへと幸せそうな顔なり、夜は自分に寝かしつけられないと寝られなかった。

娘が生まれる前は、僕が出張に出ればその間怖くて寝れなくてめそめそ泣いて過ごした(らしい)。

これまでの育児にしたって完全に自分主体だった。

最初はそうじゃなかったのだが、妻の女心とやらを満たすように行動していたら、どんどんエスカレートしていって、そうなっていた。

多分、対等じゃない関係というのは、最終的にそういうことになってしまうのだろう。

保護対象ということは、その人のことをパートナーとして本当の意味で信頼することができなくなるというなんじゃないだろうか。

パートナーとしての信頼がないから、本来なら人生パートナーのはずの妻の死に際しても、悲しくない。

赤ん坊同然だった妻なのに本当に子供に対するものと同じ愛情を感じられるわけでもなかったから、子供の死の悲しみすら感じない。

自分には男女の親友が何人かいるが、彼らのことは本当に信頼している。うち一人は学生時代からパートナーとしてやってきた。

彼らが死んだら多分自分はものすごく悲しむだろうと想像しただけで思う。

それは彼らが自分と対等な関係をずっと築いてきたからなんじゃないだろうか。

自分に「守ってもらいたい」妻はそうはならなかった。

結婚する相手を間違えたのだろうか?対等な関係を築けて本当に信頼できる女性結婚するべきだった?

でも例えば信頼している女性親友に対しては恋愛感情などまったく起きない。セックスなんて本当に笑ってしまいそうだ。だからその親友結婚なんて無理。

他に探すにしても彼女ほど信頼できる異性なんてそうそう登場するものではない。

結局、対等な人間でなければ本当に信頼することができない自分は、結婚には向いていなかったということなのだろう。

妻の死に際してもさほど悲しくないなんて、10年無意味なことをしてきたものだ。

幼い娘を抱えてはいるが、自分の両親、妻の両親ともに近くに住んでいてまだまだ健在だ。

自分もかなり時間の自由がきく仕事をしている。

家事だって、自分といる時には赤ん坊同然だった妻のおかげで磨きがかかって今や客観的に見ても非常に高いレベルに達している。

むしろ赤ん坊同然だった妻の分、家事は楽になるだろう。

育児にしても、娘は来年小学校だからとりあえず山は越した(精神的なケアは別として)。

自分はもう結婚はしなくてもいいや、と本当に思う。

願わくは、妻が、妻が望んだとおり「守ってもらって」本当に幸せだったと感じていたことを。

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