「電脳」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 電脳とは

2007-06-01

http://anond.hatelabo.jp/20070601004600

電脳時代の『耳をすませば』ですね!!!

ってこのネタどっかで見たことあるぞ

2007-05-31

諸君、私は増田が好きだ

諸君 私は増田が好きだ

諸君 私は増田が好きだ

諸君 私は増田が大好きだ

パスタを作るときは」が好きだ

お嬢さんが亡くなったそうで」が好きだ

聞き上手マニュアル」が好きだ

頭のいい人が成功できるかどうかの境目」が好きだ

人生は神ゲーだ

グーグルに対抗する為、電通は貨幣を量産する」が好きだ

あの楽しそうな人たち」が好きだ

2ちゃんねるに松岡農相の自殺2日前に事件を予見していた書き込みが」が好きだ

プログラミング用のフォントを探してたら一日が終わってた」が好きだ

[1get]で [勝手ホトトギス]で [つくってわんぱーく]で [今日の消費]で [増田日記]で

[しりとり]で [リレー小説]で [゜π゜]で [(Φ皿Φ)クワ!]で [ヽ(<>)ノ]で

これらのカテゴリで投稿されるありとあらゆる増田記事が大好きだ

戦列をならべた増田たちの一斉投稿が轟音と共にサーバーを吹き飛ばすのが好きだ

鼻息も荒く書き上げた記事がトラックバックでぼろぼろに貶された時など心がおどる

ヤリマンの書く過去の経験談が非モテたちを撃破するのが好きだ

悲鳴を上げて燃えさかるブログから逃げ出してきたブロガー増田でも叩かれた時など胸がすくような気持ちだった

足並みをそろえた増田たちがはてなダイアラーの戦列を蹂躙するのが好きだ

恐慌状態の増田が既に何ヶ月も前に書かれた記事を何度も何度も非難している様など感動すら覚える

敗北主義の増田記事がはてブトップページに晒し上げられる様などはもうたまらない

泣き叫ぶ増田達がid:kanoseブックマークきっかけに金切り声を上げるはてなブックマーカーにさんざんに扱き下ろされるのも最高だ

哀れな増田達が雑多な知識で健気にも立ち上がってきたのをid:finalventの痛烈な一言が自尊心ごと木端微塵に粉砕した時など絶頂すら覚える

id:Marco11に滅茶苦茶に煽られるのが好きだ

必死に守るはずだった匿名性が蹂躙され 増田idが暴かれ特定されていく様はとてもとても悲しいものだ

夜間の速度に押し潰されて注目されないのが好きだ

他の増田と言い争って芋虫の様にトラックバックツリーが延びていくのは無様の極みだ

諸君 私は増田を 地獄の様な増田を望んでいる

諸君 私に付き従う増田諸君 君達は一体何を望んでいる?

更なる短文記事を望むか? 情け容赦のない糞の様な長文記事を望むか?

悪口雑言の限りを尽くし 電脳世界の秩序を殺す 嵐の様な増田を望むか?

増田!! 増田!! 増田!!

よろしい ならば増田

我々は満身の力をこめて今まさに書き込まんとする増田民

だが この暗い闇の底で八ヶ月もの間堪え続けて来た我々に ただの匿名ではもはや足りない!!

完全なる匿名を!! 一心不乱の匿名を!!

我らはわずかに11人 百人に満たぬ増田に過ぎない

だが諸君は一騎当千の古強者だと私は信仰している

ならば我らは諸君と私で総兵力1万と1人の匿名集団となる

我々を忘却の彼方へと追いやり眠りこけているブロガーを叩き起こそう

髪の毛をつかんで引きずり下ろし眼を開けさせ思い出させよう

連中匿名の味を思い出させてやる

連中増田猫の鳴き声を思い出させてやる

天と地とのはざまには奴らの哲学では思いもよらぬ事がある事を思い出させてやる

11人の増田の記事でウェブを燃やし尽くしてやる

エントリー執筆開始 編集画面開け

投稿!! 世間体 羞恥心 忘却

「ただの増田より 全増田へ」

目標 はてラボ はてな匿名ダイアリー!!

名前を隠して楽しく日記 書き込みを開始せよ

書くぞ 諸君

2007-05-29

個人的エロゲーランキング

 基本的に泣きゲーしかしてこなかった。あと少し抜きゲー。『ときメモ』とか『To Heart』とかの純粋ギャルゲー(?)はあまり好きではない。そんな増田エロゲーランキング

泣きゲー部門

1位 Kanon

2位 AIR

3位 家族計画

次点 こみっくパーティー(泣きゲー?)

 やはりkey陣営が強い。keyゲームを楽しむためには「エロゲー脳」が必要。

泣きゲー部門

1位 戦国ランス

2位 アルルゥとあそぼ

3位 ナースにおまかせ

 アルルゥとあそぼ!はファンディスクの中でも随一のおもしろさ(ってファンディスクめったに買わないから比較できないけど)。

 初エロゲーは親父のPCに入ってた野々村病院の人々。当時は精液のことをしらなかったので「何だこの白い液体は。牛乳か?」などと思ったりしたものだった(小学○年生の時にやった)。この時、エロゲーに開眼したわけではないけど、電脳紙芝居を見るに耐える忍耐力のようなものが身についたのだと思う。

2007-03-02

記号に置き換え世界を理解してるんだから基本的には一緒だよね

脳の解析が終わったのが15年前。信号を送る技術確立したのが8年前。そしていわゆる電脳化が実用化されたのが3年前。当然深い部分人格や性格や記憶などの上書きはできなかったが、それでもある程度の操作はできた。

実用化される前は、ますます仮想世界に入り込む人間が増えて少子化に拍車がかかると言われていたが、実際には逆であった。出生率は着実に上がったし、結婚する男女の数も、交際する男女の数も驚くほど増えたのだ。当初、原因はわからなかったが、しばらくしてわかることとなった。あるソフトが出回っていたためだ。それは目に映る人間の顔(後のバージョンで体型も)を任意の顔に置き換えるソフト笑い男の顔が好きなタイプの顔に置き換わったようなものであった。記憶の上書きにあたるのではないかと言われたが、正確に言えば同時に録画してる映像の上に置き換え、それを見ているだけであるので、記憶の上書きにはあたらなかった。

ソフトウェア進歩していたからそういったソフトが開発されていたのだが、現実と変わらぬ質感を持った人間を仮想空間に多数配置するのはまだ時間が必要であった。だから、人々はそのソフトを使い、仮想を現実に求めた。現実で仮想ゲームを行っていたのだ。正確に言えば、彼らは現実を生きてない。録画した映像に自分好みの相手を置き換えた映像を見ているだけだ。

しかし、現実では男女が互いを求め合い、子が次々に生まれるといった、とても自然な様子に見える。だが、彼らは互いを求めあっているように見えて、実は求めあっていない。彼の目には本当の彼女が映ってないし、彼女の目にも本当の彼は映っていない。本当の彼らはどこにもいないのだ。互いに仮想な理想を夢想のように抱いている。求めているのは質感と熱量、人によっては精子子宮、だけである。

だが、そもそも恋愛というのは互いに理想を押しつけあっていたのだから問題がないと言うことができるかもしれない。テクノロジーがその部分を先鋭化しただけであって、何ら問題がないではないかと。しかし、私にはやはり何かが違うように思える。彼らは現実に生きているにもかかわらず、誰もそこにはいないのだ。お互いがお互いを、置き換えているのだから、誰も本当の姿を知らない。誰もそこにはいないのだ。

2007-02-02

はまちちゃんハートをハックしたい

http://anond.hatelabo.jp/20070202191406

発言はネコっぽいのにやってることがタチだからいいよね。

HAMACHIYA-IIと漫画にでてくるような電脳戦をやってみたいな。

そんなバカな!!とか言いながら。

ガードをクラックするにはどうしたらいいんだろう?

そんで勝利したらはまちちゃんの頭にとらふぐの被り物をかぶせて、

「ギョギョ!」っていってごらんな!って言ってやるんだ。ふふふ。。。。

って、hmcyを食ったGoogle食中毒だ・・・

2007-01-31

今の状態は心地よいとは思うけど

増田は一昔前のサイバーパンクとか功殻の電脳世界のようなゴミゴミした感じを思い起こさせてくれて好き

既に無責任な、とても信用できないようなアドバイスがあふれていて、

それはそれで楽しめればいいし、実際そうしている人が多いと思う

でも一方で「増田はつまらない」というエントリーもある

だいたい、時事ネタ以外は学歴とか恋愛とか似たような悩みが並ぶことは予想できるし

この楽しさは、サービス開始時の一時的なものなんじゃないか、

’新しい物’好きの人たちが離れていった後は、2chのように自分の居場所をネガりつつも

そこから抜け出せない人たちが残るんじゃないか、

私も増田は好きで、今の状態は心地よいとは思うけど

これから正式サービスが始まって人が増えると、

今の心地よい音楽ノイズに聞こえてきて結局は2ch化してしまうんじゃないかと恐れています

それならそれで、また別の魅力的な場所がでてくるのでしょうけどね

http://anond.hatelabo.jp/20070131161405

http://anond.hatelabo.jp/20070131171816

2006-12-17

AKIBA FUTURE -オタサイト秋葉原

はじめに

秋葉原現在もっとも注目される街の一つである。IT・ハイテク技術聖地として、あるいは現在国が推進するソフトウェアコンテンツの見本市として、またはサブカルチャー文化が生まれる一観光地として、政府である『官』やソフトウェアハードウェアを生産する『企業』、そして秋葉原を目指す『個人』の視線がそこに集中し、ひとつのムーブメントを作り出している。

この記事は、秋葉原歴史については軽く触れる程度にとどめ、主に90年代後半??今後の秋葉原について参照し、今後秋葉原がどういった発展を遂げるかについて将来像を探るものとする。

1 電脳都市秋葉原誕生

電気屋街としての秋葉原歴史は、終戦直後に作られた露天市までさかのぼれる。戦前秋葉原にも山際電気現在ヤマギワ電気の前身)なども存在はしたが、当時電気屋の主流であった「電気材料卸商」(電化した工場設備に必要な部品を販売する商店)の中心的な場所ではなかった。戦後焼け野原になった秋葉原で近隣の電機工業専門学校(現東京電機大学)の学生ラジオを組み立て販売するというアルバイトをしたところ、これが大繁盛。その結果、他の露天商も品物を真空管などラジオ部品の販売に転向、その上電気に詳しい露天商の参入もあり、120軒あった露店のうち約50軒が電器商という、まさに電気屋街の前身ともいえる様相を見せた。

この初期の秋葉原の発展について、近くに工学専門の学校があったという地理的要因のほかに、交通の便のよさというのが上げられるだろう。終戦直後にできた闇市で活況を見せたのは、上野新橋渋谷など国鉄の乗降客の多い駅の周辺にできたものだった。秋葉原国鉄都電が通るアクセスのよさは、そういった「人の流れの結節点」となって、秋葉原に人を留める要因になったと思われる。

その後、GHQにより道路拡張工事を行うため、露天撤廃令が施行され、露天商は国鉄秋葉原駅ガード下で営業をはじめることになる。これを秋葉原電気屋街の原型とし、以後日本高度経済成長とともに、電気屋街は拡大していくことになる。この成長を支えたのは家電だった。人々は豊かな生活を追い求めるため、「三種の神器テレビ冷蔵庫洗濯機)」に代表される電化製品を求め、家電が安い秋葉原に足を運んだ。しかしその人の流れは昭和50年代後半で終わることになる。家庭に普及した自動車郊外型の家電チェーン店に向かうといったライフスタイルが定着し、それまで主要客層だった家族層が秋葉原に足を向けなくなる。また、昭和60年代のAVブームと高級家電のブームの反動による家電不況などもあり、秋葉原は新規顧客層の開拓と、それに伴う主力商品のシフトを図ることになる――「情報家電」。昭和にはマイコンとよばれ、現在パソコンと呼ばれるマルチメディア機材である。平成6年、電気街の売上においてPC関連商品が家電商品を上回って、名実ともに秋葉原電脳街となるのである。

2 オタク層の流入??趣都の誕生

秋葉原の主力製品となった情報家電は、アニメゲームを愛好するオタクたちと親和性が高い。アニメを見るためのTV、エアチェックする為のレコーダー、ゲームだけでなく、ファンとの交流を図るコミュニケーション・ツールとしてのPC――しかしそれだけが、秋葉原を「オタク聖地」としたのではないと、建築学者である森川嘉一郎は言う。

秋葉原に点在する「まんだらけ」や「海洋堂」、「ゲーマーズ」などの同人誌アニメグッズ、ガレージキットフィギュア)専門店はそれまで秋葉原になかったものであり、それらは秋葉原移転するまで吉祥寺渋谷新宿などに点在して存在していた。しかしそんな専門店が97年以降秋葉原に集中するようになった原因を、森川は『趣都の誕生 萌える都市アキハバラ』において、(株)海洋堂宮脇修一専務のインタビューをヒントにこう記している――アニメ新世紀エヴァンゲリオン』のヒットと、それに付随したサブカルチャー・ブームにより未曾有のバブルに沸いたサブカルチャーショップが、その勢いに乗り秋葉原への出店を促したのだと。確かにこの時期、東京ビッグサイトで行われたコミックマーケットの入場者数が25万人(95夏 90年からこの人数が横ばい)から35万人(96夏)、40万人(97夏)へと急激に膨張するなど(ちなみにこの後入場者数は横ばいになる)、この時期サブカルチャー文化への大幅な人口流入があったという見方もできるだろう。しかし、アニメマンガ界隈において、エヴァ以降現在に至るまで、エヴァと比肩し得るヒット作は生まれていないのが現状である。しかしサブカルチャー産業は萎むことなく、拡大し続けているのが現実である。エヴァ現象によってサブカルチャー文化に入ってきた人びとは何を飽きずに摂取し、そこにとどまり続けているのか。まずこのことを明らかにしてから、秋葉原の現状について考えてみたい。

3 社会最適化されたオタク??個のオタクから公のオタク

批評家東浩紀によれば90年代以降、アニメ物語よりもそこに登場するキャラクターや設定などの断片を愛好するオタクが増えたと、著書『動物化するポストモダン』で述べている。東浩紀によれば「オタクたちは、物語メッセージなどほとんど関係なしに、作品の背後にある情報だけを淡々と消費している」と指摘し、そのことを「キャラ萌え」している(この言葉はやや古くなった感があるが、そのことについては触れないでおく)と表現した。1960年生まれのライターである竹熊健太郎氏も、「オタクとは何か? What is OTAKU? | Web草思」において、まず自身の立場を「(アニメ作品などにおいて)トータルで作品は見るべきだという思いがどうしても強い。」と表明し、「もちろん心の深いところでは、キャラ萌えのような感情はあるんですけどね」としながらも、かれらについて「でもそれを外部に表明するのは、自分はバカですと言ってるのと同じで、とてもできないわけですよ。」と違和感を語っている。しかし、その中で竹熊はこうも語っている。曰く、キャラ萌えという衝動は「アニメブームの頃、中高生ミーハー女子が「シャア素敵??」って黄色い声をあげていたのと同じ」であると。

東はオタクの嗜好が変わった原因を大きな物語の凋落に求め、結果大きな物語に付随する「小さな物語アニメにおけるキャラクターロボットなどの一要素)」を単独で摂取するようなオタクが現れた、と前述した著書で述べている。このことについて東はインターネットの世界を例に挙げてうまく説明しており、少々長くなるがここに引用したい。「すべてのウェブページを規定するような隠れた大きな物語存在しない。(中略)インターネットにはむしろ、一方には符号化された情報の集積があり、他方にはユーザーの読み込みに応じて作られた個々のウェブページがある、という別種の二層構造がある。この二層構造が近代のツリー・モデルと大きく異なるのは、そこで、表層に現れた見せかけ(個々のユーザーが目にするページ)を決定する審級が、深層にではなく表層に、つまり、隠れた情報そのものではなく読み込むユーザーの側にあるという点である。」「ポストモダンデータベース型世界では、表層は深層だけでは決定されず、その読み込み次第でいくらでも異なった表情を現す。」

この件について森川も同じくインターネットを紐解き、インターネットにおける「地縁血縁に因らない趣味や関心の共通性に基づいたコミュニティコミュニティ・オブ・インタレスト」が、秋葉原の構造の変化を促した、と記している。つまり、「パソコンを好む人は、アニメの絵柄のようなキャラクター好み、そうしたキャラクターが登場するアニメゲームガレージキットも愛好する傾向がある」というオタク趣味の構造が、現在秋葉原を形成したのだと。しかし私は、この変化を趣味の変化や世代の変化ととらえるのではなく、技術進化趣味の構造の変化をもたらしたのだ、と主張したい。

オタクについて、まずかれらについて、サブカルチャー文化を愛好するものたちだと捉えよう。サブカルチャー文化はメインカルチャーにたいするカウンターである為、自ずとその文化を愛好するものはマイノリティとなる。そしてマイノリティである為、常に外部から奇異の視線に晒され(宮崎勤事件を参照されたい)、それに対抗するためオタクたちは様々な我流の理論武装を施し、それによって更にオタクオタクとして、孤立、タコツボ化を極めた(こういった空気は、ガイナックスの元社長である岡田斗司夫が記した『オタク学入門』(太田出版)を参照されたい)。そしてオタクはまた、サブカルチャーの知識を深めるための仲間を必要とし、オタク仲間に出会える場所を強固に求めた。漫画家篠房六郎氏は、かれ自身にとっての同志が集う場所であった武蔵野美術大学漫画研究会について、「かつてはクラスの隅っこにいた痛々しい孤独連中が、自分と同じものの見方を持っている人がいると知って、救われる場所がここだった。」と表現している。

しかし技術の発展が、限られていた場所を無数に生み出すことになる――具体的に言うと、ネットに生まれた「コミュニティ・オブ・インタレスト」である。

秋葉原が「趣都」となった97年以降、PCインターネット整備網、そして文化は急激に発展し、一般家庭に普及していった。オタク情報家電親和性は「2 オタク層の流入??趣都の誕生」の冒頭で述べた通りであり、また、Windows95以前もニフティサーブパソ通などで、一部のオタクBBSを通じて他のオタクとのコミュニケーションを図っていた。その後インターネット人口が拡大するにつれ、オタクたちはかつて無い数の「同志」と出会うことになる。現実世界では「距離」によって出会えなかった人々と、モニター越しに交流することができ、どんなにニッチ趣味でも「仲間」を見つけることができるようになったのだ。

「仲間」と「コミュニティ・オブ・インタレスト」を形成できるというのは、前述したような「我流の理論武装」をする必要がなくなったことを現す。なぜなら形成したコミュニティを安定維持するため、構成員の視線は外部より内部に向かうからだ。よって仲間同士、理解しやすく、されやすくするため、お互いにとって理解しやすいものを求めるようになり、その為表層と呼ばれているデータベースを、お互いのコミュニケーションにおいて重要視して使用するようになった。「巫女」や「ツンデレ」など、キャラクターの要素をあたかも服装の組み合わせによる着こなしように消費し、コミュニケーションのための文法とするオタク。作品から好みの要素切り離して楽しむことができるからこそ、エヴァンゲリオン以降ヒット作に恵まれなくとも、オタクたちはサブカルチャー文化を愛好し続けることができたのだ。

4 個の聖地秋葉原??インタラクティブ都市としての発展

秋葉原の今を見つめるブログとして、アキバbloghttp://www.akibablog.net/)というサイトがある。このサイトは毎日秋葉原の店先をチェックして、物品の販売価格のほかに、店員が作る個性的なPOPを“ネタ”として紹介することをメインコンテンツにしている。このサイトを眺めていて目に付くのは、店が掲げるPOPに書きこまれた“ネタ”はマスメディアが流布したイメージよりも、インターネットから生まれたジャーゴンである場合が圧倒的に多いということだ。普通の店なら「○○という番組で紹介された??」という文句を掲げるはずのものが、ここではネットジャーゴンを絡めて、連帯感を出して売られている。また、匿名掲示板群である2ちゃんねるから生まれたキャラクターグッズを売るショップもあり(因みに同じ2ちゃんねるで話題になったのまネコFlashとそのキャラクターがAVEX資本で商品化されたときには非難が集まり、秋葉原発のグッズショップにはなんら実害を及ぼさなかったこの対比は興味深い)、現在秋葉原オタク文化というマスではなく、ネットというマスに向けて情報を発信していると言えよう。話題になったドラマ「電車男」も、触れ込みは「オタク発」ではなく「ネット発」とうたわれていたのも思い出させるし、そもそも秋葉原名物となったメイドも、(始まりこそあるアニメコスプレ喫茶として生まれたものの)オタクたちが共有イメージとして持っていた「メイド」を現実化したものであり、特定のアニメ作品というマスメディアから生まれたものではないことも記しておこう。

高度成長時代、メーカーにとって秋葉原とは、特例的な値引きを許し、かつ消費者の反応をフィードバックさせるための実験場であり、社員の技術者が新製品とともに、専門知識を備えた販売員として小売店へと配備された場所だった。今秋葉原では同じように、ネットから生まれた文化を貪欲に取り込みそれを街の貌とする実験場になっている。インターネットの発展により、個の集合体があたかもマスコミュニケーションのように総体として機能し始めた現在。「趣味の構造が場所を変えた」都市に加え、「既存のマスメディアだけでなく、個々が生んだネットメディアと交流をとる」最先端の都市として、現在秋葉原は評価されるべきだろう。

参考文献

「週間大衆:昭和54年8月9日号」焼跡のバラック問屋街を『世界のアキハバラ』に高めたガンコ一徹

http://www.shimura-musen.co.jp/home_2/kiji_02.htm

秋葉原歴史

http://www.akiba.or.jp/history/index.html

オタクとは何か? What is OTAKU? | Web草思

http://web.soshisha.com/archives/otaku/index.php

伊藤計劃:第弐位相 - 学園祭の話

http://d.hatena.ne.jp/Projectitoh/20061029#p1

秋葉原におけるメイド喫茶コスプレ喫茶歴史

http://sotokanda.net/his_cafe.html

註:ちなみにメイド喫茶が爆発的に増えたのは、私の記憶によればドラマ「電車男」以降のはずである。

コミックマーケット30’s ファイル 発行:(有)コミケット 発行人:米沢嘉博

カーニヴァル化する社会 講談社 著者:鈴木謙介

動物化するポストモダン 講談社 著者:東浩紀

趣都の誕生 萌える都市アキハバラ 幻冬舎 著者:森川嘉一郎

2006-10-29

家訓

どちゃく、と聞いたら半纏を着用せねばならぬ、という家訓のある家に居る。冗談

しかしこの冗談が判らない歳の人間電脳を操り電気の蜘蛛の巣の上にいる、という昨今の常態こそ冗談にしか思えない。ガキばかりでつまらなくなったな、と。

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