はてなキーワード: 銀色夏生とは
自分のブログに書こうかと思ったんだけど、あまりにも自分の内面に触れることで、恥ずかしいのでこちらに書きます。全体的に「戦闘力必要ないじゃん」とか「戦闘力は強敵にモテるためのものorZ戦士同志のランク付け」という論調が多くて「戦闘力の高い戦士」、いわゆるサイヤ人(笑)的なものの存在が軽視されてる気がしたので。
わたしは武空術もするし、カメハメ波もするし、スカウターや天下一武道会や「強い奴」のチェックもそれなりにします。妻もいるし、サイヤ人ではないけれど、おそらく外見上はそれほどヘタレに見えないでしょう。
どうして強くなることを決めたかというと、自分の弱さにものすごいコンプレックスがあったから。とくに、中学生のころは鏡を見るのも嫌だった。周りの戦士たちは大きくて逞しくてで髪の毛があるのに、わたしは背の低い童顔だったから、よく子供に間違えられた。「弱い」ということは、あたりまえだけど「勉強ができない」とか「運動ができない」と同レベルの単純なルサンチマンを生みます。そして、単純だからこそ根深い。わたしは弱い自分が嫌いでしかたなかった。大人ならドラゴンボールも集められるし、「強くなくても認めてもらえる」ことを知ることもあるかもしれない。だけど、中学校という狭い世界のなかでは、弱い自分をどうしたって認めてあげることができなかった。
だから、「強く」なろうとした。単純な理屈です。
武空術と気円斬とカメハメ波で、それなりに見られるようになるのはご存知の通り。たしかに「強い」と言われたこともあったし、強敵に認められたりもした。
だけど、どんなに取り繕ったところで、もとから「強い」サイヤ人には勝てるはずもないんです。だって、彼らたちはもう内面が強い。強いという事象を当たり前のようにして育ってきているから、それを疑うことも、悩むこともない。戦闘力は仲間に認められるため? 強敵に認められるため? なんて議論が無駄に思えるくらい、手足のように力を扱える、そこに不自然を感じない戦士はいるのです。つまり、わたしはどこまでいっても「強く」なれなかった。
そして、「強い」と言われるようになった代わりに、仲間から逆の意味の呪詛を吐かれることもありました。
「修行して強くなった」とか「精神と時の部屋に入った」「ハゲ」ということが全部戦士受けを狙ってる、とか、軽薄だと受け取る人。もしかしたらわたしの運が悪かったのかもしれないけど。でも、そういう戦士が少なからずいました(それなりに高レベルの戦士だったからかも)。どうせと悟空と遊んでるんでしょ、みたいな。要するにサイヤ人(笑)なんでしょ、とか、Z戦士なんでしょ、みたいな。
もちろん、ある程度仲良くなって内面を知ってもらえれば、そういうことを言う人はいなくなる。だけど、初対面でそう決めつけられることは、やっぱり苦痛でした。詩集が好き(中原中也とか)って言っても、え、銀色夏生?みたいな。そういう些細なことでも、何度か積み重なると嫌気がさすものです。わたしは普通に、対等に、話がしたかった。でも、そういうタイプが仲間と認めるのは「普通の地球人」で、わたしではない。たとえそこから仲良くなることによって修正されても、第一印象で不利になることは変わらない。
じゃあ、どうすればよかったんだろう、って思います。戦闘力をつけることなんて目指さなきゃよかったのか? 戦闘力だけでサイヤ人(笑)だって馬鹿にされるくらいなら、と。
わたしは、戦闘力が低い=弱いことだとは思いません。もちろんそういう人もいるんだろうけど、わたしのような人間から見れば、修行しない人はそれだけ素の自分に自信がある、強い人にみえてしまう(こういう戦士の心理が本当にわからないので、よければ経験者の人教えてください)。わたしは弱いから修行してるだけなのに、外見だけで「戦闘力の高い、強い戦士」だと思われる。どういうことなんだろう、って。
今はもう、そんなふうに外見だけで人を判断する敵は相手にしないことに決めたのでいいんですが、しこりとしては心に残っています。
でも、やっぱり強敵には言いたい。
「戦闘力だけで人を判断しないでください」
あなたたちが「スーパーサイヤ人に限る」とかいう言葉で、暗に戦闘力で人を判断する戦士を批判するように、わたしもそういう強敵を批判します。そして、外見で戦士を判断しているのはいわゆるフリーザさんだとか、戦闘好きだけじゃない。非モテや草食系男子を自認・自称する人も、逆の意味でたくさん戦士を傷つけているんだということを、わかってほしい。「修行を積まないことを推奨する」ことを、「修行した戦士を批判する」ことに結びつけないでほしいと、思います。戦闘力が多少高くてもでも、内面はあなたたちと同じように繊細で内向的な戦士って、思ってるよりたくさんいると思うんだ。
そして「修行しない戦士」たち。「セルゲームなんて怖くていけない」、「天下一武道会なんてめんどくさい」なんて言葉で、あなたたちも人を傷つけていることがあるんです。だって、世の中には本気で、修行をしないと外も歩けない(神経症的な意味で)人がいるのだから。修行をしなくても、強くならなくてもそのままでいられるのなら、それだけで恵まれていることもあるんだよ、とわたしは思います。
「自分の気持ちも考えろ」って言ってるわけじゃありません。でも、こういう女もいる、しかもそう少ない人数ではないということを、せめて知ってほしかった。このエントリーがどれだけの人に届くかわからないけど、なるべくたくさんの人に理解してもらえたら、とてもうれしいです。
最大6億円だからあたってもそれ以上もらえるわけじゃないけど、6億っていいよねえ。6億あったらいいよねえ。
6億あったら何買うかなあ。とりあえずパソコン新調するね。メモリ今安いし。
ああそうだったね。6億あったらメモリが安いなんて関係ないか。
あとさ。おれ写真撮るの好きだからさ。カメラいいやつ買う。30万越えの。高級なやつ。
え。ヘタの横好きの無駄遣いだって?まだ変顔撮ったこと根に持ってんの?
そりゃまあヘタだけどさ。でも6億あったら買ってもいいじゃない。
6億の割には貧乏臭い話だって?
うーん。じゃあ車買うか。高いやつ。
・・・でも車あんまり詳しくないんだよなあ。今の車で十分だしさ。あの中古のマークII。横に凹みがあってダサいけどさ。十分走るし。燃費悪いのが珠に傷だけど。プリウスなら欲しいかなあ。
やっぱり貧乏くさいって?
おれ実は昔から古本屋の親父に憧れてるんだよ。客来なくても生活には困らないんだから小さいのやりたいなあ。本にかこまれて一日本読んで。たまに客の相手して。常連さんと最近の若い作家はよくわからんなあ。とか話すの。憧れるなあ。
ああ。海外旅行はいきたいね。中学のときに読んだ銀色夏生の本でトレドのことが書いてあってさ。なんかすごく郷愁を感じだんだよ。たぶんおれの前世トレドにいたね。だからトレドにいきたい。それで写真とってさ。うん。一緒にいってくれる?うれしいなあ。
でもさ6億で買えないものが欲しいんだよね。いやちょっと違うな。6億で買えないものであって欲しいの。だから6億当たる前にいっとくよ。
おれと結婚しないかな。