はてなキーワード: 希薄とは
元増田です。
後出し部分ですみませんが、何か誤解があるようですし、恋愛観の違いも含めてお伝えします。
http://anond.hatelabo.jp/20081109193526をうけて。
まず、父親・兄といった面は詳しい記述がないのですが、どういう風に受け止めてくださったのでしょうか?
対等でなかったとも思いません。
自分より年上という意味で、マクロな視点を持っていたということです。
私も彼に対して姉のような態度や、母親のような態度をした事があります。
でもそれは心理学によるエディプスコンプレックスが??という文脈で語られるようなそういう複雑なことではなくて、
悩みを素直に話し合ったりリードしたりという関係の恋人なら、一般的にあるような側面だと思っています。
存在の大きさという意味では同じくらいのレベルであったと思います。
「ふざけんじゃないよ。どういう理由だよー」と粘れたはずだよ?
取り乱したりしなかったとは書きましたが、
話し合いの場はきちんと設けています。
ただ、相手を責めることを抑圧してしまったのは私のパーソナリティであって、
http://anond.hatelabo.jp/20081104011623
でもね、親も大変だと思うんだ。
いろんな心労が積み重なっているから。
だから息子の自分は、しっかりしなくちゃいけないんだと思う。
同居しているし、最近の辛気くさい顔なんかもう見たくないはずなんだ(笑
本音を言えば、親のことも、仕事のことも、付き合っている人のことも、自分のことも、何も考えたくないけどさ。
でも考えないと生きていけないって事は解ってるつもりです。
最近起きたらその瞬間から研修のことを考え始めて、それが寝るまで続く。
この前は夢にも見たから、それなら寝ないで調べ物した方が良いのかなと思って夜調べ物したり。
それでも資料がうまく作れなくて「頑張っても、この程度です、と」とかアドバイザーに言われながら
ごもっともですと何も言えなくてより凹んだりする。
しかたがないですよね。社会人ですし。
頑張ってるなんて言うのは自分の評価で、形にできなければ意味がないんですよね。
自己満足じゃなくて、外から見て満足できる結果を残さなくちゃいけない。
期日までにきっちり仕上げるなんて言う当たり前のことができない自分は、
どうしようもないんだなあ……。
小学生の頃に戻りたい。
あの頃の自分なら今よりももっと死に対する恐怖が希薄だったんじゃないかな。
あの日あの場所に戻れるなら、死んでしまえと伝えるのに。
本当に辛くなったらここで死ねるかなという考えを支えに会社に向かいます。
電車には飛び込まないようにするよ。
社会人たいへんだもんね。足が止まったら朝からイライラしちゃうもんね。
寒い季節になってきたので、コメントをくれた増田も、そうじゃない増田も、増田の家族も知人も
風邪を引かないようにしてください。
風邪になると心も弱るきがするので。
19ページまで呼んだがこの程度の内容しかない。
語尾は主に「みたいな」が多用されている。
たとえ女性配偶者への生活手当てが物凄い潤沢であったとしても、
自分より頑張ってなくてスキルも無い人が男というだけで働くポジションを無条件で与えられている社会はイヤだなあ。
今でさえ暗黙的な了解で連続夜勤とかすると女ってだけで上の顔色がよくないのに。
やる→子供が出来る→金も体も大変、っていう当たり前の発想が希薄なのか、
やる→子供が出来る→手術費面倒→産んじゃえっていう発想になるから良くないわけで。
そもそも、その「やる」っていうのを抑制するか、(セックスレス→浮いた時間を仕事のスキル磨きに回す)「子供が出来る」っていうのを抑制(避妊)すればいいだけの話。予算的都合を考えずに子供を作る人は養子に出す計画があるか、セックスレスであることや避妊をする事の価値が見出せて居ないから分からないんだろうな。と思う。つまり、早い段階である程度の判断力を備えられるような育みが出来る環境が必要なんじゃないんだろうか。
ヤン親で、自分たちみたいな家庭は社会も育ててくれると思ってる節(実際言ってた)がある人に会った事あるけれど、子供の方がもうダメ。かなりダメ。5歳過ぎてるのにのしつけの痕跡もなければ挨拶も出来なければ物欲しげな顔だけする。しつけの痕跡がないか、挨拶が出来ないだけか、欲しいものだけじーっと見るかどれかだけにしなさいと。しかし、正直専門でも無いのに高校位から幼児教育の本を好んで読んでた自分には、子供自体がバカという風に思えない。結局「小さい生き物」としてそのヤン親がかわいがるばっかで、年齢相応の対応をさせる努力や、考える機会を与えてないんだろうな。
ヤン親はヤン親で親としてどう振舞えばいいかとかも分かって居ないようで、その場にいた人のモノ(まあ大して高くは無いけれど大事にされてたモノ)を子供が壊しても、子供のやる事だから、と口で軽く謝るだけ。そこで演技でも親が深々と謝ってたら、5歳位の子供だったら色々気づく所があるはず。まあ発達具合にも因るので一概では無いけれど。
そんな事より子供の教育的効果云々の前に自分の子供がモノを壊したらそこは心から謝れよ。
そういう相手の気持ちを和らげて自分もうまくやっていく、みたいな処世術や判断力が弱くて年上なのにびっくりした覚えがある。この親御さん達は子供と言う切り札にもならない切り札を使って、何を振舞ってもいいと思っていて、子供たちも完全な自我が出来上がる迄それを見習って生きていくのかなとぼんやり考えた。
自分に子供が出来たとして(相手に万が一があったとして主夫をやらせると考えたとしても)自分の給料だと公立が精一杯だと思う。公立でも危うい。
そんなフリーダムな子育ての成れの果てが子供の同級生になったとき、親としてどんな対応をとればいいか。
多分自分の子供同様に叱ったりしてしまいそう。
自分は男だけど、前はホームページにメール来てたけど、ブログにしてからこなくなったなー。
スパムがひどくなってみんなメールをみなくなったのと、コメント欄とかがあるからからかな?
返事を”出す”ということができなくなったので何かやりとりが希薄になったきがする。
はてなダイアリーとか、絡みたくてもひとのダイアリーを見に行くきっかけがない。
それこそブックマークのホットエントリーとかであがったところしか見に行けない。
他のブログサービスではあたりまえのようにどんな話題を書くひとなのかのカテゴリーがあるのだけど、
はてなはそれがないので・・・ほんと、どこにいけばいいかわからない。
誰かがリンクを張ってくれるまでたどり着けない。
といいつつ、さっき知らない人10人ぐらいにホームページをみてメールを送った。
仕事の一環なんだけどね。
分かりやすくするためにたとえ
たとえば、剣士(侍)が 毎朝毎晩、朝早くから夜遅くまで素振りをしている。
俺は強くなりたいんだ。
これわかりやすいでしょ?
たとえば、プログラマ が 毎朝毎晩、朝早くから夜遅くまでプログラムを作っている。
俺は優れた作品を作れる腕が欲しいんだ。
こうしたら比較でわかりやすくならない?
これと
たとえば、プログラマ が 毎朝毎晩、朝早くから夜遅くまでプログラムを作っている。
俺は腕がないから、すぐれた作品を作るために時間をつぎ込むしかないんだ!
たとえば、プログラマ が 毎朝毎晩、朝早くから夜遅くまでプログラムを作っている。
俺は残業代が欲しいんだ!
なんか、同じ事をしているのにやっぱり姿勢が違うよね?
とくに、外野は一番下だと思いがちかもしれないけれど、
あのひと優秀なのに遅くまで残っているよねというのはたいてい一番上のパターン。
結局、武道にしろ職人技にしろ。腕を磨くという概念がある分野に関しては
とにかく、数を作って腕を磨いていくしかないというゾーンが存在している。
どれだけ、練習したか?で決まるのさ。
だから、あれは、残業してるんじゃないんだよ。素振りしてるんだよ。
この2つのパターンの小さくても大きな差が、重要なのかと最近は思ってる。
商売人には この 腕を磨くという概念が希薄なので、なかなか理解されずらいギャップであるし、
逆に利用されやすい部分ではあると思う。
ここにおける現場ってのはホームレス救済ではなくて図書館業務。
「お前も俺と同じようにしろ」じゃ現場はたまったもんじゃないだろうに。
まあホームレス救済業者にとっては、取引先や補助金の供給源が増えて
楽しいことになっちゃうかも知れないけど、他人の迷惑を少しは想像した方がいい。
それと人を「不快感至上主義」などと上から目線でバカにしないこと。
公共マナーってのは宗教とは違う。誰もが守れるルールじゃないと通用しない。
自分周辺の思い込みから一歩離れて、一般性のあるルールを提案できるような訓練が必要。
あと程度の差こそあれ、他人の不快感に想像力のない人なんかいない。
何か高みに立って悪者呼ばわりし説教するという、暴力的な快楽に身を任せるのも、
趣味の問題としては認めてあげないでもないけど、せいぜい内輪でやってほしいね。
でなければ炎上して当然。
物心ついたころには、もう弟が生まれていて、私は「おにいちゃん」と呼ばれていた。
弟は名前で呼ばれる。
しかし私はお兄ちゃんと呼ばれた。
母から、祖母から、父から、祖父から。
家庭の中で名前で呼ばれることはなかった。
私の名前を言いつけていないので、私を他人に紹介するときに弟の名前で紹介してしまうほどだ。
弟が生まれて20年以上経った今ですら。
一樹と大輝、のように韻を踏んだ名前であるのも混同の原因ではあるのだが。
学校では、家の名前で呼ばれるのが普通だった。同じ名字の者は居なかったから、当然とも言える。
でも、お兄ちゃんと呼ばれないことが、今考えると嬉しかった。私の名字は私自身を示す記号だったから。
部活で部長をやっていたけど、部長と呼ばれるのは少し嫌いだった。厄介ごとが起こる徴でもあったし。
役割で呼ばれると、義務を負っていることを否応もなく思い出させてくれる。
兄であれ。長男であれ。気を張っていろ。親戚同世代の先頭を行け。年長なのだから。男子なのだから。期待がかかっているのだ。金もかかっているのだ。ずいぶんと時間も投資したのだ。今日の成果を見せてみろ。明日の成果を出してみろ。
しかし、私はひとつの役割を演ずる装置だった。
独り立ちをして、私は私の記号としての名字をまた手に入れた。しかし、この記号は仕事のアウトプットに付いた記号だ。
やはりこれは役割だ。
さて、このネットという文字の大海に、今私はひとつの無個性な文字列として在る。
自分が役割ではない。装置にならなくて良い。このことが、どんなにもうれしいことか。
私が誰でもないことの開放感といったら!
でも、もうネットで遊んで10年。そろそろ、この希薄な自分にも飽きてきたかも知れない。人間に戻る頃合いかも知れない。
願わくば、私を、私自身を示す名を、私だけのために呼んで、私をひとりの人間に戻してくれる、そんな人を見つけることができますように。
大学時代の思い出を語ってくださいなんて言われても、僕には何も浮かばないだろうし、言い訳じみた生き方だなあってことを実感せざるを得ないので、なるべくなら避けたいことの一つだ。
それでも語るとすると、読書をしていたってことになると思う。それでも何百冊も読んだなんてことはなくて、ただ読んだ思い出しかないんだってことだ。
僕の卒業した大学は付属の私立高校からエスカレータ式で入学してくる奴らが大勢いて、彼らは入学当初からひとつの集団で、施設についても高校時代に来たことがあるのか、先輩が教えてくれたのかわからないが詳しいので、なんだか半年先輩面していた。友達が多いことが力になるんだとすれば、彼らは間違いなく権力者であった。
彼らと仲良くできればもっと楽しい、有意義な大学生活が送れていたんだろうと思うんだけど、僕にはそれをよしとすることができなかった。なんだか気持ち悪いんだよやつら。
おそらく付属校からのエスカレータ式入学者の中にも気の合う仲良くなれた奴もいただろうに、僕は一絡げに「付属校で入学して、しかも大学にはいってまで五人十人で徒党を組んでいる奴は馬鹿」なんて頭から決めつけていた。
人を勝手に蔑んでいる自分の中の弱さを知ることもできた。知り合いが居ないと僕はなにもできないんだってことを知った。友達を作るどころか、授業に参加する意識も希薄になってきた。勉強はすべからく自分のためにするのだというのは真実であろうけど、僕にはそんなことはどうでもよくて、ただこの非常識な仲間内とのやりとりを授業中に大声で喋りつづけるエスカレータの乗客と、その乗客とすでに顔見知りである、デパートの従業員のなあなあなやりとりをただ黙って聞いているなんて無価値な時間を僕はもう二度と味わいたくないと思った。何かを変えてやるなんてことは微塵も感じず、ただ席を立った。
これは私立に入学した貧乏人のコンプレックスのなせる業なんだと思う。高校時代には部活動ばかりに明け暮れて、勉強なんて一切しなかった僕が、二ヶ月勉強しただけで入学できたことがとてつもないひがみ根性を生み出したのだった。
僕の通った高校の偏差値は40中頃で、学区で言えば下から二番目。三年生の進路は就職、専門学校が二割、大学が一割(うち四分の三が短大やら指定校推薦やら。一般受験は四分の一程度)、残りの七割が進路なしという有様。そんな学校に通っていた僕が、二ヶ月ちょっとだけ勉強すれば大学に入れたことで当初の志望校であったこの大学に失望し、入学当初から大学に付随するすべてを嫌悪しながら図書館に通学するというなんとも不健全な学生となった。そしていつのまにか大学は卒業していた。
早々に実家を出て杉並区に居を移し、バイト先は池袋のとあるぼろビルで出会い系サイトから客を引っこ抜いて別のサイトに振るという、悪から見ても悪というだれから見ても害虫的な仕事を選んだ。
池袋には巨大なデパートが西口と東口にあって、海のものとも山のものともわからないものが流入してくる土地で、僕もまたその一人で、その僕の目指す東口はいつだって人混みにまみれていて、声のでかい男が目つきの悪い女と後ろ髪の長い子供を連れて徒党を組んで歩く後ろをついていかなければ、バイト先に着かないのかと思うとこれはもう恐怖なんだ。そんなときトイレの中にホームレスが居着いている、池袋始発でゆっくり座れる、適度にお日様を浴びながらも地下鉄と言い張る、あの電車に乗りたいと思うんだろうよ。
丸ノ内線はいつもお祭り屋台のヨーヨーつりの仕掛けのような形をして、山手線をひっかけようとするんだけれど、いっしょに成増なんてついてこられたら困るから、交差することだけで満足しているように思うんだ。そのうちにこよりに水がしみてあんなにひねくれたんだと思う。だれかのように。
ああ、そうか。
生理や妊娠・出産などは女性にとって著しく不利な要素であり、男女平等を妨げる要因である。といった思想から
出産は人工子宮を介したものが一般的になり、またピルやそれに代わる生理制御技術の使用も普通になる。
使われなくなった子宮が委縮を始め、そもそも生理の無い女児が生まれ始める。
子孫を産む必要のなくなった女性は、ホルモンバランスの変化などにより男性的な体系へと徐々に変化していく。
卵子を作る機能の無い女性が増え、セックスが一般的でなくなった結果男性の生殖能力も機能停止を始める。
人類存亡の危機は体細胞からのクローン生成技術でかろうじて食い止められる。
体細胞クローンは男女の別を必要とせず、性の希薄化は加速し、やがて区別がなくなる。
とかなりそー。クソだなクソ。
35だけど、そして俺も似たようなこと唱えてきたけれど、実際はこんな感じですよ。
1、オレのことなんて誰も気にしない
中学から大学まではクリアにそう思っていた。でも今は、頭では誰も気にしていないと分かっていても、気にされているような気がする。何故なんだ。
2、オレは誰のことも気にしない
頭ではそうしたいと思ってる。でもむしろ思春期のときよりも会社に入った今の方が、人のことを気にしている。
3、オレは他人にとってほぼ存在しない
あーこれも大学くらいまではそう思ってたなあ。今は変に色んな責任(といえるのかどうか)があってそういうわけにも……。
4、存在しないものが注目されるはずがない
5、他人にとってはオレはただの通行人
これもねえ、そうなんだけどねえ。なかなかそうもいかない。むしろ昔の方が無邪気にそう思ってた。100年経ったらみんな死んでるよなーとかね。
6、そしてオレも他人を気にしない。
だから気にするっつの。
希薄な人間関係でいたい。ほっといてほしい。しかし人間に絡めとられている。
8、道行く人に深い人間関係を期待しない
期待はしていない。今も昔も。これだけは何とかなってるな。
9、人間になにかを期待しない
長く生きるとそれだけ、人間に優しくされる経験も味わってしまうから、期待しないことが昔より難しくなった。
というわけで、退化しています。増田の賢いみんなは、こうならないように気をつけてね!
都会生まれって世間から見ると異端なんだなー。
私の事なんだけど。生まれも育ちも東京で、引っ越したのだって都内の区から区への1回のみ。
両親の実家も千葉と東京(今住んでる)で、いわゆる田舎のじーちゃんばーちゃんちっていうのを体験した事がない。
親戚付き合いって言うのも希薄だ。お正月とお盆にはお線香あげに行くけどそれくらい。
大学に入って、いろんな地方の子と友達になったけど、
○○ちゃんの里帰りに便乗して一週間くらい観光してきます^^とか日記に書いてあってすごく違和感を覚えてしまう。
まず人の里帰りに便乗するっていうのがあんまりわからない。普通なの?たまに帰るんだから水入らずで過ごしたいとかそういうのないの?
よく親もいいって言うなー一週間も他人を家に泊めるなんて。ご飯代とか心配するのはあれなんだけど、他人の目がある分手抜き料理が出来なさそう。
とかこういうふうに感じてしまう。普通なの?世間では。
あと□□におじさんの家があるから遊びに来ない?というのもなんだか解らない。
え、おじさんの家はおじさんの家で君の家じゃないじゃん。なんで自分の家みたいに気軽に誘えるの?
と思ってしまう。…普通なの?
なんだろう、
「考える」というよりそれ以前の、「感じる」ものが少ない気がする。
例えば好きな映画について、「どこがよかった?」と考えてみるとき、ある1シーンを挙げ「ここがよかったような気がする」という希薄な感想しか出てこない。
どんな人であれ、好きなものについて語るときは作品の詳細だけではなくて作品を自分の中の世界とリンクさせた感覚を持っている思う。
自分の中の○○はこうである、とか自分の内面に及ぼした影響は…とか。
もちろん、作品の正しい鑑賞のしかたがあるとは思わないし、演出について議論を交わしている人達がいる事も分かっている。
ただ2時間映画を見て「ここが良かった」という以外の感想が湧き上がってこない自分に嫌気がさす。
こういうところの無思考さだ。
自分はなにかの病気なんだろうか。