はてなキーワード: 共依存とは
今起きました、元増田です。
http://anond.hatelabo.jp/20080125021019
こういう人って自分からは何も言わない癖に、
気付いてくれないと本当に怒るんだよね。
http://anond.hatelabo.jp/20080125104012
相手にとって、増田は友人じゃないだろう。むしろ憎しみの対象なんだろう。
その時その時でちゃんと言ってくれれば話はこじれなかったのになーとは思ってる。
ほんと、何も話してくれないんだよね。
ちゃんと聞く事ができれば良かったけど、それすら出来なかった時期があって、積み重なって、今の状況があるんだと思うと、申し訳ない事だなあと思う。
もう、私のやる事なす事なにもかもが彼女にとっては腹が立つ事なのかもしれない。
それでも、私にとってはまだ友人だし、知らないとこで恨まれてるよりは、いっそ刺された方がマシかなあと考えちゃうわけです。
http://anond.hatelabo.jp/20080125114856
相手は積もり積もった今までの鬱憤をぶつけてきてるだけだよ。
あなたの怒りなんて、これっぽっちも見えてないよ。
現在の話も私の怒りもまるごと飛ばされるとは思わなかったので、私もびっくりしている。
理不尽な事を言われてる自覚はあるよ。
でも、困った事に、お互いに身近な友達ってお互いしかいないの。DVの加害者と被害者にありがちな、共依存っぽくなってる。
彼女に彼氏が出来ればいいんじゃないかなーと思うんだけど、矛先がそっち行くだけかなあ。
http://anond.hatelabo.jp/20080125110739
4つくらいかな。
でもこのリスト、私自身の方も同じくらいあてはまるので、色んな意味でお互い様だと思う。
http://anond.hatelabo.jp/20080125020844
もう一件メールきてた。
相変わらず、「私はあの時こう思ってこうしたのに、あんたは……」っていう論調。
私の過去の所業については本当に彼女のほうが正論で、甘えていたのも間違っていたのも私だから、何も言えなさすぎて、さすがに途方にくれてしまう。
過去の事は取り返しがつかないから、言葉を尽くすしか無い。今の行動で示すしかない。
だけど、私が今どうしたら彼女が納得してくれるのかが分からないんだよね。
漫画版の『NHKにようこそ』は引きこもりの話ではな い。主人公は原作小説ほどネガティブでも内向的でもなく、世界と敵の関係について考え込んだりもしない。自意識のベクトルが、原作ほどの自己嫌悪へは向か わず、他人や他人からの視線への過剰な関心という形で現われる。では何の話なのか? それは「誰かのために」の物語である。
中原岬は幾度となく言う
「つまり…私は…/ひきこもりを助ける
その…/天使みたいな…/もので…
決してからかってる/わけじゃなくて…/本気の本 気!!
つまりボランティア/みたいなもので…/別に佐藤君が 好きとか/そういう……」(2巻p123)
「あたしは佐藤君を/天使のように助けようと思っ て……」(2巻p168)
「わ…私は/弱者に優しい/天使というだけのことです」 (3巻p163)
「な…何ですか/関係ないじゃないですか!/私はただ天 使だから…
佐藤君を助けなきゃ/いけないから!/クーリングオフ を申し込みに/来ただけじゃないですか!!」(3巻p165)
「誰かのために」は通俗的な用法としての「共依存」と 言い換えてもいいかもしれない。「共依存」の人は、自分自身の問題と向き合う前に、身近な「困った」他人の問題ばかりに気を向けて、その問題の解決に身を 捧げてしまう。しかし、そのような態度が、根本的な他人の問題の解決に向かうことはない。というのも、そのような「困った状況」において、世話をされてい る彼/彼女は、自らの努力で問題を解決するチャンスを奪われてしまう上に、その状況が続くことを世話をしている彼/彼女が望んでしまいさえするからだ。こ れが、(やや通俗的な解釈ではあるが)「共依存」ということの意味である。
「共依存」というと、互いに依存するようなカップルな どを思い浮かべる人もいるが、「共依存」自体は一方的な献身においてであっても(むしろそうであるからこそ)発生する。「自分が誰それから必要とされてい るはずだから、自分は誰それの世話をしてあげるんだ!!」と思い込んでしまうのが共依存だからだ。その意味で中原岬は、典型的と言ってもいいくらいの、 「共依存」である。
「共依存」は引きこもりに近い状態ではあるが、社会性 としては引きこもりより一歩進んでいる。一般的に「引きこもり」は自分のことだけに関心が向いてしまい、外界に対しては一切の干渉/被干渉を拒否してしま うというイメージであるが、「共依存」においては少なくとも、「自分を必要としているはずの」他人に対する関心や干渉はあるのだ。これは、ラカンにでも言 わせれば鏡像段階などと説明されるのだろう。
さて、「自分よりダメな人間を見つけたから」佐藤達広 と付き合おうとしたのだという、中原岬の告白は、原作においてはクライマックスの一部をなすほどに、作品全体において重要なものだが、それが漫画版では、 あえて秘密にするまでもないほどに、何度も語られてしまう。つまり、漫画版『NHKにようこそ』とは、既に人間関係が「共依存的」であることが、明らかに なってしまった後の話なのだということにならないだろうか?
興味深いことに、漫画版においては、中原岬以外の登場 人物もみな、多かれ少なかれ「共依存」的である。人間関係の契機がそのような、「誰かのための『優しさ』」として現われることが多い。主人公の後輩、山崎 は言う。
「僕は佐藤さんの事/尊敬してるんです/昔 僕がイジメられてた時……
こんな…ダメな奴なのに助けて/くれたでしょう?
僕…そんなの/絶対ありえないって/思ってましたか ら…」(1巻p31)
3巻で登場するマルチ商法の勧誘員女は言う。
「ただ…私は今まで/秋葉原でオタク相手に/絵を売った り宝石を/売ったりしてきたわ
何故だか分かる?
私の兄がね…そうなの…
…悲劇よね…
それでも兄弟だから/私が養ってあげようと/思って必 死で働いたわ
でも兄は働きもせず/人に迷惑かけるばかりで/部屋か ら出なくなって/もう6年になるわ
そんな人の為に/お金を稼ぐのが/正直虚しくなってき たの…」(3巻p165)
そして極めつけは、2巻で語られる、主人公と先輩女と の関係であろう。この関係が、中原岬と主人公の関係と二重映しに見えるプロットは面白い。主人公は言う。
「もう逃げるのは
やめだ!!
たとえ拒絶されたって/向かい合わなきゃ/今までと同 じなんだ!!
今度こそ/勇気を出して/先輩に言おう!!
別に好きとか/嫌いとかじゃない
ただ俺はこの人に/元気でいて欲しいんだ!!」(2巻 p107)
「そうだ!/そして何より
この人(ルビ:柏先輩)の/笑顔を/守るために」(2 巻p115)
「そうだ…俺は/どうして彼女を/止めるんだ?
結局 死ぬも生きるも先輩の/自由じゃないか?
俺がとやかく/言う権利なんて/ないじゃないか!?
…そうか…/そういう事か
何故 俺が/彼女を助けたいのか/どうしてこんなに/ 辛いのか?
つまり…/俺は彼女の事を――」(2巻p164)
だが、この主人公の純情は、先輩にかかってくる一本の 電話、そして「……私/結婚します!」の一言で打ち砕かれる。「誰かのために」が成就するとは限らない。誰それが自分を必要としているはずだから、と思っ たところで、誰それが本当に自分を必要としているかどうかは分からないのである。そして更には、必要とされているからと言って、誰それに手を差し伸べるこ とが良いことだとも限らないのだ。
このように、漫画版においては、「引きこもり」的な内 向自意識の問題は、半ば解決済みとも言える。「巨大な悪の組織と戦うことなどできなくなった」のが小説版の置かれた状況であるのならば、漫画版は「巨大な 悪の組織と戦う必要すらなくなった」後の話なのである。「もう“デカイ一発”はこない。22世紀はちゃんとくる(もちろん,21世紀はくる。ハルマゲドン なんてないんだから)。世界は絶対に終わらない。もっと大きな刺激がほしかったら,本当に世界を終わらせたかったら,あとはもう“あのこと”をやってしま うしかないんだ」(『完全自殺マニュアル』鶴見済,1993年)に対して、山崎はこう言うだろう「僕らは自殺だなんて/ドラマティックな事に/関われる資 格がありません…/どんなに落ち込んで苦しんでも…/この馬鹿馬鹿しい日常に帰ってくるだけです/もし帰ってこなくても/どこかで馬鹿らしく/死ぬだけで す」(2巻p182)。これが90年代と00年代の差の一つである、というのは安易にすぎるかもしれない。だが、問題意識は確実に転換している。それを進 歩と呼んでいいのか分からないし、「共依存」は、描かれているほど楽なものでもないのだけれど。
「共依存」は自意識の問題を解決し得るだろうか? そ して、宙吊りにされた「世界と敵」の話が、再び思い起こされることはあり得るのだろうか? それが漫画版『NHKにようこそ』において今後注目したいとこ ろである。
知り合いが中絶をしていた(かもしれない)という事に気がついてしまった。
mixi(笑)で中絶者のコミュに入っていたのを見つけてしまった、だけなんだけど。
管理者に承認を受けるコミュだから7割程度の確率で、おそらくしたんだろう。
残り3割は現状、いつあってもおかしくない状況に悩んで経験者の声が聞きたくて入ったという可能性を考えている。
数ヶ月おきの飲み会で会うぐらいなので友人とは言えないし、おそらく友人と思われていない人だ。
さらに言ってしまえばその人は昔、自分が告白を断った男の彼女。
可能性を考えれば敵対した目で見られてもおかしくはない関係だとも思う。
近い日にその人+その男に会うのだけど、どんな顔をしていいのかわからなくなった。
知らない振りをするしかない。首を突っ込める立場でもないんだし。
しかし、男のほうに腹が立ってしょうがない。
増田には逆フェミ脳な人がいるんで
「ゴムを着けろと言うか、その前に拒否かピルを飲まない女も悪い」ときっと言うだろう。しかし腹が立つ。
断ったり、意見を言えばその男に捨てられるかもしれないという気持ちがわかるんだ。
それに、ピルを飲むということには体に若干のリスクがある。人それぞれなんで無いとは言い切れない。
アレよ、もうね、中絶させんならゴムつけろよーって言いたい。小一時間問い詰めたい。
まあ、題名どおりそんなことする立場でもないし、どうしようもないんだけれど。
なんだろうな、このやるせない気持ちは。
あと、腹黒いですがそんなのと付き合わなくてよかったなあ、ギリギリだったんだなあという気持ちもあります。
共依存カップルって言うやつなんだろうな。
楽しさとか、達成感だとか、まず自分が成長できるんだってことを教えたら
そうなんだよね.
自分自身で歩めること.それが楽や喜という感情につながること.
それらに気づかせられれば良いんだよね.
彼女を大切にすることかなあ。
それは,一度距離を置いて,自分自身を立て直さないと,無理なことなんだと思うよ.
共依存と化した状態では,大切にすることと,甘やかすことの違いがわからないものだと,私は思う.
たとえば,相手に,自分が成長できるということを教えることは,
彼女を大切にすることの一部に入ると思うけれど,甘やかすだけじゃ,そんなことを教えることはできないんだよね.
親のように,厳しさも含むというか,結構難しい対応が必要なのではないかと思う.
そういうことを誰もしてくれなかった,親と言える人が今までいなかったりしたから,メンヘラになってしまったのではないかととも,思うけれど.
逃げるだけが策じゃないでしょ?
逃げる以外の策,ハッピーエンドに向かえるような,上の2点のような策について,具体的なプロセスが私にはわからないから,逃げるアドバイスしかできなかった.
要するに,親としての正しい行動というのがわからない.
私は,親から,親として正しいとは思えないことばかりを,親の行動として事実上教えられてきたわけ.
親がこうすると子は幸せになるのなのだという体験が,ほとんどなかった.
結果,メンヘラっぽくなったわけですw
自分で気づいて少しずつ変えられてるから大丈夫だとは思いたいんだけどね.
メンヘラは子に遺伝するというが,子が親のあり方を知れない連鎖というものが,原因の一つなのかもしれない.
兄何歳?
妹は悪くないし、両親だって気の毒と言えば気の毒だ。
だけど、正しい人たちに正しいことを言われたって、本人が変わるとは限らない。
むしろよけい追いつめられて動きが取れなくなる場合もある。
だいたい、周囲から言われるようなことはすでに自分も頭ではわかってるだろうしね。体が動かないだけで。
周囲から色々心配されると、今度は「周囲を心配させること」が自分の役割になってしまうっていう可能性もあるよね。共依存的に。
いっそあんまり気を回さずに今まで溜まってたこと全部ぶつけてもいいかもしれない。
それで目が覚めるか、一層殻に閉じこもるかはギャンブルだけどね。
それでダメだったらもう自力解決はあきらめよう。
まあ兄みたいな人って世の中にそれなりにいるよ。平均値ではないけど。
妹は、自分の人生楽しむことに集中するといいんじゃないかな。
http://anond.hatelabo.jp/20070718102914
それは鬱病(大鬱病, Major Depression)ではなくて、回避性人格障害(最近は人権派を恐れるのもあってパーソナリティ障害というか)か、病気だとしてもせいぜい適応障害じゃないのか?精神科は患者に病名を告げにくいから、「軽い鬱のようなものですね」ってとりあえず言っておくのが定石なんだよ。とりあえず「まともな」精神科を受診し(続け)ろ。内科医が苦労人の相談にのって助けてやってる気になって(共依存)掲げてる、本来は心因性の「体の病気を治す科である」心療内科だったり、若い医者が精神保健指定とった程度ですぐにビル開業したクリニックなんかじゃなくな。退職した大病院の院長なんかが開業したビルクリニックなら行きやすいだろ。
Major Depressionならば、5年間も沈みっぱなしなんてことはまずあり得ない。そんなひどい状態なら、体を動かすことすら出来ず一日中無動状態で蝋屈様になっているかしている。単に「やる気が出ない」「色んなことが面倒」「人生に希望が持てない」「そう言えば寝付きも悪いし朝早く目覚める(主に日中に動かない為だったり)」「食欲も無い(主に日中に動かない為だったり)」程度で、鬱病だと自己診断するなよ?そんなの「誰にでもある」ことだ。本当の鬱病エピソードを味わってみるといい。こんなところに文章を書く気にすらならないから。
一連の書き込みを見て、本棚の奥から村上龍の『オーディション』の文庫版(幻冬舎文庫)を手に取った。
斎藤学が解説を書いているんだが、当時読んで印象的だった言葉を思い出して、それを読もうと思ったから。
彼女たちは頼りなげで、神秘的で、弱々しくて、それでいて愛に飢えていることを全身で訴える力を備えている。こうした女性に弱い一群の男たちがいるところから、この恐怖劇が始まる。彼らは本質的なところで自己評価の低い、だからこそ人に頼られることを生きがいにしているような男たちである。彼らは、彼女たちに魅かれ、彼女たちの苦境を救い、その一部は結婚にまで至る。こうした男たちは、実はナルシシスト(自己愛人格者)である。彼らの一見したところ利他的に見える行動は、他人を用いて自己評価を高めたいという、自閉的で自己愛的な動機に発しているからである。
(中略)
考えてみると、夫婦関係とは子供返り競争のようなものである。居酒屋のアル中二人の関係に良く似ていて、先に酔い潰れた方が勝ちである。負けた方が金を払ったり、酔った者を家まで運んだりする。
(中略)
最も稀なのは、親密でありながら対等な男女関係が、結婚後も維持されているという場合である。成熟した大人どうしの関係が、長年にわたって続くためには、一方が他方の子どもになろうという野心が、意識的、意志的に排除されていなければならない。だから、こうした二人は、二人ともどこか寂しい。それで良いのであって、大人とは、寂しさと共存して生きられる人のことである。
俺はかつてやはりそういう女性に振り回されることを自ら選び、共依存の関係となって、二人で手首の同じところに傷を作ったりしたことがあって、けど、ちょっとしたきっかけから俺が彼女に振られ、そしてその二週間後に彼女が泣きながら俺に電話してきたときに、何か憑きものがすっと落ちたかのように冷静になって、「こういう繰り返しはもうやめにしよう」と言って彼女との関係を本当に終わりにして、それ以来、誰かを救うことなどは不可能なことであって、倒れている人に手を差し伸べることはできても、立ち上がるのはその人自身の力であり、俺の手によって立ち上がらせようとしても一緒に倒れるだけだということを悟り、そして、そうした誰かを救いたいという思い(引用部にあるように、まさにそれは俺の弱さが為すものでしかない自己愛なのだが)を捨て、自分の手の短さを知り、共依存として誰かを好きになるのではなく、お互いに独立した一個人として尊敬と愛情を持って一生を共に過ごすような関係をいつか持てればいいと生きてきた。
が、そんな字面だけの理想を体現するのはほんと難しいものだなと、最近プライベートが上手く行かないことで思い知らされている。いっそ憎めればいいのにと好きな人のことを考えたのはいつ以来だろうと過ごす日々。自分の弱さを認めて受け入れて、その上でそれに甘えることも開き直ることも自己否定して強がることもなく、ただ全てをあるがままのものとして自然と生きるというのはつくづく難しいものよ。
人によって何を辛いと感じるかは違うしなー。小さい事でも辛いと感じる事が多かったらそりゃ生き難いよ。例えば非コミュな人とコミュニケーション能力に長けた人を比べるなら、多分人と関らなければならない限り非コミュの方が辛い事多くね? 潔癖症と汚いの平気な人間比べたら潔癖症は生き辛くね? 望んで非コミュになる訳でも、望んで潔癖症になる訳でもないよね?
辛い環境に晒されすぎて感覚が麻痺しちゃってる人もいるし。で、だからこそ「何が辛いのか判らないけれど、全部虚しい、生きていたくない」みたいな。周りが「この状況は辛くないのか?」みたいな事を思っても、その辛さを認識してしまうとマジでやってらんなくなるから指摘を否定したり。よーわからんけど共依存とか言うの? ああいうやつ。
それに、赤の他人が辛くったって私の周りに存在しない大多数の人間の辛さなんて私には関係ねーよ。どん位辛いかも、それに対してどんな努力してきたかもわかんねーし、自分の無知とか経験のなさもあるけれど、なんでそれが辛くなったかさえ想像すらできなくて全然わかんねー事もある。
確かに辛いのは自分だけでもないしお前だけでもねーけれど、でも、それ言ったってあんまり救われない、とは感じる。
気づいているかいないかはおいといて(気づいてて気づかないふりをしている可能性もあるが)、大抵の場合それは「共依存」という。
http://anond.hatelabo.jp/20070326112941
似たようなカップルを知っていたのでなんとも。
彼女の理不尽を愚痴るんだけど、別れるよう勧めても見捨てておけないの一点張り。
最近疎遠なので、どうなったのやらさっぱりだけど。
まあ一緒に堕ちていけばいいんじゃないかな。
どうしても実名で書けないことがあるので、書いてみます。
あれ?これは王様の耳はロバの耳!って叫ぶところですよね?
去年までは結婚していて、一部上場企業で管理職をしていました。
だけど配偶者の異常な嫉妬深さに嫌気が指して、家を飛び出して無理やり離婚してしまいました。
仕事や家を失って実家に逃走して現在に至ります。(現在もこのヒモ志望とは係争中。)
と、ここまでは前置きです。
実家へ逃走後、気分転換にと出かけた欧州のとある国で、Jという1歳年上の白人男性と知り合い意気投合しました。
帰国後もメールでやりとりするうちに盛り上がって、秋に再び渡欧してJと一緒に何カ国か旅行しました。
そしてその旅行後国際電話で求婚されて、私は舞い上がってつい「yes」と答えてしまいました。
この冬再び欧州に遊びにいったときには、Jの家族に紹介され、すっかりフィアンセ扱い。
この夏には私の家族に挨拶するためにJが日本に来ることになっています。
実は私には前の旦那さんとの別居時に知り合った年下の大学生の恋人がいます。
セフレのつもりでしたが、付き合いが長くなるうちに、お互い情が沸いてしまい、
ヒモ志望と別れて実家へ逃走した後、恋人同士のような感じになってしまいました。
彼は現在就職活動中なのですが、最近「卒業したら結婚しよう」と言われました。
これはさすがに「yes」とは答えられず、「お互いよく考えてみよう」とお茶を濁しましたが…。
Jは田舎の素朴な青年という感じの人で、多分彼と同国人の女性から見れば、
「Jってすごく良い人だよね??」といわれてスルーされているんじゃないかと思われるようないわゆる善い人です。
料理が好きで、子供が好きで、きっとこんな人と結婚したら幸せになれるだろうなって感じの人です。
だけど知り合ってまだ半年だから、まだどんな人かよくわかっていない気がします。
相手も私のことをわかってないだろうと思うのですが、それで求婚しちゃうあたり、
夢見がちというか、なんらか私に幻想を抱いているんだろうなあという気がしています。
風邪を引いてどんな高熱が出てもバイトをサボれない、みたいな真面目なところがあって、
本人は語らないけど、多分あまり女性経験が豊富じゃないんだと思います。
(きっかけも別居で荒れていた私を慰めてくれる彼を私が食っちゃったみたいな感じだったし)
一応1.5流くらいの大学に通っていて、育ちがよくて…いわゆるボンボンなんだと思います。
別居時から私のことを知っているので、私の最低さやどうしようもなさをよく知っていて、
それでも「放っておけない」「俺がいなきゃだめだ」と言ってくれるあたり、
共依存なのか、なんかの刷り込みなのかわかりませんが、稀有な人だなあと思います。
本音を言うと私はどっちも好きです。本当にどっちでもいいと思っています。
去年の秋からずっと考えているのですが、どうしても選べません。
夏までに結論を出したいと思うのですが…。
色々中途半端に自己分析などもしてみているのですが、まずは他の人がどう思うのか知りたくて書いてみました!
反応があれば続けます、なかったら2chでもいくか、と