私が本を書いたことで、私のアンチが集結して私の悪口を言う生放送で盛り上がっていたそうだが…
私は自分の著書で書いた3つの内容がドンピシャで当てはまる内容すぎて、『私の頭の中ではもう解決済みの人達なんだな』という印象を受けました。
1、人々は、自由だから誰かがあなたを「他有化」しようとしてくる。「他有化」して来ようとする人間が、あなたがなりたいもの・あなたが行こうとする道を阻む時には「反応しない」ではなく、参加して現実を変える「アンガージュマン」を意識して、強く前に進むべし(ステップ4)
2、「読書家」に有能な人は少ない。なぜなら、真に有能な人は「積み上げた読書」ではなく、「読書を通じて何をしたか」を誇る。(ステップ5)
3、いいコミュニケーションを取れば、反応は真っ二つに別れる。有能な人・あなたと合う人間は質問したことに喜んで返してくれる。逆に、無能な人間・合わない人間は言葉そのものに実態はなく「感情」ありきで会話が深まらない。(ステップ6)
この内容は直前に修正したものではなく、本を書く当初から「書く」と決めてた内容だ。
そのため、「2ヶ月前の私にも及ばぬ連中には、私の本は難しすぎたか?」「それとも、理解できないはずがないほどの知性を持ちながら、私への感情が先行して、言葉に実態がないのかな?」と、正直思った。
さらに、キミに対しては、私はすでに結論がでてくるから、こっちに書いたんだよ。
『本を書いたら、縁を切ったはずのアンチに言及されて「やっぱお前がドリームブレイカーだったのか」と確信した話』というところに書いたからよかったら探して
まさか、この内容を下回るどころか、個別に否定する価値もないとは…。
私に10年も粘着し続けてるから、キモすぎて認知してやってたが…これからは私の影を踏み続けるだけの生き物になっていくのか。
今回は、たまたま知り合いが認知したから目に入ったけど、次第にあなたは忘れられていくのだよ…。
私の影を踏んでいるということにしか気付けない時点で、もうあなたは私の前を歩いていないよ。
あなたは私を「消費者」と罵ったが…あなたの人の本にああでもないこうでもないと嗤ってる態度こそが消費者そのものではないのかい?
キミたちみたいなのから、自分の人生をなんとかしたい人達のために本を書いたんだよ。
それが読み取れない時点で、キミは読書家としても人間としてもゴミだ。
自分でゴミであることを居直ってる時点で、ぼくには絶対に勝てない。
悲しいよ…キミはぼくの前を歩いている人間だと信じてた時期があったし、前を歩いていたかもしれないと思っていたのに…ぼくの影を踏むだけの消費者に成り下がってしまって
単著もないのに、の人?