2023-04-16

老後の備えなんていらなかった

中学生の頃、初めてネイティブ英語を聞いたとき、「これを聞き取れるようになることなんてあるのかな?」と思った。

リスニングテストの無い時代英語テストは難しい模試でも概ね満点で、それ以上何をしたらよいのかわからなかった。

ラジオ英会話毎日聞いてシャドーイングしたり、英語映画千本単位で見たりしたけれど、いまだにwhenとwhereも聞き分けられない。

 

高校生の頃、仇名が「パパ」だった。

「良いパパになりそうだから」らしい。

自分では「そもそも結婚できるのかな?」と思っていた。

案の定人生で3人と通算25年つきあったが嫁のなりてはおらず、おそらく生涯独身だろう。

 

大学生の頃、なんとなく、「自分会社勤めなんて勤まるのかな?」と思っていた。

就職活動ではとある官庁に行って、最終面接相手最近与党ブイブイ言わせているやつで、顔を見るたびに思い出してしまう。)で落ちた。

結局、他所に行っても就職先は見つからず、細かい仕事を請け負って食いつないでいた。

今では金の心配が要らないくらいには稼げるようになったので、おそらく生涯会社勤めをすることはないだろう。

 

ここ数年、「自分が『余生を送る』ことなんてあるのかな?」と思うようになった。

昔は「生きているのも嫌だけど、みじめに死ぬのも嫌だな」と思う気持ちがあったので、死にたい気持ちを忘れるためのルーチンをいくつも用意していた。

最近は、そうしたルーチンに着手する気にもならない。

今はまだ、やりたいこともできるようになりたいこともあるけれど、その先が何もない。

 

子供の頃は、外国とこんな風に仕事をしたい、とか、子供なこんな風に育てたい、とか、孫とはこんな風に接したい、とか、益体も無く考えることがあって、割と幸せ妄想だった。

そういう幸せ妄想がどんどんなくなって、今はもう、「具体的にやりたいこと」しかない。

ソフトの開発とか、事業軌道に乗せるとか、そういうことばかり。

コンティンジェンシープラン」とか、「次のプロジェクト企画」とか、タスク管理アプリで見通せることしかない。

その先には、もう何にも無いんだな、と感じる。

つまんない人生だった。

  • そうさ、何かに、凝らなくちゃダメだ 狂ったように、凝れば凝るほど!

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