2022-08-21

吹奏楽部ではほぼ野球応援しか出来なかった

高校生の時はとあるマンモス吹奏楽部といわれるところに居た。3年間、ほぼ野球応援しかやらせてもらえなかった。

中学校からある管楽器やってたのもあって入部した。

部員100人を優に超えてたが、吹奏楽コンクールには55人しか出られないので選抜が行われる。増田は3年間落ち続けた。3年生だから優遇されることもなかった。

落ちた部員マーチングコンテストへの選抜に回される。こちらは80人まで出られるが、部の方針として楽器演奏メンバーは60人まで。増田はこっちも落ち続けた。

増田に残された選択肢は2つ。

野球応援担当するか、見栄えの良いシンバル役としてマーチングにまわるか。シンバル役は8人居るが、演奏はせず、シンバルグルグル回して視覚的にアピールだけの役目。

増田管楽器を吹けないのは嫌だったので野球応援選択した。

まり増田所謂3軍部員だった。

3軍の扱いは悲惨だった。1軍メンバー雑用係が3軍の役目だった。1軍メンバー譜面コピー譜面台やつば皿の準備や交換、部屋の掃除打楽器運搬は3軍が担当。指揮の先生も見に来ない。少しでも準備でヘマすると1軍メンバーから怒鳴られたり殴られたり。これ、昭和年代じゃなくて2010年代の話な。

そして演奏機会もほぼ野球応援だけ。一応定期演奏会には出させてもらえたが、3軍メンバーは本編で1曲プラスアンコールの1曲しか出番が貰えない。しかも吹けるのは1分以内。下手な3軍が目立たないようにするためらしい。

ブラック部活典型例だったが、楽器練習が出来る1軍や2軍はまだ恵まれていた。3軍は雑用練習時間が過ぎてしまう。選抜は毎年行われ、前の年に1軍だった人が3軍に落ちることもあるのでみんな必死だった。落ちたくないか夜遅くまでみんな個人練習していたのだ。

そうして増田高校生活は野球応援だけで終わった。もう楽器をやることはないと思う。

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