そりゃ恥ずかしいかもしれんが、命には替えられないって人が多数派だろう。
いないならいないでこの話は終わりだし、いるならちゃんとアピールしないとダメなんじゃないか。
もしいたとして、の話をするんだけども。我々ふつうの人間は、恥より命のほうが大事です。
いろんなマイノリティの権利が大事なのはわかるんだが「いのちをだいじにしましょう」っていうのは基本的な社会の合意じゃないですか。
「人を殺す権利をください」って言われても「さすがにそれはちょっと」ってなるでしょ。
人の命を救うことにNOを突きつける権利は、人の命を奪う権利とかなり近いところにあると思うんだけどどうですかね。
エホバの人が自分への輸血拒否するの別に良いと思うのよ。これは死ぬ権利。
でも子供への輸血を拒否したり、万人に輸血可否を問うまで輸血させない権利はちょっと認め難いよな。
一刻を争うときにそんな悠長なことをやっていて助かる命が助からなかったら、その責任なんかとれないよね。
AEDもそういうことで。
だから肌を見られるくらいなら死ぬっていう思想も個人の範囲に収まるならアリだと思うんだよね。
でもやっぱりそれはなかなか想像しづらいことだからさ。意思表示をしないといけないよね。
例えばだけど、鍵がないと外せない鉄のブラを使うとかさ。
まあちょっと日常生活に支障があるだろうから、そういう意匠のマークを作って広めるとかさ。
ちょっとカッコよくない?鉄ブラ団。カッコよくないか。そうか。一応わたしはマジメに話をしてるんだよ。
まあ恥ずかしい以外にも何かしら呪術的な理由でAEDに忌避感を持つ人もいないとは限らないし。