2022-05-08

anond:20220503175455

もちろん君の言うことは正しい。ただし、その場合障碍のある子を育てるための100%サポート社会が十全に保証している、というのが前提になるよね。現代社会はその前提を満たせているのか。

一般的に障碍は運次第なのだから、障碍のある子が生まれても自分達ではサポートしきれない…と悲観した親が中絶選択したとしたら、彼らは差別主義者なのではなく、ただの社会的不公正の犠牲者だね。運次第で降りかかる状況を全体で引き受けてこその社会なのだから。ならば、そんな人たちを「差別主義者」と切って捨てるのは、正しいことではないよね。たとえば、障碍のある子は神の子である、と祭り上げる文化があり、もしそういう子が生まれたら社会全面的サポートするしその親も一生尊重される、そういう社会だったとして、それでも「いや、私は障碍ある子をもつことは認められない」と中絶選択するなら、それは差別主義者と言われても仕方ないだろう。だが、そんな人が一体どれだけいるかな。そんな社会になれば、ほとんどの人は中絶を選ばないのではないか。ならば、彼らに中絶を選ばせているのは社会の方なのではないか

だとしたら、あなた提案する政策は、現実には差別主義者ではない人たちを差別主義者として糾弾するばかりか、現に社会自体、言い換えれば我々全員が暗にもっている社会的な差別構造を覆い隠して、その責めを彼らだけに負わせようとするものですらあると言えるね。それは極めて邪悪だ。つまり、現に障碍のある子を中絶する親がいるとして、彼らの選択自分がまるで関わっていないかのような顔をすることこそ偽善だってことだ。なぜなら、彼らにその選択をさせているのは、ほとんどの場合まさに我々が合意しているこの社会のものなんだから

から、現状を憂えて解決策を考えるなら、行うべきは個々人に責を負わせるような改革ではなく、社会全体で可能な限りの福祉政策を推進し、個人中絶決断をしなくてよい環境をつくる、という、地道で困難ながら真っ当な道筋だろう。それが、この問題の多い現代社会に生きる人間の負うべき責務というものであり、安易にそこから目を背けるべきではないと思うね。

記事への反応 -
  • 中絶禁止にしないと差別主義者が障害者の存在をなきものにするのに利用するのが当たり前になる 安易に妊娠して都合が悪くなったら子供を捨てることに利用される こういうことをき...

    • もちろん君の言うことは正しい。ただし、その場合障碍のある子を育てるための100%のサポートを社会が十全に保証している、というのが前提になるよね。現代社会はその前提を満たせ...

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