俺はしょっちゅう迷ってるが。スマホ見てても目の前の道に確信が持てない。
札幌行ったことあるか? あそこ、碁盤の目状で街区には数字で番号が振ってあるんだが、俺は見事に迷いかけた。
同行してた友達は「なんで碁盤の目状の街で迷うんだよ……」とドン引きしていたが、仕方ない。見てる地図と身体の方向感覚が一致しないんだ。
(ついでに言うと、札幌で女性に道を聞かれたことがある。俺はご覧の通りの方向音痴なので適切な案内はできなかったが、札幌で迷って人に道を聞く人は俺以外にもいるんだな、と思うとちょっと安心した)
別にそれは構わない。質問に答えるかどうかはそちらの自由だ。無視する人の気持ちもわかる。
だけど「スマホあれば乗り換えが分からなくなることもないしGoogleマップがあれば道にも迷わない」というのは想像力が欠けた言い方なので抗議する。俺は迷う。スマホでgoogleマップを見ていても迷う。確信が持てない。だから人に聞く。
何度も言うが、答える義務はないので質問それ自体は無視してくれて構わない。警戒するのも理があるだろう。だが重度の方向音痴を存在しないかのように扱うのはやめろ。俺たちは存在している。俺たちの存在を無視するな。俺たちの存在を抹消するな。
さらに言えば、皆が「充電/ギガの残量が十分にあるスマホ」を持っていると前提するのも間違いだ。様々な事情でスマホを持っていない者もいれば、充電が切れた者もギガが残っていない者もいるだろう。だから答える義務があると言っているのではなく、全員が使えるスマホと適切な方向感覚を備えているという前提でものを言うのはやめてほしいというだけ。道を歩く全員が異性愛者だという前提で喋ったり、街に住む全員が健常者だという前提で都市計画をするのは間違ってるだろ? それと同じだよ。
ちなみに、警戒されることへの対策として、質問は諾否疑問文にするようにしている。「○○への行き方を教えてください」だと怪しいが(長話をさせて物陰に連れ込むつもりか? と勘ぐられかねない)、ジェスチャーも交えて「○○はこっちですか?」という質問なら答えやすいだろう。答えは「はい」「いいえ」「知りません」の3通りでいいわけだし。これは海外旅行でも使えるテクだ。「○○アベニューを左に~」みたいな詳細な説明を外国語でされても聞き取れる自信はないが、「イエス」「ノー」「アイドンノー」(あるいはそれに対応する現地語)くらいは聞き取れる。それを分岐の度にやればいずれ目的地には辿り着ける。海外だとSIMカード買ってなくてスマホ使えないとか普通にありそうだしな。
そもそもスマホ時代に人間は迷わないなら、最初の「助けてもらった女性」はなんで道に迷ってたの?って話になるし