何故他人じゃなくて自分なのか、何故普通になれないのか。自分の病気とそれから構成されている自分を呪った。
小学生時代は、世の中の人間に役に立つ仕事につきたかった。先生になって自分の幸せな生き方を送れるように子供を導いたり、
貧しい人が沢山居るところに行って治療する仕事に就いたり、何か人と関わって、人の役に立つ仕事をしたいと思っていた。
でもその病気になってから、自分が得られなかったものを得た人が沢山居る学校に行くなんて考える事は出来なかったし、
不幸な自分が他人を幸せにする職業に就くなんてあほらしいと思っていた。
漫画家になってみんながショックを受けるような話を書くか、せめて自分の為に、自分だけの為に生きようとその時は決心していた。
自分の為に生きるという事は凄く難しい。もっと正確に言えば、周りを幸福にせずに自分だけ幸せに生きるという事は凄く難しい。
その病気が寛解して、自由に生きた4,5年くらいまでは楽しかったけれど、自分だけしか考えない自分が本当の幸せを掴めるわけでもなく、30代目の前にして空っぽの経歴と空っぽの人生が残った。
今では病気と闘っていた学生時代さえ、神様が与えてくれた人生の「意味」なんじゃないかとさえ思い始めている。あれが僕の生きる意味で、その意味が終わった今はもうただの惰性の日々なんじゃないかと。
そう思うたびに、結局自分の脳みその病気を治すために一人で足掻いて、その後は自分の為に生きて、全て自分で完結している事に悲しくなった。
そして、それが人生の意味だったなんて嘘だと思うようになった。
病気にならなければ、自分は誰かを救うため、人と関わるため、その両方を満たすための何かを満足させようと今足掻いていたはずじゃないか。
人望は無くても、人生の結果は積みあがっていたはずなんじゃないか。
誰のせいでもない、この人生の結果は人間という社会的な生物に起きるバグ、予定されていたエラーなのだとしたら、無意味な僕の存在は誰にも肯定されず、必要悪だが不必要な嚆矢として地球の片隅に捨て去られる事になる。