2021-07-25

広大なインターネットと、人智の並列化を行うSNS

0と1で構成されたインターネットが編み出す表現力は、人智表現するに十分ではなかったし、

多くの人々が持つ人智への解像度は、インターネット表現力よりも低かったという結論

Twitterに関していえば、言語画像動画のみで構成されている。

個人認識として、人々が他者へ何かを伝えるには言語化が必要となるが、

言語化は他者との共通ルール自分認識している何か(以降、"認識"と表記)を落とし込んでいる。

したがって、言語化を行う過程で、"認識"の解像度言語限界へ下げている。

この上で、高精度に情報の伝達を行うには、言語を学ぶ必要が出てくる。

一方で、言語を学ぶことは"認識"におけるルールの追加である

ルールの追加を行うことで、"認識"の解像度を下げる代わりに言語化が実現する。

したがって、言語を学ぶことで、何人も世界への解像度が下がっている点に注意されたい。

では、この言語化を実現する能力が違う人がSNS出会うと何が起こるか。

(以降、言語化を実現する能力が高い人を"高位者"、能力が低い人を"低位者"と表記

"高位者"が言語を用いて"認識"の発信を行った場合、"低位者"にとってその情報は、

"低位者"の言語能力凌駕した次元で"認識"が言語表現されている。

したがって、"低位者"が仮に近しい"認識"を得ていた場合

"低位者"は"高位者"によって発信された"認識"を自己の"認識"と錯覚してしまっているのではないだろうか。

そして、SNSは"高位者"による情報の発信を"低位者"によって拡散する機能が搭載されている。

結果として、インフルエンサーのような"高位者"が誕生し、"低位者"は"認識"の言語化を"高位者"へ依存していく。

上述のように、インフルエンサーを十把一絡げに括ることができるかは不明だが、

俗にいるバズるなどは前述の現象であろう。

更に言えば、SNSでこういった"高位者"による"認識"を摂取し続けることで、

"低位者"の言語能力は"高位者"と並列化されていく。

自身のTLに耳障りの良い情報が溢れ、共感できるようなツイートが多く流れるようになってきた時、

自身言語能力SNSによって並列化されてしまったと言わざる得ない。

本来100人いたら100通りの"認識"が存在する。しかし、現代SNS上においてそれは実現し難いと言わざる得ない。

SNSは、他者言語化された"認識"しても尚、自分の"認識"との差異を捉えられる人だけが扱うべきツールだ。

"低位者"は言語能力さえも並列化され、自己の"認識"さえも維持できずに、

SNSによって整えられた"認識"を自己の"認識"と錯覚するだけの生物に成り下がる。

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